a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 23日 1964 盛岡機関区に双頭除雪車「DD15」がやってきた!(昭和39年12月23日) 昭和39年12月23日の岩手日報より。 東北では秋田鉄道管理局管内にしかなかった「DD15」という双頭型の除雪機関車が盛岡機関区と青森機関区にも配置されることになった。 盛岡機関区に配置される分は、山田線と橋場線の除雪に活躍することとなる。 春になって除雪の必要がなくなったら、雪かき機を取り外してデ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 15日 1964 釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日) 昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局で予定していた、昭和39年度の電話架設計画は、農村公衆電話の7台の架設工事が全て完了した。 この年に架設された農村公衆電話は以下の通り。 大槌町和野 〃 種戸 〃 金沢安瀬沢 〃 大ヶ口 〃 臼沢 釜石市栗橋町大口 〃 〃 能舟木 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 大雨の影響で釜石市内に大被害(昭和39年6月3日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 日本海に、982ミリバールにまで発達した猛烈な低気圧の影響で、釜石市内にも大洪水が発生した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 釜石で電話を付けるためには7倍の競争率(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局管内の加入電話の希望者は7倍の倍率となっていたと言う。 まだ自動化する前の話。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 14日 1964 釜石電報電話局は昭和40年度内の自動化を目指す(昭和39年1月14日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、この時点ではまだ自動電話ではなく、交換手が交換する方式であったが、昭和40年度までに自動化する計画であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 11日 1964 釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(昭和39年1月11日) 昭和39年1月11日の岩手東海新聞より。 釜石郵便局では、全逓のストで遅れた年賀状配達を、正月返上で郵便の滞貨解消のために作業をしていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 一関気象通報所が週間予報を発表(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 気象庁の一関気象通報所が週間予報を発表した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 18日 1963 一ノ関駅に雨量警報機を新設(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手報知より。 国鉄一ノ関管理所では、台風シーズンに備え一ノ関駅に自動雨量警報機を設置したと言う。 これは、ある一定の雨量に達すると警報が鳴り出して、付近を走る列車は時速25キロ以下で検索して危険を防止しようと言うものである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 12日 1963 二百十日も二百二十日も無事に過ぎ、まずは豊作か(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 農家の厄日といえば何といっても「二百十日」。 立春から約210目の9月初頭は、せっかく黄金色に実った稲を台風が根こそぎ持っていくという、農民が最も恐れる期間であった。 しかし胆江地方では二百十日を無事に過ぎ、二百二十日も何事もなく、豊作が予想された。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 22日 1963 昭和38年の夏至、盛岡では最高気温24.2℃(昭和38年6月22日) 昭和38年6月23日の岩手日報より。 夏至の6月22日、台風第4号が去り県内各地は気温が上がり、盛岡では最高気温24.2℃で市内の商店では打ち水をしていた。 写真は盛岡駅前。 真ん中の女性はこの時代にしてはスカートが短いのではないだろうか。… 続きを読む
備考※1 2月 1日 1963 【参考】北陸で三八豪雪 中日ニュースより。 福井・石川・富山で記録的な豪雪で交通はマヒ状態。 https://www.youtube.com/watch?v=41H98pASWnU… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 30日 1962 釜石電報電話局「市外電話料金が変わります!」(昭和37年9月30日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、市外電話の料金が変わる旨の広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 10日 1962 釜石でも電話を自動化したいが・・・(S37.7.10岩手東海新聞) 全国的に、電話は交換手がつなぐ方式から自動電話に切り替わろうとしていた。 釜石も例外ではなかったが、用地がなかなか確保できないというニュース。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 6日 1962 水沢・岩谷堂の電話局に自動電話新架設900台(昭和37年4月6日) 昭和37年4月6日の胆江日日新聞より。 電電公社岩手電気通信部では、水沢電報電話局と岩谷堂電報電話局の新庁舎完成に伴う自動電話取り付け加入数を検討中であった。 そのうち、水沢は789、岩谷堂は155の計944に決まった。 この時点で、水沢市内の加入数は1357、岩谷堂516で、これに新規申し込みを加… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1962 沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話が即時化(S37.1.7岩手日報) 電電公社岩手電気通信部では、沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話を即時化するという。 つまりダイヤル化されるということ。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 4日 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 21日 1961 全逓の超勤拒否闘争で郵便物の遅滞が予想されます(昭和36年11月21日) 昭和36年11月21日の胆江日日新聞より。 水沢郵便局は「11月末に全逓の超勤拒否闘争で郵便物の滞貨が予想されるので、年賀状などはお早めに」とお知らせを出した。 … 続きを読む
備考※1 9月 16日 1961 【参考】第二室戸台風 中日ニュースより。 第二室戸台風で関西を中心に大被害。 https://www.youtube.com/watch?v=syM9dAdNNfo… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 25日 1961 全逓労組釜石支部「別に電話の自動即時通話化に反対してる訳じゃありません」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局では大槌などの近郷の各局とのダイヤル自動通話化が計画されていたようである。 そうなれば利用客は便利になるかも知れないが、電話交換嬢は要らなくなるということになる。 その「電話交換嬢が失業する」という観点から、全逓釜石支部が反対している・・・とい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 27日 1961 釜石港も真冬に逆戻り(S36.3.27岩手東海新聞) この時期、春の陽気だったのが一転して3月27日には雪が降ったという。 日本の東海上には低気圧が発達していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1960 盛岡~釜石間の即時通話がスタート(昭和35年9月1日) 昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 盛岡~釜石間の即時通話が9月1日からスタートするのに先立ち、8月31日には接続試験が行われた。 釜石電報電話局では、釜石市長代理、釜石漁連会長などが出席した。 そして盛岡市長から釜石市長へのメッセージ交換などが行われた。 また、それまで混信がちだった通話も非常… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 22日 1960 一関で35℃と記録的な暑さ(昭和35年7月22日) 昭和35年7月22日の岩手報知より。 この日、一関では35℃と記録的な暑さになったのだと言う。 ちなみに、現在では35℃などと言う気温は、7月単独としても10位にすら入らない程度となってしまった。 … 続きを読む
l全県 1月 11日 1960 日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 日本海に低気圧が発生し、東北地方に前線が横切り、その前線の北側では雪、南側では雨となった。 盛鉄局施設部保線課によれば、各駅の降雪量は以下の通り。(カッコ内は積雪量) 東北本線 一戸 10(10) 奥中山 10(55) 盛岡 15(20) 北上 5(5) 水沢 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1960 民衆駅になって初めての年末年始を迎えた盛岡駅(昭和35年1月5日) 昭和35年1月5日の岩手日報より。 盛岡駅は前年11月19日に「民衆駅」として駅舎が新しくなり、新しい時代を迎えることになった。 その初めての年末年始の輸送は非常に好調なものとなった。 新生活運動による「正月一本化」で、農山村でも新正月で正月行事を行うところが多くなり、年末年始の輸送は増加傾向にあっ… 続きを読む
l全県 9月 28日 1959 伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 19日 1959 釜石市内電話増設ご案内(昭和34年5月19日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石市内の店舗で電話が開通したところが広告を出している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 4日 1959 一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日) 昭和34年4月4月の岩手報知より。 この日は一関の最高気温は十六度七分と今年の最高を示した・・・のだというが、この記事の見出しは「最高気温17度6分」で、一体全体17.6℃なのか16.7℃なのか判然としない。 また、盛岡地方気象台では4月3日15時に「異常乾燥注意報」を発表したようである。 ともかく… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 24日 1958 一関で台風11号の被害甚大(昭和33年7月24日) 昭和33年7月24日の岩手報知より。 この年の台風11号は、7月22日〜23日にかけて、一関にも多大な被害を及ぼしたようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 18日 1958 一関では33℃という真夏型(S33.7.18岩手報知) 一関では33℃で「この夏最高の気温」であったという。 ちなみに、現在の一関では7月だけでも38.0℃が最高気温であり、33℃など10位にも入らないほどになってしまっている。 … 続きを読む