k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 1日 1955 陸前高田・気仙小学校で新校舎の落成式(昭和30年8月1日) 昭和30年8月3日の河北新報岩手版より。 陸前高田市の気仙小学校が1日に新築落成記念式典を行った。 総工費4841万円、鉄筋コンクリートの3階建て、2958平方メートルで県内一を誇る。 この日は「気仙川開き」をかねて全町あげて祝賀気分となった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1955 山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日) 昭和30年8月1日の河北新報より。 広告欄には「岩手のヒバ」として、山田線平津戸駅前の製材所の広告がだされている。 平津戸駅といえば、令和4年(2022年)3月に全列車通過となる「事実上の駅廃止」となっていたてしまったが、往年は木材の積出駅として賑わったのだ。 事実上の廃止に際し、実際… 続きを読む
j東磐井郡 7月 31日 1955 東磐井郡磐清水村でドラム缶が爆発し役場などが焼ける(昭和30年7月31日) 昭和30年8月1日の河北新報岩手版より。 東磐井郡磐清水村の農協売店とポンプ置場の間から出火し、ドラム缶が爆発し役場や民家などが焼ける事態となった。 役場の書類は運び出して無事であったという。 原因は、アベックのタバコの不始末が原因ではないかと見られたという。  … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1955 東北本線に清水原駅開業 花泉町にある清水原駅は、昭和19年の開設当初は信号場であったところ、地元民や隣接の金沢村によって駅昇格運動が起こっていた。 そうしたところ、いよいよ7月1日に駅として開業することとなったのである。 費用は全額地元負担で、鉄道側の組んだ予算は495万円、そのうち70万円の人件費は地元の人たちの労力奉仕… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 29日 1955 化粧品会社の美容師が一関に来て実演します!(昭和30年6月29日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 ローガン化粧品という会社の美容師が一関に来て実演するという。 ・・・ところでローガン化粧品、いや、ローガン化粧料って? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 27日 1955 保険会社の外交員の初任給は3000円(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 日本生命の一関支部では外交員を募集している。 初任給は3000円であるとか。 … 続きを読む
g教育 6月 27日 1955 一関で英語教室(昭和30年6月27日) 昭和30年6月27日の岩手日日より。 一関で英語教室を開くというが、教えるのは一関一高や一関二高の英語教師。 …というか、それって地方公務員法上大丈夫だったの? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 24日 1955 浪曲界の大御所・梅中軒鶯童・園子が一関に来ます!(昭和30年6月24日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 浪曲界の大御所である梅中軒鶯童・園子が一関に来るという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 21日 1955 一関・千葉久デパートの求人広告(昭和30年6月21日) 昭和30年6月21日の岩手日日より。 千葉久デパートでは求人広告を出している。 ところで「千葉」「久」の間にワンスペース空いてたの? … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 20日 1955 一ノ関機関区か1千万キロ無事故達成 昭和30年6月21日の岩手日日新聞より。 一ノ関機関区は、青森発上野行112列車の一ノ関駅到着をもって、1千万キロ無事故を達成した。 一ノ関駅では、一関市長や盛鉄局長まで参列して盛大に記念セレモニーが開催された。 ところで、この頃の東北本線の普通列車はC57が牽引していたらしい。 &n… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 8日 1955 ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) 昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 4日 1955 シケが幸いしワカメで賑わう九戸沿岸(昭和30年6月4日) 昭和30年6月4日のデーリー東北より。 岩手県九戸郡沿岸では、ワカメ採取の最盛期を迎えていたと言う。 5月28日が続いたシケの影響で、ワカメが岸に打ち上げられているため種市の小子内浜ではナギを持って部落民が早出で3500貫ほどを拾いあげたと言う。 55〜6歳の老漁夫は、水から上がって焚き火に当たりな… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 3日 1955 山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) 昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 28日 1955 大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) 昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 平金商店(電話盛岡48番)ではブルースター計算機を絶賛販売中 昭和30年5月18日の岩手日報に掲載された広告より。 コンピューターなんてものがなかった昔、計算機といえば「タイガー計算機」とかそういうのが主流だった、ということは知っている。 ブルースター計算機というものがどういうものであったかというと、統計資料館(総務省統計局)のページによれば、以下のとおりであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 最新式ソフトドーナツ製菓機 昭和30年5月18日の岩手日報の広告欄より。 最新式のソフトドーナツ製造機の広告が出ている。 ああ・・今でも夜店とか行けばこんな感じの機械はあるのかもしれない。 これは製菓機そのもののコマーシャルというよりは、「起業しませんか!」という広告であるように思える。 昭和30年代中頃で、日本の労働力人口は… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 盛岡警察署と盛岡税務署が濁密を摘発 盛岡税務署は盛岡警察署の応援を得て、市内で「第三国人を主とする濁酒密造ならびに密売所を急襲」(昭和30年5月18日の岩手日報の記述ママ)した。 一部では抵抗もあったようだが、市内7か所での戦果としては以下の通り。 オケ9個 カメ7個 一升ビン12本 玄米7斗 密造道具3点 「濁密」つまりドブロクのこ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) 稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 北上バス転落事故(昭和30年5月14日) 瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車… 続きを読む
事故 5月 11日 1955 【参考】宇高連絡船紫雲丸沈没事故 岩手県のニュースではないが、この沈没事故の3日後に、岩手県で北上バス転落事故が発生する。 とかく修学旅行生に難が発生し、全国的に議論になっている時期であった。 そのような事代相の参考として掲載する。 https://youtu.be/A-3Zc-rfvo4… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 2日 1955 一関3大デパートの一角「福原」が桜まつり協賛大特売会(昭和30年5月2日) 昭和30年5月2日の岩手日日新聞の広告欄より。 一関三大デパートの一角とされていた「福原」が一関桜祭りに合わせて大特売会を行うという。 5月と言えば梅雨の前でもあるので、傘やカッパの品揃えもぬかりない。 ちなみに一関三大デパートのその他「千葉久」「東光」については、千葉久に関するWik… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 2日 1955 一関では桜祭りに5万人の人出ザンス 昭和30年5月2日の岩手日日より。 「桜まつり」とは言いながらこの時期には桜はもう散っていたようで、葉桜と共に行われたようである。 ちなみに、気象庁のホームページによれば盛岡の桜の開花は4月18日、満開は4月27日、仙台の桜の開花は4月11日、満開は4月16日であった。 5月1日はメーデーの日でもあ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 23日 1955 一関七夕始まる(昭和30年8月23日) 昭和30年8月23日の河北新報岩手版より。 この日、一関でも七夕まつりが始まった。 写真は一ノ関駅の七夕飾りである。 これに先立ち、8月20日にはミス一関コンテストが行われ、20名のうちから以下の3名が入賞した。 ミス一関:塗料店勤務(20歳) 準ミス一関:専売公社職員(20歳)、一関服装学院生徒(… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 23日 1955 一関市内映画館プレイガイド(昭和30年3月23日) 昭和30年3月23日の岩手日日より。 一関市内の映画館のプレイガイドとなっている。 上映はそれぞれ以下の通り。 一関文映 幸福を配達する娘(大映、初公開S30.2.5) 明治一代女(新東宝、初公開S30.1.22) 中央映劇 明日の幸福(東宝、初公開S30.2.12) ウィーンの別離(仏・原題PAR… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 23日 1955 一関一高で落第制度復活 昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。 一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。 一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。 岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む