備考※3

石鳥谷で秋の祭り(S6.9.10岩手日報) f花巻・稗貫郡

石鳥谷で秋の祭り(S6.9.10岩手日報)

昭和6年9月10日の岩手日報より。 この日の紙面には、石鳥谷町で行われた秋の祭典の様子が掲載されていた。 天候にも恵まれ、近隣の村々からも多くの人々が訪れ、町は朝から活気に包まれた。 記事によれば、人出はなんと1万人にのぼり、通りは祭り客で埋め尽くされたという。 写真には、提灯や旗で飾られた通りを歩…
黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典(S6.9.9岩手日報) g北上・和賀郡

黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典(S6.9.9岩手日報)

昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社・諏訪神社では、9月7日から9日にかけて祭典が行われた。町内は紅白の幔幕で彩られ、まさにお祝い一色の雰囲気に包まれたという。 農家も比較的暇な時期であったため、近在からも多くの人々が押し寄せ、神社境内は一層の賑わいを見せた。境内には見世物小屋が掛けられ…
岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(S6.9.6岩手日報) l全県

岩手日報の1面トップは全面「キング」の広告(S6.9.6岩手日報)

昭和6年9月6日の岩手日報より。 この日の1面トップは、なんと雑誌「キング」の全面広告であった。 戦前の新聞では、こうした大判広告が1面を占拠することもあったようだが、岩手日報のような地方紙でも実際に行われていたのは興味深い。 新聞といえばニュース記事が並ぶという現代の感覚からすると、かなり意外な紙…
水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢〜岩谷堂のバス時刻表(昭和6年9月4日)

昭和6年9月4日の岩手日報には、水沢〜岩谷堂間のバス時刻表が掲載されている。 運行は「胆江自動車」と「水岩自動車」の共同事務所による共同運行で、午前から夕方まで数本ずつの便が設定されていた。 当時は舗装道路も限られ、路面や天候によって所要時間が変動することも多かったはずだ。 それでも、新聞に定期運行…
小学校落成2題(S6.9.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

小学校落成2題(S6.9.3岩手日報)

昭和6年9月3日の岩手日報より。 滝沢村の篠木小学校と、胆沢郡相去村の相去小学校が相次いで新校舎を落成した。写真には木造校舎の相去小学校が写っており、地域に新しい学び舎が誕生した喜びが伝わってくる。 その脇の記事は、ローマで開かれた日伊学生の交歓会の様子。ここに登場する「青年日本号」は船ではなく、法…
人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) hスポーツ

人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報)

昭和6年9月3日の岩手日報に掲載された広告。女子陸上競技の先駆者であり、日本人女性として初めてオリンピックに出場した人見絹枝が亡くなったのは、この1か月前のことだった。死因は過労とされ、その衝撃は大きかった。 広告ではこの出来事に触れつつ、「過労は短命のもと」と警告。体力を回復させるには薬の服用が有…
盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報)

昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。 この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している…
農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報) m県外・参考

農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報)

二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。 この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。 昭和6年の「二百十…
盛岡・松屋で創業4周年謝恩の市(S6.9.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・松屋で創業4周年謝恩の市(S6.9.1岩手日報)

昭和6年9月1日の岩手日報には、盛岡市中ノ橋通にあった百貨店「松屋」による創業4周年記念の広告が掲載されている。 広告によれば、松屋では「謝恩の市」と題し、「年一度の大奉仕」として特別セールを開催。目玉は「秋の新柄発表大会」で、呉服・洋布・モスリンなど秋の装いを揃えた品々が並ぶという。さらには「興趣…
水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工(S6.9.1岩手日報) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢と江刺を結ぶ桜木橋が九分通り竣工(S6.9.1岩手日報)

昭和6年9月1日の岩手日報より。 桜木橋がいよいよ九分通り完成し、9月20日頃には祝賀会が行われる予定となった。 この橋は、胆沢郡水沢町と江刺郡愛宕村を結ぶ幹線道路上に架けられたもので、交通の便はもちろん、地域の発展に大きく寄与することが期待されている。地理的には、佐倉河村(現・奥州市水沢佐倉河)と…
市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) c久慈・九戸郡

市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日)

昭和六年八月三十一日──その日は久慈町の「市日」で、二十八日町は近郷近在からの買い物客でごった返していた。 そんな雑踏のさなか、突如として乗合自動車が群衆をなぎ倒す。 ナンバー「岩二九」のその車両は、軽米自動車組合のものであり、本来であれば軽米〜久慈間を運行しているはずのバスであった。 しかし、事件…
あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) i一関・西磐井郡

あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日)

昭和6年9月1日の『岩手日報』より。 8月31日に、一関にて自動車強盗未遂事件の公判が開かれた。被告は19歳の少年と21歳の男の2名である。事件は6月3日に発生したもので、自動車強盗を試みたが、未遂に終わっていた。 主犯とされたのは19歳の少年で、青森県下北半島の出身。製材工場でエンジン係として働い…
花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日) f花巻・稗貫郡

花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日)

昭和6年元日付の『岩手日報』には、花巻町の千葉丈之助翁(84歳)が登場する。かつて同紙の記者として筆を執っていた翁は、明治・大正の時代を経て、いまや静かな隠居生活を送っている。 当時の日本人の平均寿命は40代前半。そんな時代において、84歳という年齢は群を抜いた長命であった。記者が翁に長寿の秘訣を尋…
在仙県人有志からも年始の挨拶(S6.1.1岩手日報) m県外・参考

在仙県人有志からも年始の挨拶(S6.1.1岩手日報)

昭和6年の元日、岩手日報紙面には、仙台で活躍する岩手県出身者や県ゆかりの企業からの新年広告がずらりと並んだ。 「謹賀新年」の大きな題字とともに、「在仙縣人有志不動町」と記された枠には、仙台市で事業や商売を営む岩手出身の人々が名を連ねている。 また、広告を出している企業の多くは、所在地に「仙臺」「青葉…
軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報)

昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂…
昭和六年新年号(S6.1.1岩手日報) l全県

昭和六年新年号(S6.1.1岩手日報)

昭和六年の元旦紙面──羊の年を迎える 昭和6年1月1日、岩手日報の新年号は、未年(ひつじどし)の到来を寿ぐ特別な紙面で飾られている。 冒頭には大きく右書き横書きで「岩手日日新聞新年号」と描かれ、日の出を背景に数頭の羊がゆったりと佇む絵が据えられている。山並みと海原を背に、朝日が昇る構図には、吉兆を祈…
県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報) l全県

県内各企業の年始広告(S6.1.1岩手日報)

昭和6年元日、岩手日報に掲載された県内企業の年始広告には、当時の岩手経済界の様相がよく現れている。 中でも目を引くのが「岩手軽便鉄道株式会社」の広告である。同社は花巻町に本社を構え、花巻から遠野を経て仙人峠へと至るナローゲージ(軌間762mm)の地方鉄道を運営していた。後年、国鉄に買収されて「釜石線…
岩手の子宝たち(S6.1.1岩手日報) l全県

岩手の子宝たち(S6.1.1岩手日報)

昭和6年の元旦、岩手日報では「子福者(こふくしゃ)」──すなわち多くの子どもを持つ家庭──を取り上げた特集記事が組まれた。いずれも子だくさんを喜びとし、家族の和やかな団らん風景が写真と共に紹介されている。 七男七女の子福者(宮古町横町) 宮古町横町では、七男七女の14人きょうだいを育てた一家が登場。…
盛岡・御園座で「情恨」「曲馬団の秘密」公開!(S5.3.28岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・御園座で「情恨」「曲馬団の秘密」公開!(S5.3.28岩手日報)

昭和5年3月28日の岩手日報より。 盛岡の御園座では、この日から二本立てで映画を公開していた。 一本目は『情恨(じょうこん)』。昭和5年(1930年)2月7日に公開されたばかりのマキノ映画で、マキノプロダクションの松浦築枝(まつうら・ちくえ)と南光明(みなみ・こうめい)が主演している。仏寺を舞台に、…
盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(S5.3.28岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「ダンスガールの悲哀」「支那街の夜」「東洋パッション楽劇座公演」「伊勢音頭」公開!(S5.3.28岩手日報)

昭和5年3月28日の『岩手日報』には、盛岡の内丸座の派手な広告が掲載されている。すべて右書きで組まれた文字は、舞踊、楽劇、歌舞伎映画といった娯楽の世界を一面に展開し、当時の盛岡の大衆文化の熱気を伝えてくる。 上映作の一つ「ダンスガールの悲哀」は、昭和4年11月1日に松竹から公開された作品で、都市のダ…
花巻電鉄でボギー車運転のため交換停留場の有効長延長工事(S5.3.28岩手日報) f花巻・稗貫郡

花巻電鉄でボギー車運転のため交換停留場の有効長延長工事(S5.3.28岩手日報)

昭和5年3月28日の岩手日報より。 花巻温泉への足として知られた花巻電鉄では、春の湯治シーズンに向けて輸送力の増強が図られていた。 記事によれば、花巻電鉄では3両連結のボギー車(台車付き大型車両)を導入し、これを運行する計画である。そのため、交換停留場(列車同士の行き違いを行う場所)の有効長を延長す…
八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(S5.3.27岩手日報) c久慈・九戸郡

八戸線が全通し久慈で開通式を盛大に挙行(S5.3.27岩手日報)

昭和5年3月27日の『岩手日報』は、前日に行われた八戸線・陸中八木〜久慈間の開通を大きく報じている。この区間の開業によって、八戸線はついに全通し、青森県の八戸と岩手県の久慈が鉄道で結ばれることとなった。記事では、開通までに実に10年を要したこと、総工費が500万円にも上ったこと、そして地域住民の強い…
盛岡・内丸座で「明眸禍」「空中サーカス」「闇・後日譚」公開!(S5.3.14岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「明眸禍」「空中サーカス」「闇・後日譚」公開!(S5.3.14岩手日報)

昭和5年3月14日の『岩手日報』に掲載された映画広告によると、盛岡の内丸座では三本立ての豪華上映が行われていた。文芸映画『明眸禍』、アメリカの航空青春映画『空中サーカス』、そして剣戟時代劇『闇・後日譚』という多彩なラインナップである。 『明眸禍(めいぼうか)』は菊池寛の同名小説を原作にした作品で、昭…
「東北のサンモリッツ」田山スキー場が開場(S5.3.4岩手日報) b二戸・二戸郡

「東北のサンモリッツ」田山スキー場が開場(S5.3.4岩手日報)

岩手県北部、秋田県境に近い田山村(現・八幡平市)に、スキー場が開かれた。新聞では「東北のサンモリッツ」と称され、村を挙げての開場行事となったことが報じられている。 田山村は行政上は岩手県に属するが、実際には秋田県花輪とのつながりが深く、小学校長も江刺郡出身ながら花輪経由で赴任していたという。交通の便…
女子師範学校の音楽会(S5.3.3岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

女子師範学校の音楽会(S5.3.3岩手日報)

昭和5年3月2日午後1時半より、盛岡市内丸の岩手女子師範学校にて音楽会が開催された。この催しには、女子師範の生徒たち約千名のほか、市内の尋常小学校から招かれた児童数百名も来場し、にぎやかな雰囲気の中で音楽に親しんだ。 写真には、舞台上で指揮をとる女性教師と、伴奏を担うピアノ奏者の姿、そして足をくずし…
商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報)

現在の「もりおか歴史文化館」が建つ場所には、かつて「商品陳列所」と呼ばれる建物があった。これは岩手県が設置した公共施設で、県内の工業製品や地域の物産を展示・紹介する場として利用されていた。のちに「岩手県工業試験場」を経て、現在の「岩手県工業技術センター」へとその系譜は受け継がれていく。 新聞に掲載さ…
盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報)

昭和5年3月2日の岩手日報から、盛岡市内の中等学校における入学志願者の動向を伝える記事を紹介する。 この年、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)など市内各中等学校では、志願者が前年に比べて減少していた。例年であれば、上級学校への進学を目指す少年たちが胸を高鳴らせる季節だが、この年の3月はやや様子が違…
内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報)

昭和5年(1930年)3月1日の岩手日報には、「季節を描く人」と題された印象的な写真記事が掲載された。 写っているのは、盛岡市中心部の内丸通りにて、冬の街並みを前にイーゼルを立てて絵筆を握る画家の姿。手前にはスケッチ道具が置かれ、雪を踏みしめるように立つその姿は、まるで冬の空気をキャンバスに封じ込め…
盛岡の内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の内丸通りで絵を描く人(S5.3.1岩手日報)

昭和5年(1930年)3月1日の岩手日報には、「季節を描く人」と題された印象的な写真記事が掲載された。 写っているのは、盛岡市中心部の内丸通りにて、冬の街並みを前にイーゼルを立てて絵筆を握る画家の姿。手前にはスケッチ道具が置かれ、雪を踏みしめるように立つその姿は、まるで冬の空気をキャンバスに封じ込め…
西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) i一関・西磐井郡

西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報)

昭和5年、岩手県内では海軍志願兵に対する徴募検査が各地で行われていた。そのうち西磐井郡では、一関小学校を会場として検査が実施され、多くの若者が海軍各部門への志願に臨んだ。 この検査で、当時の西磐井郡老松村(現在の一関市花泉町)出身の中村一男君が、少年航空兵に合格したことが報じられている。 少年航空兵…