備考※1 1月 1日 1982 【参考】ミス東京の撮影会(S57.1.15中日ニュース) 今やお孫さんがいそうな年齢。 https://youtu.be/bxW8X9Dr1PA?si=E-5HAmr2B2O62DYr… 続きを読む
b二戸・二戸郡 11月 30日 1967 福岡町(二戸)から北海道の虻田に出稼ぎに行っていた女性が帰郷(昭和42年11月30日) 昭和42年12月2日のデーリー東北より。 かつて、東北の農村から多数の労働力が出稼ぎに行っていたが、それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 女性が北海道や静岡などの農村に出稼ぎに行くと言う例もあったのである。 今回はそのような例で、… 続きを読む
ファッション・流行 10月 18日 1967 【参考】「ミニの女王」ツイッギー来日 昭和42年10月18日、「ミニの女王」ツイッギーが羽田空港に降り立つ。 https://youtu.be/7txzk6ldJrw… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 8日 1966 釜石市栗林の乙女たちは獅子舞ならぬ「鶏子舞」(昭和41年3月8日) 昭和41年3月8日の岩手東海新聞より。 釜石市栗林のある集落の乙女たちは、獅子舞ならぬ「鶏子舞」を踊っていたと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1966 釜石の人が見たベトナム美人(昭和41年3月4日) 昭和41年3月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人がベトナムに行ったようだ。 この時期はまさにベトナム戦争の真っ最中で、韓国が「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」と数々の師団をベトナムに送り込み始めた時期でもある。 この白土さんという人は、新聞記者か何かだろうか。 具体的に戦争に関する記述は無いが、女… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 1日 1965 4コマ漫画「らばさん」:フェミニストのいなかった時代(昭和40年12月1日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 この時期になると、東海新聞にも4コマ漫画が出ていたようである。 今回は、整形外科を題材にしたもの。 2コマ目までは、美容整形をする女性を、それほど否定的には描いていない。 問題は3コマ目と4コマ目。 美容整形をした中年女性を、旦那は逃げてしまう。 このような… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 4日 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 2日 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 5日 1962 女性が薄着で歩くと痴漢が増えますよ!(昭和37年7月5日) 昭和37年7月5日の岩手東海新聞より。 釜石は、前年に市役所女性職員殺害事件が発生するなど、女性にとっても全く恐ろしい町となっていた。 岩手県警本部では「普段から注意してスキを与えないように」と呼びかけていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 4日 1962 盛岡の非行少女を大槌のカフェーに売り飛ばす(S37.7.4岩手東海新聞) 釜石警察署は、大槌町内のカフェの女店主を逮捕した。 盛岡市内の中学校を卒業した3人の少女を働かせていたのだという。 この少女たちは、中学校にも碌に行かない非行少女であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6月 9日 1962 石川県の織物工場も水沢職安に求人(昭和37年6月9日) 昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 石川県の織物工場から女工の求人が水沢職業安定所に来ていた。 「現在水沢管内出身者38名が元気で働いております」と。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 14日 1960 釜石のBGは初給料を何に使う?(S35.5.14岩手東海新聞) 釜石のBG(昔はOLをそう呼んだ)は初任給を何に使ったか?という話。 及新百貨店の店員、東部バスのバスガイドというのが時代。… 続きを読む
l全県 1月 6日 1960 杉浦幸雄「チャキチャキ娘」(昭和35年1月6日) 昭和35年1月6日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画は杉浦幸雄「チャキチャキ娘」。 杉浦は明治生まれであるが女性描写には定評があり、「ヒゲとボイン」の小島功にも影響を与えたという。 確かにシンプルな描線で描かれた女性は「令和の漫画」として掲載してもさほど違和感無く受け入れられるのでは… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 15日 1957 ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の江刺のローカル新聞「岩手民声新聞」より。 この時期連載されていたのは「ポン児君」という4コマ漫画。 正直言って、どんなふうに面白いのか謎である。 あえて解釈するならこんな感じだろうか。 主人公の前の席にはもともと美女が座っていたが、辞めてしまい後任は美人ではない女性。 主人公は… 続きを読む
l全県 8月 1日 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 1日 1957 二戸郡浪打村の鳥越小学校に県内6人目の女性校長(S32.4.1岩手日報) 二戸郡浪打村(後の一戸町)の鳥越小学校に県内6番目の女性校長。 この当時、鳥越小には241人の児童がいたという。 2017年に閉校した時には16人であったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 8日 1956 酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日) 昭和31年5月9日の岩手日報より。 5月8日の昼下がり、盛岡の中心街・大通3丁目で仙北中学校の女生徒が「白い羽根」の赤十字募金を募っている。 そうすると、酔っ払った老人が「子供たちに募金させてるのは誰だ!」と、その女生徒に殴りかかったのだ。 それを見た通行人が慌てて引き離したが、興奮した老人は女生徒… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 11月 11日 1955 花巻にモダンな婦人会館 昭和30年11月11日の岩手日報より。 花巻町役場が花巻中学校の跡地に引っ越したので、その跡地に婦人会館を建設した。 建物はモルタル塗りのクリーム色で、窓枠は薄いグリーン、正面は3階が化粧ガラス張りで、内部はフローリングの集会場などがあったという。 … 続きを読む
j東磐井郡 11月 6日 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 18日 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 23日 1955 一関七夕始まる(昭和30年8月23日) 昭和30年8月23日の河北新報岩手版より。 この日、一関でも七夕まつりが始まった。 写真は一ノ関駅の七夕飾りである。 これに先立ち、8月20日にはミス一関コンテストが行われ、20名のうちから以下の3名が入賞した。 ミス一関:塗料店勤務(20歳) 準ミス一関:専売公社職員(20歳)、一関服装学院生徒(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 川徳デパートでは水着の大売出し(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には川徳デパートの水着セールの広告。 一番高いので1150円程度。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 24日 1954 一ノ関駅の公衆便所に赤ちゃんの死体が投げ入れられる(昭和29年3月24日) 昭和29年3月25日の岩手日日より。 3月24日の朝6時20分ごろ、一関駅構内の公衆便所の汲み取り作業していると、西側4つ目の便壺に、生後間もない男児の死体が手ぬぐいに包まれて投げ捨てられてあるのを発見し、一関市警察署に届け出たものである。 検死の結果、死後2日から3日経過しており、窒息死したものと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 6日 1954 岩手県経済連の女子事務員に新しい事務服 昭和29年3月6日の岩手日報より。 ある程度以上の年齢であれば「岩手県経済連」と言えば「農協」のことであると分かることと思う。 社会人野球でも強豪であった。 当時は盛岡の呉服町(現在の中の橋の近くの第九十銀行跡のあたり)にあった。 その岩手県経済連で、女子事務員に新しい事務服というニュースである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 29日 1953 水沢花柳界麗人人気投票(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 胆江日日なので水沢の花柳界なのだとは思うが、人気投票をしている。 で、主催はこの胆江日日新聞ではなく「陸中新報社」。 Googleで検索しても出てくるわけではなく、全くわけがわからない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 3日 1953 中山マサ厚生政務次官が水沢で講演し座談会(昭和28年9月3日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 水沢公民館主催の夏季大学では、厚生政務次官の中山マサを招聘して講演会を行ったという。 その後の座談会では、以下のようなことが話し合われたという。 未亡人にはタバコ販売店が優先的に許可されるので更生の一端にしてほしい。 妊娠調節の不徹底で不幸が起きている。その器… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 26日 1953 ある離婚シングルマザーの話(昭和28年8月26日) 昭和26年8月26日の岩手日日より。 囲み記事で、ある離婚の話が書かれている。 夫があまりに頼りなさすぎること、性格が不一致であることで離婚を選んだようだ。 岩手日日の記事ではあるが、一関の人の話かどうかは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 またまた女運ちゃん2名合格(昭和26年7月31日) 昭和26年7月31日の「夕刊いわて」より。 当時、運転免許自体を持つことが珍しかった時代、女性の運転手はもっと難しかった。 それでもまた2人合格者が出たと言うことで話題をさらった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 21日 1951 盛岡に17歳の麗人タクシー運ちゃん登場(昭和26年6月21日) 昭和26年6月21日の「夕刊いわて」より。 盛岡の杜陵タクシーに、17歳の女の子が運転手としてデビューするという。 当時は盛岡最大の歓楽街であった八幡町の小料理屋の一人娘でケイ子ちゃんと言ったという。(本名は別) 岩手女子高校ではバレーボール部や水泳部で活躍するほど活発な少女であった。 運転免許を取… 続きを読む