a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 6日 1950 三田定則岩手医大学長死去(昭和25年2月6日) 昭和25年2月7日の新岩手日報より。 法医学の父と呼ばれ、岩手医科大学の学長であった三田定則が死去。 大学では大学葬を行うことになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1950 入院中の皆さん!GHQのお達しにより必ず病院給食を食べましょう!(昭和25年1月14日) 昭和25年1月14日の岩手新報より。 盛岡市内各病院が連名で広告を出しており、「GHQのお達しもあり、必ず給食を食べましょう!」と。 給食代が払えないから食べませんということだったのだろうか。 … 続きを読む
l全県 11月 9日 1949 県「11月10〜16日は結核予防週間です!」(昭和24年11月9日) 昭和24年11月9日の岩手新報より。 岩手県衛生部・各保健所・岩手県医師会の連名で結核予防週間に関する広告が出されていた。 個人的なことを言うと、BCG検査に関しては小学校の頃(昭和50年代末頃)受けたことがある。 結核は恐ろしい病気だったのだ。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 3日 1949 イワテ特製胃散「何処でも評判!評判だ」(昭和24年7月3日) 昭和24年7月3日の岩手新報より。 岩手県製薬という製薬会社があったようで、9日分が50円、15日分んが80円であったという。 これが月給に比べてどのくらい妥当だったかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 26日 1948 仙台からの水害御見舞い広告(昭和23年9月26日) 昭和23年9月26日の岩手新報より。 アイオン台風で水害を被った岩手県内の事業所に対し、仙台の会社が水害御見舞い広告。 昔から医者の世界はこうした付き合いが大切だったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1948 岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) 昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1947 岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) 昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 28日 1946 赤痢予防に蠅討伐 昭和21年8月28日の岩手新報(岩手日報とは別)に、本当にそういう見出しで書いているのである。 気仙郡上有住村では、赤痢の蔓延に4千人の村民が悩まされていた。 それは薬剤不足による蠅の蔓延によるものである。 あまりの恐怖から、一家が食事をするときにまで蚊帳の中でするという始末。 隣の世田米町でも状況… 続きを読む
j東磐井郡 8月 1日 1944 東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 3日 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 3日 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5月 15日 1937 岩谷堂で人気の狂人「八つぁん」死す 江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺区岩谷堂)で「八つぁん」と呼ばれ親しまれていた47歳の男は、3~4日前から行方が分からなかったが、15日になって町内の馬蹄工場跡で心臓マヒを起こして死んでいるのが発見された。 八つぁんは、若いころは腕利きの左官であったというが、20代半ばで発狂し、腹が減ればどこからでも… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 27日 1935 稗貫郡湯口村で県内初の村立病院(昭和10年2月27日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 稗貫郡湯口村では、村立病院を計画しており、2月27日の村議会で満場一致で決定された。 予算総額は7300円で、300円は用地日、5000円を建設費、2000円は設備費で、専属医師1名を置き、他に花巻共立病院や組合病院と協定して、毎日1回か2回、専門医の出張を求める… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 1日 1934 二戸郡で犬が次々と謎の病気で死ぬ(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 福岡町を中心に、二戸郡の各村一帯で犬の病気が流行して、5〜6日の短期間で倒れて死ぬと言う恐ろしい状態となっていた。 獣医に聞いても、どのような病気であるかわからないと言う。ただ、人間で言えば腸チフスのようなもので、いちどこれにかかってしまうと、ハクタレルで死んでしま… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 先般、東北医学大会でリンゴ食療法を提唱した岩手医専の教授は、岩手日報の取材に応じ「おろしがねですりおろして食べれば下痢に効果がある」と主張した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 2日 1933 昭和初期は疾病に関するプライバシーなど無かった 今でこそ、病気に関する情報はプライバシーとして守られているが、昔は全然そんな概念などなかった。 有効な治療法が存在しなかった時代は、せめて「どこの家で発生したか」知ることで、感染を防ぐという需要はあったのかも知れない。 2020年からのコロナ禍においても、「感染者のプライバシーの為に住所は公表しない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 5日 1930 星チェーンストア岩手・青森県連合大会を開催します(昭和5年3月5日) 昭和5年3月1日の岩手日報の広告欄より。 来る3月5日に、岩手県公会堂で岩手・青森県連合星チェーンストア大会を開催するという。 この「星チェーンストア」こそは星製薬による日本で初めてのチェーンストアであり、その創業者星一は、SF作家星新一の父親でもある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1930 トラホームは「虎眼」?(昭和5年3月4日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 水沢町では3月4日に壮丁者(徴兵年齢に達した者)にトラホームの検診を行うという。 ところで見出しには「虎眼」。 Googleで検索する限りでは、トラホームを「虎眼」とするのは一般的ではないようだ。 そして昭和5年は午年であったようだ。 … 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 11日 1926 吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) 肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。 … 続きを読む