a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 6日 1962 再建案も軌道に乗らぬ松尾鉱山(昭和37年11月6日) 昭和37年11月6日の河北新報岩手版より。 「東洋一の硫黄鉱山」と言われていた松尾鉱山は、この時代になると、石油精製時の回収硫黄によって、わざわざ鉱山で掘る必要がない状態となっていた。 それで、10月中旬には希望退職を募り、従業員3500人の中1075人が退職を申し出たと言う。それで生産量も下降し、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 2日 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1962 釜石繊維同友会加盟店の定休日変更について(昭和37年7月2日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石繊維同友会に加盟している各店舗は当時の釜石市内でも、名だたる大規模店舗であったようだが、これまで毎週金曜日を定休日としていたようだ。 しかし、7月から8月の金曜日は、従業員の交代休暇をとって、平常通り営業するようである。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 14日 1961 水沢市内の藁加工工場では運転手を初任給12000円で募集!(昭和36年11月14日) 昭和36年11月14日の胆江日日新聞より。 水沢市内の藁工品工場では運転手を募集している。 店員が6000円程度であるのに対し、運転手だと12000円であるという。 運転免許がいかに高給への花道であったかを物語っている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢の材木店の初任給は6000~8000円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢職業安定所を通して、材木店が求人広告を出している。 初任給は6000~8000円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1961 玉山村の中学校から集団就職(昭和36年4月7日) 昭和36年4月7日の中日ニュースより。 https://www.youtube.com/watch?v=S84x-8q-L4U 中日ニュースで、昭和36年の玉山村の中学校の集団就職について報じている。 高度成長期の頃、高校進学率が低く、首都圏で人不足だった頃、中学校卒業の労働力は「金の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1961 釜石職業安定所には失業保険受給者の群れ(昭和36年3月1日) 昭和36年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所には、求人申し込みが殺到していたが、失業保険のほうも相変わらず受給者が多かった。 支給日である毎週水曜日は、待合室から道路まで失業者の群れがひしめいていた。 冬になると、操業休止する事業所が多く、そこから失業する労働者が出るのであった。 2月の場… 続きを読む
l全県 3月 2日 1960 学校用務員に身分保証がなかった(昭和35年3月2日) 昭和35年3月2日の岩手日報より。 投書欄では、この当時の学校用務員の身分保証のなさを嘆いている。 当時は学校長の裁量で採用していたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 21日 1959 釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日) 昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 水産業界は漁期が来て、釜石製鉄所も好景気ということで釜石公共職業安定所には求人票が殺到、オート三輪を広報車にして人集めに駆り出されることになった。 求人票は600〜700名分あり、内訳は以下の通りであったという。 釜石製鉄所作業員 70名 海陸運送 男子 1… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 一関職安管内の北海道農夫出稼ぎ希望者は求人の半分以下の応募(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 北海道季節農業労務者は一関公共職業安定所で150人の求人に対し、半分以下の70人しか集まらなかったという。 この70人は、4月2日と4日に北海道に向けて出発するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 30日 1959 集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日) 昭和34年3月31日の岩手報知より。 中学校を卒業して集団就職する若者の第4陣が、3月30日19時51分、臨時列車で一ノ関駅を出発した。 人数としては、一関職安管内で230名余り、水沢・千厩職安管内も合わせると600名余りとなったという。 これに先立って、14時から就職者を一関小学校の講堂に集め、菅… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 24日 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 10日 1958 一関市の失対事業が労働大臣賞を受賞(S33.9.10岩手報知) 当時は、どこでも失業対策事業をやっていたようだが、一関市のそれは、その技術の高さから労働大臣賞を受賞したようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 20日 1958 種市モグリが海外から次々求人(昭和33年1月20日) 昭和33年1月20日のデーリー東北より。 この当時、日本のサルベージ界のシェアを独占していたという種市町の「種市モグリ」が海外の求人が相次いでいるというニュース。 貴重な外貨の獲得源となっていたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1958 完成間近の久慈職業安定所の庁舎(昭和33年1月5日) 昭和33年1月5日のデーリー東北より。 久慈公共職業安定所の庁舎はすっかり古くなっていたので立て替えることにした。 中旬には移転の予定であるという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 30日 1957 久慈電報電話局に「東北一のお掃除おばさん」(S32.10.30デーリー東北) 久慈電報電話局には、東北通信局からも表彰される「掃除のおばさん」がいたという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 26日 1957 千代田生命一関支部江刺出張所では職員募集!(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 千代田生命一関支部江刺出張所では職員を募集している。 初任給は4千円。 というか、江刺支部って中心部の岩谷堂じゃなくて田原にあったの… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 24日 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 4月 19日 1957 北上で頑張る美容師の卵(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 仕事をがんばっている若者に特化した囲み記事で、北上で頑張る美容師の卵について取材している。 和賀町の中学校を卒業して、花巻の理容美容学校を卒業し、北上の床屋でがんばっているのだと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 2月 8日 1956 久慈職安に待望の求人(S31.2.8デーリー東北) 久慈職安ではサンドイッチマンまで出して求人を募っていたが、その甲斐あって各企業が求人を出すようになったという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 24日 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 26日 1955 小春日和にビルの屋上でBGが日向ぼっこ(昭和30年11月26日) 昭和30年11月26日の岩手日報より。 師走もあと5日という時に大陸から張り出した高気圧で連日の陽気で小春日和となり、盛岡市内のBGも屋上で日向ぼっこである。 ところで、岩手山と県公会堂が見えるこの場所はどこだろう? なんとなく現在の盛岡東警察署のあたりのようにも思えるが・・・ ちなみ… 続きを読む