鉄道・軌道

北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日) g北上・和賀郡

北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日)

昭和38年4月5日の岩手日報より。 この前の年の12月、横黒線は和賀仙人から陸中川尻の間の14.5キロが、ダム建設で水没するため、線路が山手に切り替えられた。このことで勾配が急になりトンネルも6つが新設されることになったのである。 これまで、この区間を走る機関車の機関士は、旧軍隊が作った防毒マスクを…
観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます l全県

観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます

昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1…
松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日)

昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った…
釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日)

昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。 そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。 釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだ…
盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日)

昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松…
ハリキリさん「電車で隣に座った美人」(昭和37年7月4日) e釜石・遠野・上閉伊郡

ハリキリさん「電車で隣に座った美人」(昭和37年7月4日)

昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 この当時東海新聞に連載されていた4コマ漫画は「ハリキリさん」。 今回は電車の中。 主人公の隣に美人が座ってきて、もたれかかってくる。 なかなかラッキーな瞬間であるように思えるが、帰宅すると財布がない。 つまりあの美人は女スリだったのだ!   ところで…
釜石ロータリークラブが釜石駅に電気時計を寄贈(昭和37年6月30日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石ロータリークラブが釜石駅に電気時計を寄贈(昭和37年6月30日)

昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 6月30日、釜石ロータリークラブでは、釜石駅に直径1メートルの大型電気時計を送り、釜石駅の正面玄関の上に取り付けたと言う。 釜石では、それまで「釜石時間」と言って時間にルーズだったようであるが、その追放を願って時計を送ったのだと言う。    …
江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日)

昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 12月19日に行われた江刺市議会では、市営バス計画に関して質問が出たようである。 市長はこれに対し「江刺市にとってバスは唯一の交通機関。そのバスが争議行為などで運行が中止されることの無いよう、全国の市営バスについて調査したい」と回答した。   &…
金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) h水沢・江刺・胆沢郡

金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)…
スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日)

昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ…
東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) e釜石・遠野・上閉伊郡

東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日)

昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7…
宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) d宮古・下閉伊郡

宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日)

昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。 22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。 釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。 釜…
釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日)

昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製…
日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日) l全県

日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日)

昭和35年1月11日の岩手日報より。 日本海に低気圧が発生し、東北地方に前線が横切り、その前線の北側では雪、南側では雨となった。 盛鉄局施設部保線課によれば、各駅の降雪量は以下の通り。(カッコ内は積雪量) 東北本線 一戸 10(10) 奥中山 10(55) 盛岡 15(20) 北上 5(5) 水沢 …
民衆駅になって初めての年末年始を迎えた盛岡駅(昭和35年1月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

民衆駅になって初めての年末年始を迎えた盛岡駅(昭和35年1月5日)

昭和35年1月5日の岩手日報より。 盛岡駅は前年11月19日に「民衆駅」として駅舎が新しくなり、新しい時代を迎えることになった。 その初めての年末年始の輸送は非常に好調なものとなった。 新生活運動による「正月一本化」で、農山村でも新正月で正月行事を行うところが多くなり、年末年始の輸送は増加傾向にあっ…
盛岡~福島のディーゼル準急「やまびこ」は人気上々(昭和34年12月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~福島のディーゼル準急「やまびこ」は人気上々(昭和34年12月18日)

昭和34年12月18日の岩手日報より。 それまでの列車といえば、上野行きの特急「はつかり」も含め、すべてが蒸気機関車の引っ張る列車だった。 そこへ、煙の出ない(SLほどは)ディーゼル準急「やまびこ」が盛岡~仙台~福島に颯爽とデビューしたのはこの年の2月1日。 乗車率は130%~150%で人気が高く、…
山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 それまで、盛岡~宮古を結ぶ山田線といえば急勾配やトンネルをC58や8620といった蒸気機関車が喘ぎながら、機関士も客も煙で真っ黒になりながら移動するのが当たり前の「カラス列車」だった。 このような中、12月1日、山田線の盛岡~釜石にディーゼルカーは導入されること…
昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日)

昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田…
釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 この数日、釜石港ではにわかにスルメが大量に水揚げされ、8月22日の朝などはイカ釣り船110隻がスルメ180トンを大量に水揚げしてきた。 スルメが水揚げされたら貨車で運ばないといけない。 この日は釜石駅に31両の配車があったが、前日の滞貨が30車分あったので、…
山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日)

昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。    …
岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)

昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。 明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。 そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。 しかし、仙人峠がそれを遮っていた。 戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた…
「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。   ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。   …