l全県 5月 8日 1967 農繁期になると子供の線路遊びが増える 昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 14日 1967 釜石の五ノ橋が新橋に切り替わります(昭和42年3月14日) 昭和42年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石駅と小佐野方面を結ぶ五ノ橋が新しくなり、その工事期間中は水道の水圧が下がるので注意、と。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 13日 1967 ヤマハ船外機は釜石オートセンターで!(昭和42年3月13日) 昭和42年3月13日の岩手東海新聞より。 モーターボートの船外機を釜石オートセンターで売っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1967 サニートラック新発売!(昭和42年3月4日) 昭和42年3月4日の岩手東海新聞より。 日産プリンス販売釜石営業所では、ダットサンサニートラックの新発売の旨を広告している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 11日 1967 釜石〜大槌の国道45号線にはトンネルが11もあった(昭和42年1月11日) 昭和42年1月11日の岩手東海新聞より。 鳥谷坂トンネルや古廟坂トンネル開通前の国道45号線の釜石〜大槌間にはトンネルが11もあったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 10日 1967 釜石でもダンプの神風運転が問題に(昭和42年1月10日) 昭和42年1月10日の岩手東海新聞より。 全国的に神風運転による交通事故が問題になっていたが、釜石でも例外ではなかった。 しかし、それは労務管理に問題があると、その点からの対策を講じることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1967 大槌・末広町商店会「日産サニーの当選番号です!」(昭和42年1月7日) 昭和42年1月7日の岩手東海新聞より。 大槌町の末広町商店会では抽選会を行なっていたようで、日産サニーが1等だったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1967 釜石線が全面無煙化へ(昭和42年1月7日) 昭和42年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石線は長らくSLが牽引していたが、無煙化となる運びとなった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1967 昭和42年は国道45号線開発の年(昭和42年1月1日) 昭和42年1月1日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞の新春号は、国道45号線開発の槌音を高らかに報じている。 まだ釜石〜大槌間の鳥屋坂トンネルも古廟坂トンネルも開通前の旧道であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 9日 1966 県南バスの無期限ストに釜石市民も「いい加減にしろ!」(S41.11.9岩手東海新聞) 県南バスはストを繰り返し、市民の我慢は限界に達していた。 それで、国鉄バスなど他社に乗り入れてもらう署名なども始めていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 5日 1966 ワンマンバス導入をめぐって県南バスはついに48時間スト(昭和41年11月5日) 昭和41年11月5日の岩手東海新聞より。 釜石駅から徒歩で会社や学校へ ワンマンバスの運行問題をめぐって、これまで4カ月間争議を続けてきた岩手県南バスの労組は、ついに5日から、48時間後に突入した。 部分ストも含めると、10月17日から始まっており、かれこれ14日間にわたってバスが止まっており、岩手… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 4日 1966 宮古駅に「乗車券センター」設置(S41.11.4岩手東海新聞) 宮古駅に電話を増設し「乗車券センター」を設置するという。 乗車券センターの電話番号は宮古422番であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1966 国道45号線鳥谷坂トンネルの工事順調(昭和41年11月4日) 昭和41年11月4日の岩手東海新聞より。 沿岸部の大動脈である国道45号線の、釜石から北側を結ぶ鳥谷坂トンネルの工事は順調であった。 それまで、釜石から大槌方面に出るには橋上市場のところの大渡橋から甲子川沿いに北上し、曲がりくねった道を女遊戸を経由していなければならなかったのだ。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1966 県南バスワンマンカー闘争に釜石市内の高校が抗議(S41.11.2岩手東海新聞) この時期、岩手県南バスではワンマンカー導入をめぐって泥沼の組合争議となっていた。 しかし、利用者からするとたまったものではない。 それで、釜石市内の高校の校長PTA協議会が県南バスに対して抗議することにしたのだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 30日 1966 さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日) IBC「いわてアーカイブの旅」より。 「日本最大の機関車」として戦時中に活躍したD52型蒸気機関車は、あまりに重量が重いことで入れる路線が限られており、戦後になると持て余されるようになった。 そもそもD52が必要になるような輸送量の大きい路線は、とっくに電化が進んでいたからだ。 それで、昭和25年に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 11日 1966 釜石で自動車パレード「赤痢、食中毒に気をつけましょう」(S41.7.11岩手東海新聞) 夏が始まり、釜石市内で赤痢や食中毒に気をつけるよう呼びかける自動車パレードが開催された。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1966 釜石自動車学校の同窓会(昭和41年7月2日) 昭和41年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石自動車学校では、7月4日に同窓会を開催すると言う。 これは、7月4日の正午からやるのだそうで、特別に案内状は出さないがここの教習所を卒業した人は参加できるようになっていたと言う。 同窓会に集まったとして、一体どんな話をしたのだろうか。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 9日 1966 春の異動期で釜石駅は大混雑(昭和41年4月9日) 昭和41年4月9日の岩手東海新聞より。 春の異動シーズンで,釜石駅のホームは大賑わいとなっていた。 ホームのいたるところで「お世話になりました」「お元気で」と言う風景が見られた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1966 釜石製鉄所もマイカーブーム(昭和41年3月7日) 昭和41年3月7日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所にもマイカーブームが訪れていた。 それで、部署別のマイカー保有台数が新聞に出ていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1966 釜石駅の移転反対運動(昭和41年3月3日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 先日、釜石駅の移転計画が明るみに出ると、地元商店街などから反対運動が起こる気運となった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1966 近く釜石で運転免許出張試験を行います!(昭和41年3月3日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石で運転免許出張試験を行うという。 これで、わざわざ一本木(滝沢村)に行かなくても免許が取れるわけだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 釜石でもマツダ純正部品が買えます(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 釜石のモーターサイクル店では自動車販売も始めたようで、マツダ車の純正部品も販売するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 日通観光釜石支店と岩手東海新聞は合同で、東京・伊豆・箱根への旅行団を募集していた。 花巻空港はこの広告記事の2年前の昭和39年に開港している。 費用は総額で19,600円であった。 現在であれば、10万円以上の額になるだろうか。 岩手〜東京の移動… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石駅を鳥ヶ沢に移転!?(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石駅には移転問題があり、貨物駅と旅客駅を分離して旅客駅を鳥ヶ沢(釜石駅から山田線方面に行く最初のトンネルの辺り)に移転する計画もあった様だ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石への観光客はマイカーが増える(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 昭和40年の釜石への観光客は637,000人だったようだ。 中でも、マイカーが増えていたのだと言う。… 続きを読む
g北上・和賀郡 2月 3日 1966 横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2~3日の岩手日報より。 県内有数の積雪地帯を走る横黒線では、この冬は記録的な豪雪に悩まされていた。 昭和40年12月~41年1月の間で、102本の列車が運休。 応援として盛鉄局管内の青森機関区や、秋鉄局に属する横手機関区からラッセル車を応援させていたほか、雪崩危険個所のヘリコプターに… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 1日 1966 羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日) 昭和41年1月14日の岩手日報より。 羽田~花巻は、これまで八戸便の途中寄港という形を取っていたが、利用客が増えたことにより2月1日から羽田~花巻と羽田~八戸を分離することに。 そして、花巻便の機材をコンベア240からYS11に変更し、八戸便の機材はコンベア240にするという。 ダイヤは以下の通り。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2月 1日 1966 県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) 昭和41年2月2日の岩手日報より。 県内の水産高校が共同で利用する実習船「宮古丸」が室蘭港を出航し、宮古港に到着した。 宮古港では宮古水産高校のブラスバンド部など全校生徒や漁業関係者が盛大に出迎えた。 宮古丸は室蘭の楢崎造船で建造され、総トン数190トン、全長31m、幅6.6m、エンジン620馬力、… 続きを読む