c久慈・九戸郡 1月 29日 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 27日 1956 久慈映画案内(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 久慈市内には映画館が2館あったようで、その案内が掲載されている。 ちなみに、これが八戸だと、このくらい大きく扱ってくれる。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 27日 1956 軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 24日 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 1月 24日 1956 岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 1月24日の正午過ぎ、大船渡市の須崎橋にあった岩手東部バスの大船渡営業所で火災があり、35坪を焼いた。 ストーブの傍らのガソリンに引火したものらしい。 ただし昼間で発見は早く、モルタル建築で火が外部に漏れず、炎症を免れ、書類は外に持ち出していたことは不幸中… 続きを読む
l全県 1月 23日 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 1月 23日 1956 国土開発調整費の対象は北上地域が有力(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 当時の経済企画庁の国土開発調整費の予算案が示され、その対象として北上川流域地域が有力ではないかというニュース。 このほかに、1万円札がお目見え、軽米の葉タバコのニュースなども。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 22日 1956 一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 22日 1956 水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 水沢の商店街である横町(よこまち)は、「大通り」に名称変更することにした。 そしてネオンアーチ完成記念の大売り出しを、この1月22日から2月5日まで行うことにした。 そもそも改称した理由は「横町」が「よこちょう」と読まれ、商売上不利であったからだという。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 22日 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 22日 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 19日 1956 久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日) 昭和31年1月21日のデイリー東北より。 太平洋の荒波に面する久慈港は、漁船の難破事故が多かった。 そこで、堀込式の港にすることで、この状況を解消しようと言う計画があった。しかし、予算がないことにはどうにもならない。 同じような港湾整備の要求は、全国から43の港から上がっていた。 しかし、そのような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 19日 1956 岩手山の山頂なら仙台のテレビが見れるかも?(昭和31年1月19日) 昭和31年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市内にはアマチュア無線局は27局あり、東北一であったという。 受信しているだけの愛好家も合わせれば50人はいたのではないかと言われていた。 その盛岡ではアマチュア無線クラブがあったが、この年の目標は「4月に仙台で放送が始まるテレビを岩手山頂で受信しよう… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 16日 1956 久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日) 昭和31年1月16日のデーリー東北より。 1月10日、久慈市計画委員会が行われ、保留していた市街地幹線道路の区画整理の実施大綱を決定した。 久慈駅前からまっすぐ現在の新町通りまで幅20メートルで広くだけなのでこの地帯の立ち退きが必要 新町通りも幅20メートルで片側の家屋は若干立ち退きが必要 東部新町… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 15日 1956 久慈や種市の漁港で次々と施設拡充(昭和31年1月15日) 昭和31年1月15日のデーリー東北より。 サバ漁で昭和29年来活気を帯びてきた久慈や種市の漁港では、魚市場開設や冷蔵車の新設が目立っている。 八木港では状況が魚市場や冷凍会社を開設し、宿戸や小子内では漁協連合の共同市場を開設したと言う。 また、野田村の漁協でも農林中金に38,000,000円の融資を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 12日 1956 種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日) 昭和31年1月12日のデーリー東北より。 種市町の八木港では、導灯(航路標識)が消えていたために、前年11月に漁船の遭難事故も発生していた。 そこで、第二管区海上保安本部灯台部では、この導灯を消えないものにする工事をしていた。 また、種市町が昭和29年から陳情運動を行っていた「八木灯台」は予算的に難… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1956 悪書追放のために紙芝居をする大野村の女性(昭和31年1月10日) 昭和31年11月10日のデーリー東北より。 大野村では、悪書追放のために子供たちに紙芝居をしている女性がいるという。 この17歳の女性は、村の農業共済組合に勤めていると言う。 文芸や映画好きなこの女性、もともとは久慈高校大野分校に通っていたのだが、前年の8月に父親が急死してから、一家を助けるために高… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 8日 1956 八戸線にディーゼルカーを増強(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日のデーリー東北より。 盛鉄局では、八戸線の旅客輸送が増えてきたので3月1日から新ディーゼルカーを増強する予定であると言う。 この時点で、ディーゼルカーは5両あったと言うが、それに新車を運転9両加えれば14両となる予定。 ディーゼルカーは、尻内から久慈の間を運転する予定であるが、尻内… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 1月 8日 1956 大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日) 昭和34年1月8日の河北新報岩手版より。 大船渡市では全国の都市に先駆けて、国保の10割給付を行っていたという。 つまり毎年の国保料を支払っていれば無料で医者にかかれるということ? ・・・それはともかく、そのような状態でもあり大船渡市の財政は危機にさらされていた。 それで大船渡市立の病院が建設できず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1956 石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日) 昭和31年1月6日の河北新報より。 盛岡市菜園の石井バレー研究所では70名の少女たちがけいこに励んでいる。 先生の石井智子氏は二戸郡福岡町出身で、日本女子短大を卒業して東京のバレー界で活躍した、と書かれている。 お弟子さんは3つのグループに分かれ。一番けいこを積んだグループを「ハイクラス」と呼んでい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 6日 1956 釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった 昭和31年1月6日の河北新報より。 東北水連と釜鉄真道会が共催で、ヘルシンキオリンピックで800mに出場した谷川禎次郎選手を招き、釜石製鉄所の鈴子プールで水泳教室を開催することとなった。 県内の高校・中学校から60人が参加した。 1月とはいっても寒中水泳というわけではなく、気温は4℃で… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1956 軽米町に観光協会を設立へ(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日のデーリー東北より。 軽米町社会教育委員会の新年初会議が行われ、軽米町に観光協会を設立することを決定した。 そして、主に以下のものを紹介することを決定した。 徳楽寺・袋薬師 八幡宮 大鳥の滝 ヤイホイの巌窟 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1956 野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1956 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明… 続きを読む
l全県 1月 4日 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 1月 3日 1956 新生活運動の正月(昭和31年1月3日) 昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1956 岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目 昭和31年元旦の河北新報より。 農林省は、昭和28年に岩手山麓を「集約酪農地域」に指定して、ジャージー種の乳牛を導入することとした。 その第1陣がニュージーランドから到着したのは12月のことで、最初は35頭、昭和29年3月までに259頭、昭和29年度には271頭が導入され、川口・巻堀・渋民・大更・田… 続きを読む
l全県 1月 1日 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1956 国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 31日 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む