a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通… 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 1月 1940 省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
m県外・参考 8 11月 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 11月 1936 ハーレー・ダビットソンの正しき国産化は「陸王」!(昭和11年11月3日) 昭和11年11月3日の岩手日報より。 盛岡市穀町の藤健モーターサイクルが、陸王について広告を出している。 何でも「ハーレー・ダビットソンの正しき国産化」なのだそうな。 ちなみに穀町とは現在の盛岡市南大通。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 22 8月 1936 日本海と東海岸を結ぶ道路の開鑿へ(S11.8.22岩手日報) 秋田県の本荘〜大曲〜花巻〜釜石を結ぶ道路を建設しようと、花巻町役場で大曲町の関係者と会合が持たれたというニュース。 現在の国道107号戦(本荘〜横手〜北上〜大船渡)が現在のそれに近いだろうか。 しかし当時は「三陸沿岸」とは言わず「東海岸」と言っていたようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1936 ヂャイアント号自動三輪車は盛岡・テルイモータースで!(昭和11年5月6日) 昭和11年5月6日の岩手日報より。 今なおWikipediaに単独項目が立っているオート3輪「ヂャイアント」の広告。 盛岡では四ツ家にあるテルイモータースという販売店が総代理店になっていた模様。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 3月 1935 釜石〜宮古の定期自動車(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 ここからには、釜石と宮古の間の定期自動車の広告が出ている。 釜石・大槌・山田・宮古の止まる場所の電話番号は書いているが、具体的な時刻は書いていない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 1934年式ハーレー・ダビットソン750CC自動三輪車発売中(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 盛岡の藤健自転車店ではハーレー・ダビットソンの750CC自動三輪車を発売するという。 価格までは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 盛岡警察署の交通取締の結果(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 盛岡警察署では、10月18日〜30日まで各交番を指揮して交通一斉取り締まりを実施した。 その結果は以下の通り。 告発 28件 自動車無免許運転 3件 自動車泥除け無し 1件 自動車規定表示無し 6件 貨物自動車に乗車 1件 自転車警告設備無し 5件 自転車無灯火 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報に、盛岡〜日詰間を結ぶ乗合自動車の冬ダイヤが掲載されている。 運行していたのは「佐藤自動車部」という事業者で、当時はまだ地域ごとにこうした小規模事業者が路線を運営していた。 この佐藤自動車部も、戦時統合によって昭和18年に発足する「岩手中央バス」に吸収されることとなる。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4 9月 1931 水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) 昭和6年9月4日の岩手日報には、水沢〜岩谷堂間のバス時刻表が掲載されている。 運行は「胆江自動車」と「水岩自動車」の共同事務所による共同運行で、午前から夕方まで数本ずつの便が設定されていた。 当時は舗装道路も限られ、路面や天候によって所要時間が変動することも多かったはずだ。 それでも、新聞に定期運行… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 9月 1931 水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工(S6.9.1岩手日報) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 桜木橋がいよいよ九分通り完成し、9月20日頃には祝賀会が行われる予定となった。 この橋は、胆沢郡水沢町と江刺郡愛宕村を結ぶ幹線道路上に架けられたもので、交通の便はもちろん、地域の発展に大きく寄与することが期待されている。地理的には、佐倉河村(現・奥州市水沢佐倉河)と… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 8月 1931 市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) 昭和六年八月三十一日──その日は久慈町の「市日」で、二十八日町は近郷近在からの買い物客でごった返していた。 そんな雑踏のさなか、突如として乗合自動車が群衆をなぎ倒す。 ナンバー「岩二九」のその車両は、軽米自動車組合のものであり、本来であれば軽米〜久慈間を運行しているはずのバスであった。 しかし、事件… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 6月 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の『岩手日報』より。 8月31日に、一関にて自動車強盗未遂事件の公判が開かれた。被告は19歳の少年と21歳の男の2名である。事件は6月3日に発生したもので、自動車強盗を試みたが、未遂に終わっていた。 主犯とされたのは19歳の少年で、青森県下北半島の出身。製材工場でエンジン係として働い… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 9月 1929 川井と花巻で自動車事故(S4.9.5岩手日報) 昭和4年(1929年)9月3日、小国村で行われた早池峰神社の祭典に関連し、2件の自動車事故が報じられました。 ひとつは、小国村と江繋村の境界付近で発生した事故です。参詣者を満載したトラックに乗っていた34歳の男性が、酒に酔った勢いで走行中に突然車外へ飛び降りました。ちょうど後続していた車の進路に滑り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 すべての自動車に赤と青の信号を(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日の『岩手日報』より。 この頃、岩手県内では自動車の数が急速に増加していた。しかし、当時の自動車には方向指示器がなく、交差点などで右左折する際には、運転手や助手が手を使って合図を送る、いわば「手信号」によって意思表示をしていた。昼間であればそれでも問題は少なかったが、夜間になると当然な… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 4月 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1926 小運送合同政策に基づき北福岡~水沢間の小運送業者を合併します(S元.12.28岩手日報) 昭和元年12月28日付の岩手日報には、「資本合同で運送業を経営」と題された記事が掲載されている。この日は、東北本線の北福岡(現・二戸市)から水沢(現・奥州市)に至る区間、および橋場線・花輪線・横黒線沿線の小運送業者31名が、盛岡市清水町にあった老舗料亭「大清水多賀」に集い、合同経営に向けた協議を行っ… 続きを読む