i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・北海道屋の雪印アイスクリームは1個10円から!(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関の「北海道屋」とは卸業者だろうか。 80円の「フルーチス」とはどんな高級なものだったのか気になるところ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 冷風麺は「冷芙麺」と書く?(S33.7.4岩手報知) 管理人が子供の頃、夏になるとよく「冷風麺」が出てきたが、あれは岩手独特の表現であり標準語的には「冷やし中華」らしい。 ところが、昭和33年7月4日の岩手報知で出ていた広告ではこれを「冷芙麺」と表記していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 30日 1958 一関市の人口59,295人(昭和33年6月30日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 6月末現在の一関市の世帯数は10,827世帯、人口は59,295人(男29,108人、女30,187人)であったという。 前月に比べ12世帯、169人の減少。 地区別の人口は以下の通りであったという。 一関・・・14,397人 山目・中里・・・17,796人 真滝… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5月 20日 1958 束稲山でツツジ祭り 昭和33年5月20日の岩手日報より。 平泉町と前沢町の境の束稲山は、ツツジ祭りで多くの観光客で賑わった。 写真はフォークダンスを楽しむ若者。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 21日 1957 平泉でニセ医者騒ぎ 昭和32年4月21日の読売新聞で第一報が報じられている。 令和の今となっては世界遺産にまで認定された中尊寺金色堂のある平泉町の北上川を挟んだ向こうに西磐井郡長島村があり、この記事の2年前の昭和30年4月15日に、平泉町と合併することとなった。 昭和32年4月23日読売新聞岩手版より。借買いした白衣を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中共から来た青年団がわんこそばに大喜び 昭和32年4月20日の読売新聞岩手版より。 中華人民共和国(当時は国交なし)から青年代表団5名が来日していたが、4月18日には青森から盛岡に来て繋温泉で宿泊。 翌19日には岩手大学農学部を見学し、阿部知事の招待に応じわんこそばで昼食会を行った。 この日の午後には県青年協会との交歓会に出席。 その後一… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2月 1日 1957 一関で旧正月の初売り(昭和32年2月1日) 昭和32年2月2日の河北新報岩手版より。 2月1日は旧正月の初売りであったと言う。 一関市内の商店街は、岩手県南から宮城県北までの客を一手に集めてにぎわいを見せた。 前年の暮れには、一関には東光デパート、千葉久デパートと相次いで2つデパートが生まれたこともあり、大賑わいだったようである。  … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 28日 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
hスポーツ 1月 4日 1957 一関はバトミントンラケットの主要な生産地(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報より。 一関は、須川岳のブナ材によるバトミントンラケットの生産が盛んだったようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 2日 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 23日 1956 県内各地でお花見ムード(S31.4.23岩手日報) 県内各地では花見ムードとなった。 盛岡では桜の名所・高松の池でお花見、一関では桜まつりが開催された。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 20日 1956 一関にはびこる不良飲料水「三連球ボンボン」を回収せよ(S31.4.20岩手日報) この頃、一関では、風船に甘い水を入れただけの不衛生な甘味飲料「三連球ボンボン」というのがはびこっていたのだと言う。 一関保健所ではこれを問題視して、回収することを厳命したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 8日 1956 東大に何人入ったか 「週刊読売」昭和31年4月8日号によれば、岩手県内からの東大合格者は以下の通り。 盛岡一高 3名 一関一高 3名 花巻北高 2名 釜石高 1名 ちなみに全国でのランキングは以下の通り。 日比谷高 96名 小石川高 73名 西高 63名 戸山高 58名 両国高 54名 麻布高 44名 新宿高 42名 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 25日 1956 両磐地方では葉タバコの種まきが最盛期(昭和31年3月25日) 昭和31年3月25日の河北新報岩手版より。 葉タバコの産地である県南の一関・両磐地方では葉タバコの種まきの最盛期に入った。 増反計画が順調に進みまた品質改善の努力もあり、この地方だけですでに1700町歩、売り上げは7億円近くなっていたと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 16日 1956 各地で初午行事(昭和31年3月16日) 昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 22日 1956 一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1955 東北本線に清水原駅開業 花泉町にある清水原駅は、昭和19年の開設当初は信号場であったところ、地元民や隣接の金沢村によって駅昇格運動が起こっていた。 そうしたところ、いよいよ7月1日に駅として開業することとなったのである。 費用は全額地元負担で、鉄道側の組んだ予算は495万円、そのうち70万円の人件費は地元の人たちの労力奉仕… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 29日 1955 化粧品会社の美容師が一関に来て実演します!(昭和30年6月29日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 ローガン化粧品という会社の美容師が一関に来て実演するという。 ・・・ところでローガン化粧品、いや、ローガン化粧料って? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 27日 1955 保険会社の外交員の初任給は3000円(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 日本生命の一関支部では外交員を募集している。 初任給は3000円であるとか。 … 続きを読む
g教育 6月 27日 1955 一関で英語教室(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 一関で英語教室を開くというが、教えるのは一関一高や一関二高の英語教師。 …というか、それって地方公務員法上大丈夫だったの? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 24日 1955 浪曲界の大御所・梅中軒鶯童・園子が一関に来ます!(昭和30年6月24日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 浪曲界の大御所である梅中軒鶯童・園子が一関に来るという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 21日 1955 一関・千葉久デパートの求人広告(昭和30年6月21日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 千葉久デパートでは求人広告を出している。 ところで「千葉」「久」の間にワンスペース空いてたの? … 続きを読む