e釜石・遠野・上閉伊郡 22 12月 1965 韓国との国交樹立で釜石漁民が窮地に(S40.12.22岩手東海新聞) 昭和40年12月18日、日韓基本条約が批准され国交が樹立されたが、このために安い韓国のイカや海苔が輸入され、三陸地方の漁民が窮地に追い込まれるのではないかと戦々恐々。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 12月 1965 大槌川・織笠川は戦後最低の川開き(昭和40年12月6日) 昭和40年12月7日の岩手東海新聞より。 大槌川や織笠川で鮭の川開きが行われたものの、戦後最低ではないかというほどの寂しいものだったようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1965 釜石・大槌のサバ・オットセイ漁の成果(昭和40年7月2日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石や大槌のサバ・オットセイ漁の成果について振り返った記事を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石魚市場でイカの樽詰め出荷始まる(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石魚市場で、イカの樽詰め出荷が始まったことを報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 3月 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 12月 1964 大槌町では新巻鮭の最盛期(昭和39年12月2日) 昭和39年12月2日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭で知られる大槌町では、新年に向けて新巻鮭の最盛期となっていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 11月 1964 釜石に秋イカが回遊してきたが「焼け石に水」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 例年11月は、秋イカの最盛期であり毎日150トン前後が釜石魚市場に水揚げされるという。 しかし、この年は不漁だったようで、11月25日の夕方にやっと秋イカが回遊してきたということで一斉に出漁したが、結局44隻で8.5トンにとどまったという。 そんな不良なので1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1964 重茂海岸にも「岩手川」(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 岩手川は重茂海岸のアワビ漁解禁に関して広告を打っている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 9月 1964 大槌漁港埋立地の利用計画(昭和39年9月10日) 昭和39年9月10日の岩手東海新聞より。 大槌漁港の埋立地は、使用計画がまるで定まっていなかったが、このほど、水産センター等の建設が決まったのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1964 いよいよサンマ漁第3次解禁(昭和39年9月1日) 昭和39年9月1日の岩手東海新聞より。 三陸沿岸では、サンマ漁の解禁に沸き立っていた。 サンマ漁の漁場は、釧路の南東側になるのではないかと県水産試験場によって予想されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1963 釜石〜東京15時間で直送の鮮魚トラック(S38.9.16岩手東海新聞) 当時、釜石港の鮮魚の輸送は国鉄に寄っていたが、東京まで運ぶには2〜3日かかっていた。 これを、トラックであれば15時間に短縮できると言うのだから、画期的なことだったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1962 大槌中学校でサンマの缶詰実習(S37.11.2河北新報岩手版) 大槌中学校は産業教育が盛んだったようで、フォークリフトの運転やら何やらやっていたようだが、その一環としてサンマの缶詰実習と。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1962 盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1962 北洋サケ・マス漁はマグロ漁に衣替え(昭和37年7月2日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 北洋のサケ・マス漁は今度はマグロ漁に衣替えするべく船体を整備していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1962 大槌で時ならぬマンボウザメの解体ショー(昭和37年7月2日) 昭和36年7月2日の岩手東海新聞より。 岩手県の太平洋沿岸も、本格的な夏漁を迎える。 そんな大槌の浜に、直径約1メートル、体重約45キロのまんぼうザメが水揚げされた。 そのマンボー鮫は、大槌町の中心地でである御社地のある鮮魚店に身売りされることになった。 浜っ子の大槌の子供たちでも、珍しい魚であるよ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1962 盛岡河川漁協が簗川でサケの稚魚の放流(昭和37年1月14日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 盛岡市神子田町(かつて市立病院があったあたり)の盛岡河川漁協は、簗川でこの年初めてのサケの稚魚の放流を行った。 前年の11月に北上川や簗川に遡上した親サケから採卵し、簗川で孵化した10万尾を放流したのである。 放流された稚魚は、群れを成して本流へ巣立っていった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 1月 1962 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工(S37.1.8岩手日報) 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工するという、「水産釜石」と「農業遠野」を結ぶ試みが行われた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 12月 1961 じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 種市町は、久慈高校種市分校潜水科の施設の充実に力を注いでいたが、なにぶんにも町だけの予算では難しいので、町や学校や潜水協会などの関係機関が一丸となって県議会に予算の増額を陳情することになった。 久慈高校種市分校に潜水科ができたのは、昭和27年のことであり、町… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 オットセイ密漁事件で逮捕された大槌の漁船の機関士に釈放嘆願(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 大槌でオットセイ密漁事件で6人が逮捕されたうち、漁船の機関士を釈放してほしいと漁業関係者から釈放嘆願が上がっている。 これは、最盛期に入っているイカ釣り漁船の機関士であり、この機関士がいないと乗組員10名やその家族の生活圏が脅かされるからである。 大槌漁協の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1961 釜石の料亭「閉伊川の美事な鮎が大量入荷いたしました」(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 まだまだ七草粥の内とあって、広告欄も新春ムードである。 釜石市内の料亭では、川魚料理が名物であったと見え、「閉伊川の美事な鮎が大量入荷いたしました」と広告している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1961 津軽石川の川開きは大漁(昭和36年1月4日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 宮古の正月の風物詩である津軽石川の川開きは、1月4日に行われた。 全国から、2000人の観光客が集まったと言う。 また、河原に特設された「鮭汁」「はらっ子うどん」の売店に飛び込んで舌鼓を打つ観光客も多かった。 中には、鮭取りの上手な犬を連れて川に入るものもいた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 9月3日のサンマ漁解禁で、サンマ船は北洋にむけて出港して行った。 残るはマグロ漁船で、9月5日には南洋にむけて出発して行った。 サンマ船とは違い、出港時はテープが飛び交う「別れの風景」。 それもそのはずで、南洋でのマグロ漁は早くて1航海数週間、長ければ3ヶ月以… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港ではブリが予想外の大漁(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の琴海では定置網でブリが捕れるようになってきた。 9月5日の朝は、釜石港にブリが3000尾、22トンが水揚げされた。 現金にして300万円にもなるという。 夏漁が不漁だっただけに、期待が持てるという。 … 続きを読む