a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) 盛岡中学校(現:盛岡一高)など盛岡市内の各中等学校では、志願者減となっていたようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の夜から、紀年館で日活映画「修羅城」「父」を公開するのだという。 ちなみに紀年館とは、大正4年11月23日開館の盛岡における最初の常設映画館で、肴町~八幡宮の通りにあったらしい。 ともあれ「修羅城」は昭和4年10月1日公開で大河内伝次郎などが出演、「父」は昭和… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 盛岡の遊郭である八幡町の貸座敷組合では、80名いた娼妓にアンケートを取り、以下のような改革を行うこととなった。 勘定書はこれまで番頭が持っていたものを仲居に持たせ、娼妓の手当を増す。 1時間制を採用し、1時間1円50銭とする。 盛岡警察署長も「遊興を猛烈に誘う結果に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 28日 1930 内丸通りで絵を描く人(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 「季節を描く人」として内丸通りで絵を描いている人を撮影している。 この当時、当然道路は舗装されているわけではない。 現在では県庁やら市役所やら県警本部やらでコンクリートしかない内丸界隈も、当時は季節を感じるほどに自然があったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1929 盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 盛岡市職業紹介所における、8月中の求職状況は、男68名、女17名の85名の求職に対し、就職したのは男30名、女11名の41名に過ぎなかったと言う。 男は珍しく店員や行員の就職が多く、女は大抵が女中であった。 これでも、1月から求職をしていながら、いまだに職業がないも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報) 岩手公園にある南部利祥中尉の愛馬の銅像が「怪我をした」というので修復作業。 ちなみに、銅像は昭和19年に金属類回収令で「出征」してしまい、現存せず台座のみ残っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1929 立川飛行場の陸軍機が厨川村の雫石河畔に不時着(S4.9.5岩手日報) 立川飛行場所属の陸軍機が、弘前から帰る途中に厨川村の高圧電線に触れて雫石川の河原に不時着と。 この当時の厨川村で、雫石川の河川敷ということは、現在のイオン盛岡のあたりだろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1929 二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1929 今度の盛岡税務署長は「鬼熊」で有名な千葉県の佐原出身(昭和4年9月1日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 今度の盛岡税務署長は、9月1日の午前11時36分に、盛岡駅着の列車で到着した。 岩手日報の記者に対しては「赴任が意外に遅れ申し訳ございませんでした。税務署の生活は大正10年から3年間の属官生活、署長になってから4年になります。 出身地は「鬼熊事件」で有名な千葉県の佐… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1929 紫波郡・気仙郡の度量衡取締主任が岩手日報本社見学(昭和4年8月31日) 昭和4年9月1日の岩手日報より。 紫波郡と気仙郡の度量衡取締主任40名は岩手日報の本社を見学した。 度量衡と言う事は、秤の精度とかに関することであろうか。 いずれにしろ、町村役場では重要な仕事であったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1929 盛岡・内丸座で「明眸禍」公開!(昭和5年3月14日) 昭和5年3月14日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「明眸禍」を公開する。 「明眸禍」は菊池寛の小説の映画化で、初公開は昭和4年11月29日。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1928 盛岡馬検場で「おせり」始まる(昭和3年9月6日) 昭和3年9月6日の岩手日報より。 盛岡の馬検場では「おせり」が始まっていた。 当時はトラクターも軽トラックもなかったので、農作業には重要な動力だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1928 壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日) 昭和3年9月6日の岩手日報より。 盛岡の騎兵第八連隊と弘前歩兵第三十一連隊油川大隊は合同で演習をしていたようだが、その写真。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 5日 1928 すべての自動車に赤と青の信号を(昭和3年9月5日) 昭和3年9月5日の岩手日報より。 この時期、自動車はどんどん増えていったようだ。 この頃は、交差点等で曲がるときは運転手が助手が手で合図をするーーーつまり、今で言う自転車の手信号のように動作していたようである。 しかし、明るいうちであればそれで良いとしても、夜になると全く見えなくなるわけで、この年は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の特約販売店では、10月に行われる陸軍特別大演習の地図を販売するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の洋品店が広告を出している。 燕尾服やフロックコートなど、かなりかしこまった洋装である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 陸軍特別大演習は、今年は盛岡でやることが決まってはいたが正式な日程は決まっていなかった。 それが、以下のように決まったのである。 第1日:10月6日 花巻地方 第2日:10月7日 日詰地方 第3日:10月8日 盛岡地方 また、組分けは以下の通りであったと言う。 南軍… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 岩手無尽の広告(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 岩手無尽の広告。 こんな自然の豊かな所に本店があったということだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 盛岡・紀念館では「続水戸黄門」を上映中(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡の映画館「紀念館」では、「続水戸黄門」を上映している。 「続水戸黄門」は、昭和3年4月15日初公開の日活映画で、水戸黄門役を演じたのは山本嘉一。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1928 歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(昭和3年9月3日) 昭和3年9月3日の岩手日報より。 9月4日から二日間施行される、歩騎連合演習のため、康平大31連隊油川大隊と機関銃隊の総員543名が、9月3日の午後1時半に盛岡着の臨時列車で到着した。 そして、新田町の片倉製糸場に本部を置き、兵員は新田町・片原・厨川村の1部民家に泊まることとなった。 写真は、夕顔瀬… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 家畜病理学の研究のためにドイツに留学していた盛岡高等農林学校の教授が、3年間の留学期間を終えて盛岡に帰って来たというニュース。… 続きを読む