北朝鮮帰還事業で在日朝鮮人ブチ切れ「俺たちは囚人か!?」

昭和34年9月22日の岩手日報より。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業は、岩手県内でも受付が始まっていた。

北朝鮮とは国交が無く(このブログを書いている令和3年現在でも)、国同士の交渉はできず、赤十字社同士での交渉ということになり、ジュネーブで日朝赤十字協定に基づき帰還事業が行われることになった。

そしてその日赤の窓口が、盛岡市福祉事務所に置かれることとなったが、そこに多くの在日朝鮮人が詰めかけた。

北朝鮮への帰国希望というわけではない。

「この扱いは何だ!新潟に着いたらまた帰国の意思を確認させられる、だと!?」

「盛岡から列車に乗ったら新潟まで外部と交渉してはいけませんって、俺たちを囚人扱いにするつもりか?」

「改善されない限り申請なんてしないからな!」

結局、帰国申請は北上や一関でも1件もなかった。

 


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