e釜石・遠野・上閉伊郡 15 1月 1964 大槌小学校では廃品回収で修学旅行資金を稼ぐ(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 大槌小学校では廃品回収で修学旅行を稼ぎ、1人の欠席者も出さないと意気込んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 11月 1963 釜石で新聞配達少年の集い(昭和38年11月3日) 昭和38年11月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内の、釜石化成ビル内のレストランで新聞配達少年に感謝する集いが催された。 … 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1962 松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1962 釜石繊維同友会加盟店の定休日変更について(昭和37年7月2日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石繊維同友会に加盟している各店舗は当時の釜石市内でも、名だたる大規模店舗であったようだが、これまで毎週金曜日を定休日としていたようだ。 しかし、7月から8月の金曜日は、従業員の交代休暇をとって、平常通り営業するようである。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 11月 1961 水沢市内の藁加工工場では運転手を初任給12000円で募集!(昭和36年11月14日) 昭和36年11月14日の胆江日日新聞より。 水沢市内の藁工品工場では運転手を募集している。 店員が6000円程度であるのに対し、運転手だと12000円であるという。 運転免許がいかに高給への花道であったかを物語っている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢の材木店の初任給は6000~8000円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢職業安定所を通して、材木店が求人広告を出している。 初任給は6000~8000円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 11月 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 4月 1961 玉山村の中学校から集団就職(昭和36年4月7日) 昭和36年4月7日の中日ニュースより。 https://www.youtube.com/watch?v=S84x-8q-L4U 中日ニュースで、昭和36年の玉山村の中学校の集団就職について報じている。 高度成長期の頃、高校進学率が低く、首都圏で人不足だった頃、中学校卒業の労働力は「金の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1961 釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日) 昭和36年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所には、求人申し込みが殺到していたが、失業保険のほうも相変わらず受給者が多かった。 支給日である毎週水曜日は、待合室から道路まで失業者の群れがひしめいていた。 冬になると、操業休止する事業所が多く、そこから失業する労働者が出るのであった。 2月の場… 続きを読む
l全県 2 3月 1960 学校用務員に身分保証がなかった(昭和35年3月2日) 昭和35年3月2日の岩手日報より。 投書欄では、この当時の学校用務員の身分保証のなさを嘆いている。 当時は学校長の裁量で採用していたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 8月 1959 釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日) 昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 水産業界は漁期が来て、釜石製鉄所も好景気ということで釜石公共職業安定所には求人票が殺到、オート三輪を広報車にして人集めに駆り出されることになった。 求人票は600〜700名分あり、内訳は以下の通りであったという。 釜石製鉄所作業員 70名 海陸運送 男子 1… 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 一関職安管内の北海道農夫出稼ぎ希望者は求人の半分以下の応募(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 北海道季節農業労務者は一関公共職業安定所で150人の求人に対し、半分以下の70人しか集まらなかったという。 この70人は、4月2日と4日に北海道に向けて出発するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日) 昭和34年3月31日の岩手報知より。 中学校を卒業して集団就職する若者の第4陣が、3月30日19時51分、臨時列車で一ノ関駅を出発した。 人数としては、一関職安管内で230名余り、水沢・千厩職安管内も合わせると600名余りとなったという。 これに先立って、14時から就職者を一関小学校の講堂に集め、菅… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 11月 1958 就職するのか高校に行くのかどっちかにして(S33.11.5岩手報知) 昭和33年当時は高校進学率も低く、中卒者の労働市場があった。 ところが、高校に行くことになったので内定を蹴るとかもあったようで、職安も雇用主も頭の痛い問題だったようだ。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 10 9月 1958 一関市の失対事業が労働大臣賞を受賞(S33.9.10岩手報知) 当時は、どこでも失業対策事業をやっていたようだが、一関市のそれは、その技術の高さから労働大臣賞を受賞したようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
c久慈・九戸郡 20 1月 1958 種市モグリが海外から次々求人(昭和33年1月20日) 昭和33年1月20日のデーリー東北より。 この当時、日本のサルベージ界のシェアを独占していたという種市町の「種市モグリ」が海外の求人が相次いでいるというニュース。 貴重な外貨の獲得源となっていたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 1月 1958 完成間近の久慈職業安定所の庁舎(昭和33年1月5日) 昭和33年1月5日のデーリー東北より。 久慈公共職業安定所の庁舎はすっかり古くなっていたので立て替えることにした。 中旬には移転の予定であるという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 30 10月 1957 久慈電報電話局に「東北一のお掃除おばさん」(S32.10.30デーリー東北) 久慈電報電話局には、東北通信局からも表彰される「掃除のおばさん」がいたという。 … 続きを読む