a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1962 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 盛岡鉄道管理局は、八幡平から東京に直通する列車や、陸中海岸国立公園と十和田湖を結ぶ観光列車を計画しているという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 名物にうまいものあり!釜石名物いかせんべい(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 虎月という菓子舗のいかせんべいを宣伝している。 「名物にうまいものあり」というコピーは、その時点で「名物にうまいものなし」という表現が既に浸透していたということを示しているのではないだろうか。 いずれ、釜石市内では以下の店で買えましたよ、ということら… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 10日 1961 釜石市大平に「ホテル太平洋」オープン!(昭和36年1月10日) 昭和36年1月10日の岩手東海新聞より。 釜石市大平に「ホテル太平洋」がオープンすると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1959 釜石・小川温泉に旅館が開業!バスも4本あります!(昭和34年7月4日) 昭和34年7月4日の岩手東海新聞より。 釜石で唯一の温泉である小川温泉に旅館が開業。 バスも東前(当時の岩手東部バス釜石営業所)から1日4本走っていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 27日 1959 釜石湾内遊覧船「ホワイトローズ号」運航中!(昭和34年6月27日) 昭和34年6月27日の岩手東海新聞より。 釜石湾を遊覧船が運行していたらしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 28日 1959 春の行楽シーズンに不定期急行「いわて」が運行します(昭和34年3月28日) 昭和34年3月28日の岩手報知より。 盛鉄局では、春の行楽シーズンである3月下旬~5月下旬に不定期急行の運転や客車の増結を行うという。 不定期急行「いわて」(上野~青森、常磐線経由)・・・・3/25~5/23まで運転。一ノ関への発着は下り青森行きが7:17着、7:26発。上り上野行きが11:22着、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 14日 1958 磐井川川開きの花火大会にちなんで花火の話(昭和33年7月14日) 昭和33年7月14日の岩手報知より。 この日は、磐井川の川開きで花火大会があったようで、岩手報知の紙面でも花火の話をしている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
g北上・和賀郡 5月 31日 1957 夏油温泉は森林軌道に乗って(昭和32年5月31日) 昭和32年5月31日の岩手日報より。 北上の山奥にある夏油温泉に行くためには、営林署のトロッコに便乗していくのが普通だったようである。 営林署の貯木場までバスで行き、そこから先は森林軌道のトロッコで行く感じだったのだろうか。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 2日 1957 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 4月2日は旧暦3月3日で桃の節句。 三陸沿岸は好天に恵まれ潮干狩り日和となり、盛鉄局は山田線や八戸線に臨時列車を出して潮干狩り客をさばいたという。 写真は大槌町の洲崎海岸で、5,000人の人出でにぎわったという。 釜石市の鵜住居海岸でも3,000にんの人出でにぎわ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1957 どこの駅前かは分からないが、とにかく旅館 昭和32年4月1日の岩手日報の広告欄より。 「照安旅館」という旅館があり、「駅に近くて静かなお宿」なのだという。 しかしどこの駅なのかはここでは定かではない。 盛岡駅? いやしかし盛岡であれば電話番号はこの時点で4桁になっているはず。 (加入が古ければそう限らないのかもしれないが) 2桁であれば盛岡… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1956 釜石駅前に観光案内所が完成(昭和31年2月6日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 釜石観光協会では、釜石駅前に観光案内所を公費20万円で建築し、6日から店開きした。 事務所は広さ3坪で、釜石市の名産品を陳列して販売したり、観光地や旅館や事業所等の案内のために、専任の案内ガールが2名常駐しているのだと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1956 軽米町に観光協会を設立へ(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日のデーリー東北より。 軽米町社会教育委員会の新年初会議が行われ、軽米町に観光協会を設立することを決定した。 そして、主に以下のものを紹介することを決定した。 徳楽寺・袋薬師 八幡宮 大鳥の滝 ヤイホイの巌窟 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1956 南部鼻曲がり鮭で有名な津軽石川で川開き(昭和31年1月4日) 昭和31年1月5日の岩手日報より。 「南部鼻曲がり鮭」で有名な津軽石川では、津軽石村から宮古市になって初めての川開きが行われた。 有名なイベントなのでカメラの放列と共に川開きとなった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 花巻温泉郷に響く豊年歌(S29.9.1岩手日報) この年は稲穂が実り、花巻温泉郷の鉛温泉や志戸平温泉は豊作を祝う歌声が響いていた。 しかしよくもまあ女湯で撮影しようと思ったものである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1954 盛鉄局では黒沢尻~盛岡にお花見列車を運行します 盛鉄局では、お花見シーズンに以下のダイヤで臨時列車を走らせる予定とのこと。 4月29日~5月3日 (下り)黒沢尻7:22 → 花巻7:42 → 盛岡8:48 (上り)盛岡16:55 → 花巻18:02 → 黒沢尻18:21 どうも北上の展勝地を志向したダイヤではなく、盛岡の岩手公園や石… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1954 山形県から山伏姿の観光キャラバン 山形県の庄内から、山伏姿の観光キャラバンの一行41名がバス3台に分乗して盛岡までやってきた。 庄内観光協会の一行は盛岡の松屋デパート前や教育会館前で出羽三山の山伏勧進や湯田川温泉の神楽、庄内美人のおばこ舞を披露した。 盛岡市観光協会では歓迎の花束を贈ったという。 昭和29年4月17日読売新聞岩手版よ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 23日 1952 秋分の日は列車に乗ってキノコ狩りや栗拾いへ(昭和27年9月23日) 昭和27年9月24日の岩手日報より。 9月23日は秋分の日で祝日であり、盛岡駅はキノコ狩りや栗拾いに行く行楽客でにぎわった。 特に5:55発の東北本瀬下り(北福岡・八戸方面)、6:11発の山田線、6:12発の橋場線は行楽列車の様相を呈していたという。 奥中山(一戸町)のキノコは最盛期、山田線の大志田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1952 盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報では、八幡宮の祭典を「秋祭りの王者」として一面を写真に割いている。 山車や見世物小屋などが出て、八幡宮周辺はひときわ賑わったようである。 今でこそ「東北五大祭り」として盛岡からはさんさ踊りが出ているが、これは昭和53年からと比較的歴史が浅い。 盛岡では昔から、初夏のチャ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 10日 1952 秘境・国見温泉の秋(昭和27年9月10日) 昭和27年9月10日の岩手日報より。 この日は秘境の国見温泉を大々的に写真で報じている。 それまでは、雫石方面から仙岩峠〜国見峠と、秋田県境の尾根を歩いて行かなければいけなかったが、新たに橋場線の終点・橋場駅からのハイキングコースを開削したのである。 しかし、真ん中に女性の入浴シーンを持ってくるセン… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 5日 1952 わが町 わが村「平泉町」 昭和27年9月5日の岩手日報より。 「わが町 わが村 戦後版」というシリーズ物の記事で、この日は平泉町。 昔も今も、もちろん令和でも岩手県で観光地といえば平泉・中尊寺となる。 しかし、戦中の修学旅行が禁じられていた時期は、ペンペン草が生え金色堂から雨漏りがする有様であったという。 それが戦後の復興と… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1952 釜石立ち寄りの貨客船にアメリカの旅行団 昭和27年9月4日の岩手日報より。 2日朝に釜石に入港した「マーチン・ベェクス」(5484トン)からアメリカの12人の観光団が上陸、旧盆で賑わう釜石市内を観光した。 この船は、サンフランシスコを出帆しマグネシアクリンカー1000トンを荷揚げし、横浜に立ち寄ったのちにシンガポールへ行くという。 日本最… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 2日 1952 秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日) 新聞記事の表現を借りると「海抜五千尺」の秘境・須川温泉に自動車道路が開通し、昭和27年9月2日に初のトラックが須川温泉に到着した。 須川温泉は一応、岩手県西磐井郡厳美村(現:一関市)にあるのだが、今回開通した道路は秋田県の十文字からつながるもので、岩手県側からは相変わらず5里(20km)の山道を汗だ… 続きを読む