備考※3a

釜石・シネマセンターで「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開(昭和34年8月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・シネマセンターで「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開(昭和34年8月18日)

昭和34年8月18日の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは「潜水艦イ-57降伏せず」「伝七捕物帳 幽霊飛脚」「事件記者 真昼の恐怖」を公開する。 「潜水艦イ-57降伏せず」は昭和34年7月7日公開の東方映画。出演は池部良や三橋達也など。 「伝七捕物帳 幽霊飛脚」は昭和34年8月2日公開の松竹…
岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)

昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。 明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。 そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。 しかし、仙人峠がそれを遮っていた。 戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた…
釜石・国際劇場で「紅顔の密使」「姫君一刀流」「空は晴れたり」公開!(昭和34年8月14日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・国際劇場で「紅顔の密使」「姫君一刀流」「空は晴れたり」公開!(昭和34年8月14日)

昭和34年8月13日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場で「紅顔の密使」「姫君一刀流」「空は晴れたり」を公開する。 いずれも東映映画。 「紅顔の密使」は、昭和34年6月9日公開で、大川橋蔵と一条由美が主演。 「姫君一刀流」は、昭和34年6月16日公開で、大川恵子が1人5役という役柄。 「空は晴れたり…
釜石・国際劇場で「ミスタア・ロバーツ」「愛欲と戦場」公開!(昭和34年8月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・国際劇場で「ミスタア・ロバーツ」「愛欲と戦場」公開!(昭和34年8月12日)

昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では「ミスタア・ロバーツ」と「愛欲と戦場」を公開する。 「ミスタァ・ロバーツ」(原題:Mister Roberts)は昭和30年米ワーナー製作で、日本での初公開は昭和30年12月23日。 「愛欲と戦場」(原題:Battle Cry)は昭和30年…
釜石・シネマセンターで「夜の放蕩者」「鬼酋長バンダ」公開!(昭和34年7月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・シネマセンターで「夜の放蕩者」「鬼酋長バンダ」公開!(昭和34年7月22日)

昭和34年7月20日の岩手東海新聞より。 釜石・シネマセンターでは「夜の放蕩者」と「鬼酋長バンダ」を公開する。 「夜の放蕩者」(原題:Le Desotdre et la Nuit)は1957年の仏映画で日本初公開は昭和33年8月30日。ジャン・ギャバンが出演。 「大酋長バンダ」については、どこを検索…
釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日)

昭和34年7月20日の岩手東海新聞より。 当時、マンボウは「マンボウザメ」と呼ばれており、「季節魚として人気が高い」ものではあったが、過食部である白身は全体の3分の1しかなく、それ以外は捨てるしかなかったのだ。 捨てるとは言っても何しろ20kg〜100kgという巨大な魚である。 海に捨てれば港湾法に…
「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日)

昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が…
江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日)

昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう…
人口増加する釜石では山を切り崩して住宅地に(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

人口増加する釜石では山を切り崩して住宅地に(昭和34年6月12日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 製鉄所や鉱山で賑わう釜石は人口増加していたが、いかんせん平地は少なく、住宅は山でも切り崩さないと建てることはできなかったのである。 それで、釜石高校の向かいの山を切り崩して住宅を造成していた。 釜石市の住宅地は、甲子川沿いにどんどん上がっていっているようだっ…
「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。   ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。   …
釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。   この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? …
釜石国際劇場で「女ひとり」「第五戦線 遠い道」「白人部隊撃滅」を公開(昭和34年5月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石国際劇場で「女ひとり」「第五戦線 遠い道」「白人部隊撃滅」を公開(昭和34年5月25日)

昭和34年5月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石の国際劇場では、「女ひとり」と「第五戦線 遠い道」と「白人部隊撃滅」の3本立てで公開。 「女ひとり」(原題:Jeanne Eagles)は。1957年米コロムビア映画で、原題通りブロードウェイの名女優ジーン・イーグルスの半世紀。 「第五戦線 遠い…
朝鮮総連釜石支部「帰国問題の早期実現を」(昭和34年5月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

朝鮮総連釜石支部「帰国問題の早期実現を」(昭和34年5月25日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞より。 朝鮮総連釜石支部は5月25日、南町の教育会館で第5次大会を開催した。 この時期、多数の釜石在住の朝鮮人が詰めかけたが、もし帰国問題が実現すればこれが最後の大会になる人もいるということで、寂しそうな雰囲気もあったようだ。 そのような中で「帰国問題の早期実現」を…
仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日)

昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 この時期の釜石は、花巻に通じる仙人道路の開通を待ち望んでいる時期であった。 その仙人道路の開通に合わせて、地元の岩手東海新聞も社屋を新しくし、版型もタブロイド判からブランケット判にする予定であった。 5月22日にはコンクリート注入工事に入っている。 完成の暁…
ラジオ岩手のテレビ放送開始に備え釜石でも五葉山に中継設備(昭和34年5月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

ラジオ岩手のテレビ放送開始に備え釜石でも五葉山に中継設備(昭和34年5月22日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 ラジオ岩手では、この時点で6月のテレビ放送の開始を予定していた。 そこで、釜石でも松倉の奥の」五葉山系に無人のサーチライトステーションを設置するという。 ラジオ岩手で中継設備を設置すれば、NHKでも顧客開拓のために設置することになることが予想され、8月にはテ…
新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所のラグビー部が「全国一の強豪チームを目指して」5月21日から小佐野球場外に設けられた特設ラグビー場で練習を開始した。 初練習には岩手県ラグビー協会八幡正会長やコーチ2名も来て熱心にコーチするという念の入りようだった。 創部メンバーは以下の通り。 増…