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花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) f花巻・稗貫郡

花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日)

昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の…
農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) m県外・参考

農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日)

一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、…
原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日) m県外・参考

原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日)

大正10年11月4日、時の総理大臣であった盛岡出身の原敬は、大塚駅転轍手の中岡艮一の凶刃により暗殺された。 そして中岡には無期懲役の判決が下された。 それから9年。 昭和5年3月1日の岩手日報には、その中岡艮一の家族のその後が掲載されている。 「無期懲役」と言いながら、出所が近いというのだ。 51歳…
「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) m県外・参考

「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日)

昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない…
今度の盛岡税務署長は「鬼熊」で有名な千葉県の佐原出身(昭和4年9月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

今度の盛岡税務署長は「鬼熊」で有名な千葉県の佐原出身(昭和4年9月1日)

昭和4年9月2日の岩手日報より。 今度の盛岡税務署長は、9月1日の午前11時36分に、盛岡駅着の列車で到着した。 岩手日報の記者に対しては「赴任が意外に遅れ申し訳ございませんでした。税務署の生活は大正10年から3年間の属官生活、署長になってから4年になります。 出身地は「鬼熊事件」で有名な千葉県の佐…
サンマの季節の貨物列車 d宮古・下閉伊郡

サンマの季節の貨物列車

微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい…
平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが i一関・西磐井郡

平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが

昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では…
新帝陛下が初の東京御帰還(昭和元年12月29日) m県外・参考

新帝陛下が初の東京御帰還(昭和元年12月29日)

新帝となられた裕仁陛下におかれては、葉山御用邸から御召し列車で東京駅に御帰還される。 昭和元年12月29日の岩手日報に掲載されたもの。 当時であれば電送写真も無かったと思うので郵送されたものだろうか。 また、当時であれば機関車は18900(昭和3年以降はC51)であっただろうか。   &n…
諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で…
東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日) m県外・参考

東京で岩手の木炭が飛ぶように売れる(昭和元年12月29日)

昭和元年12月29日の岩手日報より。 隅田川(墨田川沿い?それとも隅田川貨物駅の近く?)には、岩手県営の木炭倉庫があったのだという。 大正15年の前期は3,000俵が売れたのであるというが、ここ最近の10日間だけで2,500俵が売れたという素晴らしい売れ行きであったという。 これは、中央の木炭問屋が…
大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 0_主要ニュース

大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日)

大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈…