e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 2月 1956 水沢で雪の芸術祭(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 水沢で恒例の雪の芸術祭は、荒天のために延期になっていたが、2月5日に開催されたという。 雪像のコンクールだったようで、この年1位になったのは南町子供会の「千秋楽」であったという。 2位は不断町の「機関車」、3位は大畑小路の「後藤寿庵像」、新小路の「金太郎のす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石市役所の立春(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報より。 翌日に立春を控えた釜石市役所の表情。 昼休みに、職員たちがバレーボールに興じている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 29 1月 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 1月 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
m県外・参考 22 1月 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 1月 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 1月 1956 岩手山の山頂なら仙台のテレビが見れるかも?(昭和31年1月19日) 昭和31年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市内にはアマチュア無線局は27局あり、東北一であったという。 受信しているだけの愛好家も合わせれば50人はいたのではないかと言われていた。 その盛岡ではアマチュア無線クラブがあったが、この年の目標は「4月に仙台で放送が始まるテレビを岩手山頂で受信しよう… 続きを読む
m県外・参考 14 1月 1956 「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(S31.1.14岩手日報) 昭和31年1月14日の岩手日報に掲載された古い記事は、華やかな舞台の裏側にあった芸人たちの厳しい現実と、それを乗り越えようとした熱い人情を伝えています。この記事の中心となっているのは、のんき節で一世を風靡し、戦後は国会議員も務めた石田一松の悲劇的な最期です。彼は胃がんを患い、約1年半にわたる闘病生活… 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 1月 1956 沿岸で珍しい大雪(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 基本的に、岩手県の沿岸部の太平洋岸にはそれほど雪は降らないものである。 それは、普段雪を降らせている原因は「冬型の気圧配置」によりシベリアからの寒気が日本海の水蒸気を日本海側に運び、日本海側で大雪を降らせることはあっても、その水蒸気が奥羽山地や北上山地まで越える… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 1月 1956 新里村で20貫(75kg)のクマ射止める(昭和31年1月11日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 前年2月1日に下閉伊郡茂市村と刈屋村が合併して誕生した新里村の山中で、20貫(75kg)のメス熊を射止めたという。 1月11日に熊狩りに行っていたところ、日が暮れようとしている4時半にクマ穴を発見。 中からクマが出てきたので4mの至近距離までおびき寄せ、襲い掛か… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 1月 1956 悪書追放のために紙芝居をする大野村の女性(昭和31年1月10日) 昭和31年11月10日のデーリー東北より。 大野村では、悪書追放のために子供たちに紙芝居をしている女性がいるという。 この17歳の女性は、村の農業共済組合に勤めていると言う。 文芸や映画好きなこの女性、もともとは久慈高校大野分校に通っていたのだが、前年の8月に父親が急死してから、一家を助けるために高… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8 1月 1956 大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日) 昭和34年1月8日の河北新報岩手版より。 大船渡市では全国の都市に先駆けて、国保の10割給付を行っていたという。 つまり毎年の国保料を支払っていれば無料で医者にかかれるということ? ・・・それはともかく、そのような状態でもあり大船渡市の財政は危機にさらされていた。 それで大船渡市立の病院が建設できず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 1月 1956 カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。 ちなみに、どちらも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1956 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明… 続きを読む
l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 3 1月 1956 新生活運動の正月(昭和31年1月3日) 昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 12月 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 いよいよ日赤の血液銀行が1月から開始します!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 本来であれば、昭和29年7月に岩手県内でも献血が始まっているはずだった。 それが、資金難で延び延びになっていたのだ。 準備にかかったこと自体が昭和29年秋であるという状況であった。 それが、資金がどうにかなって昭和31年1月から開始することができるというのであ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 25 12月 1955 二戸郡では凍豆腐の最盛期(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 凍豆腐の産地である二戸郡では、生産の最盛期を迎えているという。 写真はこの年の3月に二戸郡福岡町に合併したばかりの斗米村にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 盛岡市内の餅屋「今年は豊作なのでお正月の餅は普通米と引き換え無しで特別配給しますよ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 盛岡市内の餅屋は正月の餅作り大忙しである。 例年であれば、餅の配給は普通米から正月三が日分差し引いて配給するのだというが、この年は豊作だったので、三が日分差し引かなくても3日分「特別配給」するという。 この当時の米穀配給制度が垣間見えるニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 12月 1955 雫石で「黒焼き」「ラクダの脳みそ」を薬として売る祈祷師の女を逮捕(昭和30年12月23日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 雫石町の自宅で「婦人科肋膜の薬・黒焼き」として炭の粉を売ったり、「ラクダの脳を煮染めた水」として精神病の薬だとして農民の無知に付け込んで売っていた祈祷師の女を12月23日に逮捕した。 … 続きを読む
l全県 27 11月 1955 県内では高校進学率に偏り(S30.11.27岩手日報) 岩手県高校教員組合が行った定時制高校の実態調査の中間報告によると、県内の定時制教育は全国平均と比べて財政面などで後進的であることが明らかになった。県では定時制高校の統廃合が進められていたが、高教祖はこれを教育の発展ではなく破壊と捉え、現場の教員の手で勤労青少年対策を築こうとしていた。盛岡や穀倉地帯で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 11月 1955 小春日和にビルの屋上でBGが日向ぼっこ(昭和30年11月26日) 昭和30年11月26日の岩手日報より。 師走もあと5日という時に大陸から張り出した高気圧で連日の陽気で小春日和となり、盛岡市内のBGも屋上で日向ぼっこである。 ところで、岩手山と県公会堂が見えるこの場所はどこだろう? なんとなく現在の盛岡東警察署のあたりのようにも思えるが・・・ ちなみ… 続きを読む
l全県 22 11月 1955 岩手県内に欠食児童は6,000人! 昭和30年11月22日の岩手日報より。 日教組の岩手県支部である岩教組では、生活保障や給食対策などの基礎資料の為に、欠食児童の調査を進めていた。 そうしたところ、欠食児童は全体の2%に当たる6000名に上っていた。 地域としては下閉伊(宮古)、九戸(久慈)といった沿岸や県北に多かったという。 穀倉地… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 11月 1955 雪に子供たちが大喜び(昭和30年11月22日) 昭和30年11月22日の岩手日報より。 20日から県内一帯に寒波が襲来し、21日朝の盛岡の最低気温は-4℃となった。 午後の2時頃には盛岡市内に雪が降り始めた。 盛岡測候所によれば、これは沿海州の冷たい低気圧によるものだということで、22日も1~2cmの積雪になろうという予想であった。 写真は盛岡市… 続きを読む