a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1964 スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで! 昭和39年11月30日の岩手日報の広告欄より。 当時、スズキの主力は「スズライト」だった。 そもそもは昭和30年に発売した軽自動車であり、後年「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」と評価され日本自動車殿堂歴史車に選ばれたというほどの名車でもある。 岩手県内の販社も「岩手スズライト販売」と… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 11月 1964 釜石に秋イカが回遊してきたが「焼け石に水」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 例年11月は、秋イカの最盛期であり毎日150トン前後が釜石魚市場に水揚げされるという。 しかし、この年は不漁だったようで、11月25日の夕方にやっと秋イカが回遊してきたということで一斉に出漁したが、結局44隻で8.5トンにとどまったという。 そんな不良なので1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 11月 1964 東北電力岩手支店の造形美は「直線と曲線の融合」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 中津川べりに建つ東北電力岩手支店の建物は昭和37年に建ったものであるというが、スパンドレルと呼ばれるアルミニューム合金で、記事の表現をそのまま借りれば「キリのマサ目を思わせるやわらかい線ときっちり並んだ窓ワクがいかにもすがすがしい感じを与える」と表現されている… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 11月 1964 川徳デパート「男性はご遠慮ください 女性だけの大バーゲン」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報の広告欄より。 肴町の川徳デパートでは翌27日から3日間「女性だけの大バーゲン」を行うという。 ご丁寧にも「男性はご遠慮ください」とまで書いている。 … 続きを読む
m県外・参考 26 11月 1964 岩手でも報じられた長嶋選手婚約(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 巨人軍の長嶋選手の婚約は、岩手でも報じられていた。 … 続きを読む
l全県 24 11月 1964 茶の間さん「オリンピックでアテが外れた分を取り戻せ」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月24日の岩手日報より。 連載されていた4コマ漫画では、東京オリンピックをテーマにしている。 この年の東京オリンピックは10月24日に閉幕している。 それは国内のどの商売をする店にとっても一大商機であったはずだが、この漫画の店ではアテが外れたようだ。 それで「取り返してこい!」と旦那に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1964 サンビルでもえびす講大売出し(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の大通の入り口にあったサンビルでもえびす講の大売出し。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 11月 1964 花巻で踏切報知機にいたずらする列車妨害が相次ぐ(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 この時期、東北本線の花巻~村崎野間で列車妨害が相次いでいたという。 昭和38年10月25日以来、コンクリートトラフや鉄道標識が抜かれて線路にばらまかれるなどの悪質な列車妨害が13件続いていたという。 昭和39年11月1日には、下り197貨物列車が花巻市南城地内で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1964 重茂海岸にも「岩手川」(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 岩手川は重茂海岸のアワビ漁解禁に関して広告を打っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1964 岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日) 昭和39年11月1日の岩手日報の広告欄より。 岩手トヨタが自動車の運動会「ジムカーナ」の大会を、11月8日に盛岡八幡宮の境内で行うという。 ジムカーナとは、広告の表現をそのまま借りれば、「運転技術を存分に発揮でき、ウィットある機敏な行動が要求されしかも童心に帰って無邪気にふるまえる自動車の競技会」で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1964 お医者さん親善ラグビーで岩手ドクターズが関西ドクターズに敗れる(昭和39年11月1日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 お医者さんラガーは4年に1回、大会を行っていたのだそうで、その4年に1回が待ちきれず、岩手医大OBで組織される「岩手ドクターズ」と、「関西ドクターズ」が盛岡市上田の黄金ラグビー場で新全試合を行ったのだという。 結果は8-3で関西ドクターズの勝利。 このお医者さん… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 8月 1964 中学野球県大会16チームの陣容(S39.8.4岩手日報) この年の中学野球県大会は遠野で開催された模様。 県内16地区から代表が参加。 流石に「日本のチベット」というようないかにも僻地の学校は代表になっていない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 8月 1964 釜石で原水禁世界大会の募金詐欺(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 釜石では、原水禁世界大会の募金を名乗る詐欺が横行していたようで、釜石市役所から詐欺に気をつけるよう御触れが出ている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1964 本県選出の官房長官・外務大臣がお国入り(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 第3次池田内閣で、閣僚入りした岩手県選出の鈴木善幸官房長官、椎名悦三郎外務大臣がお国入りした。 盛岡駅前は宮古などからマイクロバスできた支持者で溢れかえる。… 続きを読む
l全県 1 8月 1964 東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 東京オリンピックを10月に控え、カラーテレビ商戦が白熱していた。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 30 11月 1963 宮古港に初冬の風物詩ウミネコが舞う(昭和39年11月30日) 昭和39年11月30日の岩手日報より。 宮古港ではサンマ漁も終わり、めっきり寂しくなってしまったが、今度は宮古魚市場の岸壁では、餌を求めうみねこが乱舞していると言う。 このうみねこは、この界隈の初冬の風物詩であったと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 6月 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 6月 1963 昭和38年の夏至、盛岡では最高気温24.2℃(昭和38年6月22日) 昭和38年6月23日の岩手日報より。 夏至の6月22日、台風第4号が去り県内各地は気温が上がり、盛岡では最高気温24.2℃で市内の商店では打ち水をしていた。 写真は盛岡駅前。 真ん中の女性はこの時代にしてはスカートが短いのではないだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 20 6月 1963 東京〜八戸〜札幌の定期便が就航 昭和38年6月20日、北日本航空が東京〜八戸〜札幌の定期便を開設。 機材はコンベア240で、ダイヤは以下の通りであったという。 札幌8:30〜八戸9:40〜羽田12:00 羽田13:00〜八戸15:00〜羽田16:30 当日の八戸空港は、札幌市長から八戸市長へのメッセージ公開や、ミス八戸による郷土玩… 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 5月 1963 盛岡少年院に「イレズミを除去する器械」 昭和38年5月28日の岩手日報より。 盛岡少年院に、入れ墨をとる器械が入ったのだという。 正式には「自動調節付き電気メス」というのだそうで、真空管から電気メスに6.83メガサイクルの高周波を発信させ、メスと人体表面との接触部分に破壊作用を起こさせる仕組みなのだという。 東北地方の少年院ではここにしか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 4月 1963 盛岡東映で「中山道のつむじ風」「特別機動捜査隊」公開(昭和38年4月7日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 盛岡東映では「中山道のつむじ風」「特別機動捜査隊」を公開する。 「中山道のつむじ風」は、昭和38年3月31日公開で、出演は松方弘樹・月形龍之介など。 「特別機動捜査隊」は、昭和38年3月31日公開で、出演は安部徹・織本順吉など。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡鉄道公安室が急行「おいらせ」車内の無法者を下車させる(昭和38年4月5日) 昭和38年4月7日の岩手日報より。 この時期、列車内での暴力が問題に乗っていた。 4月5日の7時過ぎ、上野行きの急行「おいらせ」の車内で、車内が満員であるにもかかわらず座席を広く占有して、他の曲に注意されても聞き入れないで眠ったふりをしていた酔っ払いの東京都内の工員を、盛岡駅到着と同時に、盛岡鉄道公… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 4月 1963 北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報より。 この前の年の12月、横黒線は和賀仙人から陸中川尻の間の14.5キロが、ダム建設で水没するため、線路が山手に切り替えられた。このことで勾配が急になりトンネルも6つが新設されることになったのである。 これまで、この区間を走る機関車の機関士は、旧軍隊が作った防毒マスクを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡体育館の江利チエミショウに御招待!(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報の広告欄より。 江利チエミショウが5月18~19日に盛岡体育館で開かれるという。 盛岡専門店会加盟の店で買い物をすれば抽選で13376名様を御招待、という内容である。 当時の江利チエミは高倉健と結婚し、新宿コマ劇場での座長公演を始めたという時期であった。 &… 続きを読む
l全県 3 4月 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む