b二戸・二戸郡 1 9月 1934 荒沢村の座敷牢放火殺人事件(S9.9.1) 昭和9年9月1日、岩手県二戸郡荒沢村(現在の八幡平市荒屋新町)で、精神疾患により自宅裏手の監置場に隔離されていた男が火災によって焼死する事件が発生した。この監置場は、男が暴行を働くようになったため、同年4月末に木造で建設されたものだった。 焼死した男は、精神疾患を発症する以前は牛馬商を営んでおり、そ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 9月 1934 二戸郡で犬が次々と謎の病気で死ぬ(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 福岡町を中心に、二戸郡の各村一帯で犬の病気が流行して、5〜6日の短期間で倒れて死ぬと言う恐ろしい状態となっていた。 獣医に聞いても、どのような病気であるかわからないと言う。ただ、人間で言えば腸チフスのようなもので、いちどこれにかかってしまうと、ハクタレルで死んでしま… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 先般、東北医学大会でリンゴ食療法を提唱した岩手医専の教授は、岩手日報の取材に応じ「おろしがねですりおろして食べれば下痢に効果がある」と主張した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 3月 1933 昭和初期は疾病に関するプライバシーなど無かった 今でこそ、病気に関する情報はプライバシーとして守られているが、昔は全然そんな概念などなかった。 有効な治療法が存在しなかった時代は、せめて「どこの家で発生したか」知ることで、感染を防ぐという需要はあったのかも知れない。 2020年からのコロナ禍においても、「感染者のプライバシーの為に住所は公表しない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1932 昭和7年当時の盛岡市内の個人医院(S7.1.8岩手日報) 昭和7年1月8日の岩手日報に掲載された広告より。 当時の盛岡市内にあった個人医院は次の通りです。 阿部医院(外科・肛門科・性病科)盛岡市仁王小路 船山医院(婦人科・産科、入院室あり)盛岡市馬場町 見坊内科医院(内科一般、特に胃腸)盛岡市仁王小路 斗ヶ澤医院(乳児科・小児科)盛岡市仁王小路 井川医院(… 続きを読む
hスポーツ 3 9月 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 昭和6年9月3日の岩手日報に掲載された広告。女子陸上競技の先駆者であり、日本人女性として初めてオリンピックに出場した人見絹枝が亡くなったのは、この1か月前のことだった。死因は過労とされ、その衝撃は大きかった。 広告ではこの出来事に触れつつ、「過労は短命のもと」と警告。体力を回復させるには薬の服用が有… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 星チェーンストア岩手・青森県連合大会を開催します(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報には、ある注目すべき告知が広告欄に掲載されていた。 それは、「岩手・青森県連合星チェーンストア大会」の開催告知である。会場は盛岡市の県公会堂、日程は昭和5年(1930年)3月5日 午前10時とされている。 この「星チェーンストア」とは、あの星製薬が展開した、日本で最初期の本… 続きを読む
l全県 1 3月 1930 岩手県の新生児死亡率は「ベラボーに高率」(S5.3.1岩手日報) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事によると、当時の岩手県では嬰児(乳児)死亡率が他府県に比べて「ベラボーに高率」とされ、深刻な問題として県当局が受け止めていた。具体的な統計数字は掲載されていないものの、その表現から事態の切迫感が伝わってくる。 これに対して岩手県の社会課は、乳児の死亡を防ぐための… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 昭和5年の岩手県議会議員選挙をめぐり、盛岡地方裁判所検事局は大規模かつ徹底的な選挙違反捜査を展開していた。 この日報じられたのは、その取り調べが医療の領域にまで及んだという事実である。容疑の一つに「病気を装っていたのではないか」という疑惑が浮上し、検察はその裏付けとして病院関係者を聴取したのみならず… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 3月 1930 トラホームは「虎眼」?(S5.3.1岩手日報) 昭和5年(1930年)3月1日の『岩手日報』には、今ではあまり見かけない病名が登場する。それが「虎眼(とらめ)」、すなわちトラホームである。 記事によれば、水沢町(現・奥州市)では3月4日、徴兵年齢に達した壮丁者たちに対し、虎眼の検診が行われるという。 トラホームとは、クラミジア属の細菌によって引き… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 9月 1929 宮古町で腸チフス流行(S4.9.1岩手日報) 昭和4年9月1日付の岩手日報には、下閉伊郡宮古町における腸チフス流行の模様が伝えられています。 記事によれば、当時の宮古町では腸チフスの患者がすでに10名に達しており、町内の隔離病舎(定員14名)の収容力が限界に近づいていました。通常であれば数名の発症にとどまるところ、今回は綟々(れいれい)と患者が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 9月 1928 観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報) 昭和3年9月5日付『岩手日報』は、盛岡市観武ヶ原に駐屯する陸軍騎兵第二十三連隊附属の機関銃隊から、兵卒1名が脱走した事件を報じています。 脱走したのは、秋田県山本郡鹿渡村出身の兵卒で、記事では「狂へる兵卒」と表現されており、精神的に異常な言動があったとみられています。この兵は、当初は遊撃軍属として勤… 続きを読む
l全県 1 9月 1928 イチジク浣腸は1円50銭(S3.9.1岩手日報) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 広告欄に掲載されているのは、当時まだ新興企業だった「東京軽便浣腸製造所」による製品、「イチジク印軽便浣腸」。着物姿の母親が子どもに浣腸を施す印象的な図柄が目を引く。 この「イチジク浣腸」は、1925年(大正14年)に医師・田村廿三郎によって製造が開始されたもので、翌… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 1月 1927 盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) 昭和2年の年明け早々、盛岡では流行性感冒(いわゆる流感)が急速に拡大し、市内の医療機関が慌ただしさを増していた。市民の間でも不安が広がり、新聞紙上では予防と対策の重要性が呼びかけられている。 この流感について、当時の岩手病院内科部長は次のように語っている。 「死亡率は非常に低いが、悪性で注意を要する… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 12月 1926 吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) 肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。 … 続きを読む