a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 八戸の男が盛岡や宮古で詐欺行脚(S8.11.1岩手日報) 八戸の男が岩手県内でこんなことをやらかした。 宮古で3円の宿代を踏み倒し、 盛岡で食い逃げ、 盛岡の別の料理店で「女中を世話してやる」と手付金30円を持ち逃げ、 盛岡市内の36歳離婚女性に「一緒になれば宮古で漁業をする」と結婚を約束するも、宮古で売られそうになっていることを察知し逃げられ、 宮古で「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 県公会堂を借り切って松屋デー(昭和8年11月1日) 昭和8年11月1日の岩手日報より。 松屋デパートでは、岩手県公会堂で「松屋デー」を開催するという。 それを岩手日報の一面広告に掲載しているというのが凄い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1933 川徳では春の呉服・雑貨大売出し! 昭和8年3月4日の岩手日報より。 前日に発生した三陸大津波に際し、「畏き辺り」つまり天皇陛下(というか宮内省なんだろうけど)は被害を「痛く御軫念あらせられ」、昭和2年の北丹後地震の時と同様、侍従を被災地にお差遣することとした、というニュース。 そのわきでは盛岡の川徳が「春の呉服・雑貨大売出し」の広告… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1933 岩手県警察部の巡査採用試験の問題(昭和8年3月1日) 岩手県の巡査採用試験は昭和8年3月1日午前9時から岩手県公会堂で行われた。 出願者250名に対し受験者は128名で、採用は15~16名の予定であるという。 そして、以下のような問題が出題されたという。 地理 イ、租借地 ロ、委任統治地の説明 ハ、奥羽地方にある県名を列挙しその県内の智明を列挙せよ 綴… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 2月 1933 今度は川徳が呉服雑貨大売出しを1面広告(昭和8年2月28日) 昭和8年2月28日の岩手日報より。 この時期にたまにあった1面トップの広告。 今度は川徳の呉服雑貨大売出し。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1932 盛岡の小学生が明治神宮参拝にいざいざ(S7.11.2岩手日報) 盛岡市内の小学生22名が明治神宮参拝に上京するというが、どうやってこの22名を選んだのかは不明。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 公会堂の松屋デー(S7.11.1岩手日報) 岩手県公会堂で松屋デーとして特売会をやるという記事。 ところで、一面が広告になってる時代もあったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 中等学校競技大会(S7.11.1岩手日報) この前日、中等学校競技大会が開催されたようで、陸上競技で優勝した青森師範、柔道で優勝した横手中学、弓道で優勝した盛岡中学の写真が掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 盛岡警察署の交通取締の結果(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 盛岡警察署では、10月18日〜30日まで各交番を指揮して交通一斉取り締まりを実施した。 その結果は以下の通り。 告発 28件 自動車無免許運転 3件 自動車泥除け無し 1件 自動車規定表示無し 6件 貨物自動車に乗車 1件 自転車警告設備無し 5件 自転車無灯火 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報によると、盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」と「キーンの決死隊」が上映されていました。 「野に叫ぶもの 争闘編」は、昭和6年7月23日に公開された松竹の無声映画で、鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子らが出演。「鬼も哭かしむ大社会派劇」だったようです。 一方「キーンの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋「鶏屋」では、1月10日から12日までの3日間、特売を実施していた。 広告によれば、寒の地玉子は10個で25銭、豚肉は400瓦(グラム)で30銭。 これに対し、上等うさぎ肉は同じ400瓦で13銭と、豚肉の半分以下の値段だった。 当時は鶏肉や豚肉と並び… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報に、盛岡〜日詰間を結ぶ乗合自動車の冬ダイヤが掲載されている。 運行していたのは「佐藤自動車部」という事業者で、当時はまだ地域ごとにこうした小規模事業者が路線を運営していた。 この佐藤自動車部も、戦時統合によって昭和18年に発足する「岩手中央バス」に吸収されることとなる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1932 昭和7年当時の盛岡市内の個人医院(S7.1.8岩手日報) 昭和7年1月8日の岩手日報に掲載された広告より。 当時の盛岡市内にあった個人医院は次の通りです。 阿部医院(外科・肛門科・性病科)盛岡市仁王小路 船山医院(婦人科・産科、入院室あり)盛岡市馬場町 見坊内科医院(内科一般、特に胃腸)盛岡市仁王小路 斗ヶ澤医院(乳児科・小児科)盛岡市仁王小路 井川医院(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、盛岡でスケートやアイスホッケーといえば、高松の池が中心的な舞台だった。しかし、この冬は異例の暖かさで氷が張らず、リンクは開設できない状態が続いていた。例年であれば正月を過ぎれば学生たちのインカレ(インターカレッジ)も行われ、氷上は賑わうはずだが、この年はそれも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報には、新年度の写真コンクール入選作として「皆で笑って」という作品が掲載されていました。 作者は唐武作氏。画面には、屋外で三脚にカメラを構えた男性と、それに向かって笑顔を向ける子どもたちの様子が写し出されています。 岩手日報では、このように写真愛好家から作品を募り、優秀作を紙… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1932 川徳の初売(S7.1.1岩手日報) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 盛岡の呉服店・川徳では、新年恒例の初売りが行われた。 広告には「三十銭均一」「五十銭均一」といった価格別の福袋企画があり、紅木綿、真岡薄花、白小巾モス、欝金木綿、白ネルなど、当時の日常着や晴れ着に欠かせない反物・生地が並んでいる。 新年の晴れやかな雰囲気の中、常連客… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 9月 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(S6.9.15岩手日報) 昭和6年9月15日の岩手日報によれば、盛岡の工兵第8大隊と弘前の輜重兵第8大隊による連合演習が、日詰付近の北上川両岸で実施されることになった。 これは、あらかじめ設定された想定に基づき、材料の授受や渡河訓練を行うものだという。 掲載された写真は、その前日の9月14日に撮影されたもので、盛岡(観武ヶ原… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 9月 1931 盛岡鉄道工場の車輪・仕上職場近く竣工(S6.9.12岩手日報) 昭和6年9月12日の岩手日報によれば、盛岡鉄道工場で建設が進められていた車輪・仕上職場が、いよいよ完成間近となった。着工は同年4月24日で、約7か月の工期を経て12月1日からの作業開始が予定されている。 この新しい職場では、客車や貨車の車輪交換、洗浄といった整備作業が行われることになる。写真には、工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1931 内丸座で「最後の中隊」「朗らかに泣け」公開(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報の広告欄より。 この日の盛岡・内丸座では、洋画と邦画の抱き合わせ上映が行われていた。 洋画はコンラート・ファイト主演のドイツ映画『最後の中隊』。広告文句には「深刻悲壮の犠牲愛血史」とあり、第一次世界大戦下の戦場で繰り広げられる重厚で悲壮な愛と犠牲の物語であることを強調して… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1931 小学校落成2題(S6.9.3岩手日報) 昭和6年9月3日の岩手日報より。 滝沢村の篠木小学校と、胆沢郡相去村の相去小学校が相次いで新校舎を落成した。写真には木造校舎の相去小学校が写っており、地域に新しい学び舎が誕生した喜びが伝わってくる。 その脇の記事は、ローマで開かれた日伊学生の交歓会の様子。ここに登場する「青年日本号」は船ではなく、法… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。 この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1931 盛岡・松屋で創業4周年謝恩の市(S6.9.1岩手日報) 昭和6年9月1日の岩手日報には、盛岡市中ノ橋通にあった百貨店「松屋」による創業4周年記念の広告が掲載されている。 広告によれば、松屋では「謝恩の市」と題し、「年一度の大奉仕」として特別セールを開催。目玉は「秋の新柄発表大会」で、呉服・洋布・モスリンなど秋の装いを揃えた品々が並ぶという。さらには「興趣… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) 昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂… 続きを読む