a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 7月 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 7月 1951 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 紫波郡乙部村手代森(後の都南村手代森、現盛岡市)部落では、県下一の消防車を買うことにしたと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1951 「レントゲン自動車」お目見え(昭和26年7月13日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 結核を撲滅するために、岩手県では、レントゲン撮影機などを装備したレントゲン自動車を2,500,000円で購入し、7月13日にお目見えした。 7月16日からは、久慈や岩泉の保健所管内の奥地を皮切りに、結核予防法の対象になっている学校や事業所等の集団撮影を行う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 6月 1951 盛岡に17歳の麗人タクシー運ちゃん登場(昭和26年6月21日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 盛岡の杜陵タクシーに、17歳の女の子が運転手としてデビューするという。 当時は盛岡最大の歓楽街であった八幡町の小料理屋の一人娘でケイ子ちゃんと言ったという。(本名は別) 岩手女子高校ではバレーボール部や水泳部で活躍するほど活発な少女であった。 運転免許を取… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1951 盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。 終戦から6… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 3月 1951 盛岡から公務で出張上京中に野球見てたら自動車が当たっちゃった 昭和26年3月14日の読売新聞(本紙)より。 盛岡市内の公務員が、公務出張で上京したついでに後楽園の松竹-大映戦を見に行ったのだという。 そうしたところ動物病院設置資金募集のためのくじをやっていたのだという。 400円程度の入場料で1500ドルの英国車・ヒルマンミンクスが当選するというので満場の観客… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 3月 1951 山田線の山岸駅が実質的開業へ(昭和26年3月13日) 昭和26年3月13日の「夕刊いわて」より。 大正12年に山田線が上米内まで開業してからというもの、山岸にも駅を解説してほしいという要望は持ち上がっていた。 これが昭和25年12月に山岸中学校の正門向かいに簡易停車場として上下2列車が停車することになった。 そして、年が開けて昭和26年1月からは上下各… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 10月 1950 釜石線全通(昭和25年10月10日) 昭和25年10月10日、釜石線が全通。 釜石製鉄所専用軌道線。昭和33年ごろ(岩波写真文庫279「岩手県」より) この当時で「岩手県第2の都市」であった釜石市は、「鉄道による外部との連絡」という点においては非常に貧弱であったと言っても過言ではない。 たしかに国鉄は山田線昭和14年に釜石まで全通してい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 10月 1950 国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日) 国鉄の加賀山之雄総裁は昭和25年10月9日10:58、盛岡駅到着の列車で釜石線開通行事のために盛岡に来る。 昭和25年10月10日岩手日報より 9日11時からは、盛岡鉄道管理局長室で記者会見に応じた。 山田線復旧計画に変わりはない。治山治水工事の実態を理解してから。 26年度予算には計上するには至っ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 10月 1950 国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 国鉄バス久慈自動車営業所では10月1日からの新ダイヤを発表した。 沼宮内東線 上り 久慈発 7:00、9;30、11:30、16:30 下り 陸中山形発 6:30、9:00、13:00、17:10 軽米線 上り 久慈発 7:05、9:30、12:30、16:15… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 7月 1950 8月から「盛岡鉄道管理局」が設置されます!(昭和25年7月9日) 昭和25年7月9日の岩手新報より。 これまでの国鉄は、仙台鉄道局盛岡管理部であったところ、「盛岡鉄道管理局」として独立することになった。 そのことを知らせる広告。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 7月 1950 県南バスに35人乗りの大型バス(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県南バスでは35人乗りのいすゞの大型バスを導入するという。 ちなみに180万円とのこと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1950 釜石線の土倉トンネルが完成(S25.7.1岩手新報) この時期、釜石線の工事が進んでいるところであったが、陸中大橋〜上有住の土倉トンネルが開通し、路線の敷設を待つばかりとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 春の訪れは銀翼と銀輪に乗って(昭和25年2月9日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 飛行機と自転車が春の訪れを伝えると言う写真記事。 自転車の方が渡っている橋は、明治橋であると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7 2月 1950 東北本線磐井川鉄橋は155分で架け替え完了(昭和25年2月7日) 昭和25年2月9日の新岩手日報より。 東北本線の磐井川鉄橋の径間拡張工事は、155分で完了したのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 11月 1949 中央バス上田線がダイヤ改正(S24.11.9岩手新報) 岩手中央バスの上田線がダイヤ改正をするという。 ただし、上田線とはいっても、盛岡バスセンターがある時代ではないので、中の橋の松屋前が出発点だったようだ。 そしてまた、松園営業所があるわけでもないので、終点は上田の師範学校前であったようだ。 2段にわたる記事なので、ついでに他の記事もご覧ありたい。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 11月 1949 いすゞTX80御成約の方に京都奈良伊勢志摩の旅を!(昭和24年11月4日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡のいすゞ販売店では、トラック「TX80」の制約に至った人向けに、京都・奈良・伊勢志摩の旅をプレゼントすることとしたようだ。 この当時であれば、大口の運送業の事業主などではなかっただろうか。 … 続きを読む
l全県 1 11月 1949 全国交通安全週間が始まります!人は右、車は左ですよ!(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 11月1日から全国交通安全週間が始まるという。 「人は右、車は左」の対面交通を盛んに喧伝していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1949 国鉄が機構改革するなら盛岡にも鉄道局を!(昭和24年9月23日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 公共企業体となった日本国有鉄道は、機構改革に乗り出すという。 仙台鉄道局盛岡管理部は廃止が伝えられている。 しかし岩手県は広いのだ。 むしろ鉄道局を設置してほしいと、盛岡市長や市議会議長が連名で鉄道局設置の陳情を国鉄に送った。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 23 9月 1949 小さな駅は廃止しますよ!(昭和24年9月3日) 昭和24年9月23日の岩手新報より。 この年の6月1日に発足した日本国有鉄道は、それまでの「鉄道省」というお役所ではなく独立採算制の公共企業体となり、採算を考えなければならなくなった。 それで、人員だけではなく採算の取れない小さな駅を廃止することになった。 その基準は乗降客50人、発着小荷物4トン、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 9月 1949 意見広告「盛岡と三陸を結ぶバスの早期復活を!」(S24.9.8岩手新報) 前年の秋、アイオン台風で閉伊街道(国道106号線)が寸断され、バス路線も休止になっていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 9月 1949 国鉄の首切り計画でサンドイッチマン現る(昭和24年7月9日) 昭和24年7月9日の岩手新報より。 国鉄は人員削減計画を発表し、それは盛岡管理部でも例外ではなかった。 東京では総裁が殺されたか自殺したか、謎の死を遂げている。 そんな中、盛岡工事事務所の組合分会員は、盛岡市内にサンドイッチマンを繰り出し、前年昭和23年にアイオン台風で崩壊した山田線の路盤の写真を大… 続きを読む
l全県 1 9月 1949 昭和24年9月15日のダイヤ改正では旅客サービスが良くなりますよ!(昭和24年9月1日) 昭和24年9月1日の岩手新報より。 国鉄では9月15日からダイヤ改正を行うという。 そのダイヤ改正の眼目は、日本国有鉄道が発足し、戦中の貨物列車中心のダイヤから、旅客サービスを中心としたものに変わるということ。 Wikipediaにも、独立して以下のような項目がある。 盛鉄管内でも、通勤者に優しくな… 続きを読む
事件・犯罪・司法 17 8月 1949 【参考】松川事件(昭和24年8月17日) 中日ニュースより。 下山事件など国鉄では奇怪な事件が相次いだ。 https://www.youtube.com/watch?v=wuWTzxqb69Q… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 8月 1949 国警県本部に60人乗りの出動車(昭和24年8月9日) 昭和24年8月9日の岩手新報より。 国家地方警察岩手県本部に、8月7日仙台管区本部から60人乗りの出動車が配置された。 これは時速80kmで現場に急行するためのもので、全面と後面に昇降口があり、サイレンや投光器も装備しているという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1949 釜石線工事の土倉トンネルが貫通(昭和24年7月26日) 釜石線は西線と東線を結ぶ平倉~陸中大橋の工事が進められていた。 その最大の難所である土倉トンネル(平倉~上有住)は、昭和24年7月26日9時55分に国鉄盛岡工事事務所長の発破で貫通することとなった。 この瞬間を録音するために、NHKの録音班も、素掘りの構内に配線を行った。 即席の祭壇に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 7月 1949 東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日) 行政整理による盛岡管理部管内2052名の首切りが発表され、東京の国鉄本社でも下山総裁が謎の死を遂げた。 そのような中、7月17日に日が変わった深夜2時45分ごろ。 盛岡駅にはそろそろ上野行きの上り216レが到着する頃だ。 隣の厨川駅に216レが出たかどうか確認しよう。 この写真は天昌寺のあたりらしい… 続きを読む
m県外・参考 17 7月 1949 岩手でも報じられた三鷹事件も(昭和24年7月17日) 昭和24年7月17日の岩手新報より。 「国鉄三大ミステリー」と後年呼ばれることになる三鷹事件は、岩手県内でも大々的に報じられていた。… 続きを読む