a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 16日 1955 山田線の赤字はすでに3億円(昭和30年11月16日) 昭和30年11月16日の岩手日報より。 前年、やっとのことでアイオン台風の被害から復旧し全線開通はしたものの・・・ 岩手日報の表現をそのまま使えば、「あまりにもみじめであり、栄養失調寸前のうきめに会っているという情ない現状だ」とまで言われる状況であった。 盛鉄局管内には12の路線があったが、営業成績… 続きを読む
l全県 11月 8日 1955 長欠、臨時免状教員… これが「辺地学校」の実態だ(昭和30年11月8日) 昭和30年11月8日の岩手日報より。 県教育研究所では、辺地学校についての調査結果を発表した。 【辺地学校数】 小学校 ・・・ 776校中278校(35.8%) 中学校 ・・・ 386校中114校(29.5%) 合計 ・・・ 1062校中392校(33.7%) 【免許状】 小学校 普通免許状を持つ教… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1955 釜石で「ゴミ人夫33年」厚生省表彰 昭和30年11月7日の岩手日報より。 清掃人夫として33年間釜石市に奉職してきた53歳の男性が、厚生省所管の全国清掃協会に表彰されるという。 この人は釜石市役所衛生課におり、目が悪くて徴兵検査に不合格となり、一念発起して「人が嫌がることをやろう」と、当時請負制であったゴミさらいを始めたのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 7日 1955 教育会館の隣に5階建ての文化ビルを建てます!(昭和30年11月7日) 昭和30年11月7日の岩手日報より。 盛岡市では、国鉄盛岡工場二枚橋分工場の払い下げ鉄骨で、上田に東北一の体育館を建築しようと計画していた。(→昭和32年完成の盛岡体育館) このほか、盛岡市内の一等地である教育会館の隣の大通に文化センターを建設しようと計画していた。 構想によれば、四囲を緑地帯に囲ま… 続きを読む
j東磐井郡 11月 6日 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 27日 1955 大船渡港近くの飲み屋が「カンバンだよ」と断ったらカツオ漁師に袋だたき(昭和30年8月27日) 昭和30年8月28日の河北新報岩手版より。 8月26日から27日に日付の変わった頃のこと。 三重県三木浦港からはるばる大船渡港まで入ってきたカツオ漁船の漁師が、港に近い飲み屋に入ろうとした。 店の親父は「悪いね。もうカンバンなんだよ」 「何だと!?」「何だとでねえこのー?」 口論になってしまい、しま… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 26日 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 19日 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 18日 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
g北上・和賀郡 8月 12日 1955 気仙沼花火大会と北上灯ろう流しに臨時列車(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 盛鉄局旅客課では、8月14日の気仙沼花火大会と、8月16日の北上灯ろう流しで以下の通り臨時列車を運行するという。 8月14日 574レ 気仙沼22:24~陸中松川23:56 8月16日 4711レ 北上22:02~陸中川尻23:13 467レ 北上21:0… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 7日 1955 胆沢地方事務所公金横領問題で辞職した県農政課長は葛巻町長に立候補(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 先に、県庁の希望退職で労組が「希望退職させるならまずは胆沢事務所の公金汚職問題の関係者を辞職させろ」と迫った問題で、直接関係は無かったにしろ当時の所長であった相良政行農政課長は辞表を提出するに至った。 相良課長は、当時の阿部千一知事に身の振り方を相談した。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 8月 6日 1955 県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。 そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。 このことに対し、北上市内の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 5日 1955 県では赤字財政のため希望退職を募集(昭和30年8月5日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 県では、赤字財政のために希望退職を募集していた。 9月末までに480名の減を予定していたが、実際に集まるのは300名ぐらいだと思っていたところ、何と7月までに辞表が295通に達したのである。 この調子であればもう50人追加で530名でもいけるだろうと目標を変… 続きを読む
j東磐井郡 7月 31日 1955 東磐井郡磐清水村でドラム缶が爆発し役場などが焼ける(昭和30年7月31日) 昭和30年8月1日の河北新報岩手版より。 東磐井郡磐清水村の農協売店とポンプ置場の間から出火し、ドラム缶が爆発し役場や民家などが焼ける事態となった。 役場の書類は運び出して無事であったという。 原因は、アベックのタバコの不始末が原因ではないかと見られたという。  … 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 8日 1955 ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) 昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 3日 1955 山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) 昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 28日 1955 大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) 昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) 稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって… 続きを読む
事故 5月 11日 1955 【参考】宇高連絡船紫雲丸沈没事故 岩手県のニュースではないが、この沈没事故の3日後に、岩手県で北上バス転落事故が発生する。 とかく修学旅行生に難が発生し、全国的に議論になっている時期であった。 そのような事代相の参考として掲載する。 https://youtu.be/A-3Zc-rfvo4… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 23日 1955 一関一高で落第制度復活 昭和30年3月23日の岩手日日新聞より。 一面で「終戦初の落第制度実施 一高で落第生九人」という見出しで記事が出ている。 一関市の本社がある岩手日日で言う「一高」とは、盛岡一高ではなく一関一高のこと。 岩手県内では盛岡中学に次ぐ2番目の歴史を持ち、第一次安倍政権で「アベノミクス」を支えたという菅原郁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
備考※1 12月 2日 1954 【参考】引揚船興安丸帰る 昭和29年12月2日の中日ニュースより。 シベリアからの引揚船・興安丸が舞鶴に入港。 「岸壁の母」でも知られる。 https://youtu.be/qACd4_aNuAM… 続きを読む
事故 9月 26日 1954 【参考】洞爺丸台風 昭和29年9月26日、台風第15号で洞爺丸が遭難。 https://www.youtube.com/watch?v=Y70oUstzqCI… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1954 発足したばかりの玉山村で早くも分離運動 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 4月1日に玉山・渋民・薮川の3村が合併して発足した玉山村であるが、半年もしないうちに分村運動が起きていた。 旧玉山村は分村して盛岡市に編入したい。 旧渋民村松田地区・平田第1~8地割は巻堀村に編入したい。 いずれも、新しい玉山村の発足自体が反対を押し切って発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1954 これが「盛岡市営バス」計画だ 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の人口増加や近隣町村との経済的な連携、観光事業の振興策として盛岡市議会で委員会を設けて推し進めているもので、すでに市営バスを運行している八戸、青森、秋田、浜松、岐阜、尼ヶ崎、姫路の7都市を視察するなどしていた。 また、一本木原に陸上自衛隊キャンプが着工… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 31日 1954 一関市はナトコ映写機を米軍に返還(昭和29年8月31日) 昭和29年8月29日の岩手日日より。 一関市教育委員会は、昭和24年に盛岡軍政部から無償貸与されていたナトコ映写機を駐留軍本部に返還することにしたという。 一関市の視聴覚教育に大きな貢献をなしてきた、と書かれている。 ちなみにナトコ映写機とは全国視聴覚教育連盟のブログに詳しい。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 31日 1954 志和村は紫波郡南部の合併に参加したくない(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 この時期「昭和の大合併」で各市町村は合併が進んでいた時期である。 4月には花巻市・北上市・水沢市が誕生している。 紫波郡の南側は、日詰町を中心に古舘・水分・志和・赤石・彦部・佐比内・赤沢・長岡の各村を合併させようと県では考えていた。 しかし人口7千で財政規模がそ… 続きを読む
g北上・和賀郡 7月 14日 1954 岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日) 近江絹糸争議は、日本の労働運動史上でも有名な事件として今でも語り継がれている。 「近江」というくらいなので、中心は滋賀県であり、全国の事業所でも争議は発生していたが、岩手県に近江絹糸の事業所はなかった。 しかし、岩手県出身者も働いており、全く無関係と言うわけではなかった。 県人負傷 昭和29年7月1… 続きを読む