年: 1950年

「学生野球の父」飛田穂洲が盛岡と福岡で講演(昭和25年7月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

「学生野球の父」飛田穂洲が盛岡と福岡で講演(昭和25年7月5日)

昭和25年7月5日の岩手新報より。 「一球入魂」で知られた学生野球の父・飛田穂洲はこの1週間、松尾鉱山にいたのだという。 その飛田穂洲が7月6日に盛岡高校上田校舎で、7月7日には福岡高校で講演するのだという。 一般参加も受け付けるとのこと。      …
盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し…
岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日)

  昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。         &nb…
公立高校の募集状況(昭和25年2月10日) l全県

公立高校の募集状況(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 公立高校の募集状況は以下の通りとなっており、応募定員が釣果したのはわずかに盛岡・一関の両校だけであったという。 ちなみに、当時の盛岡高校は商業科が分離されておらず、柏高校とは盛岡農業高校、高松高校とは盛岡工業高校のこと。    …
山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山のボンペイ街のチャコ「くまのにぐ かわねスか」(昭和25年2月10日)

昭和25年2月10日の新岩手日報より。 連載されていた漫画「山のボンペイ街のチャコ」では、開墾者の所に行っていたようで、熊の肉でお別れという一幕となっている。 しかし「くまのにぐ かわねスか」とは、声に出して読みたい盛岡弁である。          …