f花巻・稗貫郡 4月 26日 1958 花巻電鉄に新車導入 昭和33年4月26日の岩手日報では、「温泉郷結ぶ近代車」として、花巻電鉄に新車が導入されたことを報じている。 岩手日報(昭和33年4月26日)より 新たにお目見えしたのは、日本車両で製造されたのだという。 現在、花巻市材木町公園に保存されている「馬面電車」と違って、さほど幅の狭さは目立たない。 この… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 25日 1958 盛岡市立高校が加賀野に移転 下小路にあった盛岡市立高校がそれまでの校地を下小路中学校に譲渡し、加賀野に移転することになった。 盛岡市立高校は昭和24年に、盛岡市立女子高校と盛岡市立女子商業高校を合併して発足した女子校であった。 これが共学化するのは、この翌年の昭和34年からである。 共学化を見越した校舎の移転だったのであろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 24日 1958 早くもコイノボリ 昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 盛岡東宝第一劇場で「無法松の一生」大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝直営の第一劇場では「無法松の一生」を公開するのだという。 (封切という表現は使っていない) 「無法松の一生」を稲垣浩が監督するのはこれが初めてではなく、昭和18年に大映によって阪東妻三郎主演によって初公開されたのだが、お色気シーンを内務省に検閲され、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 盛岡東映で「大菩薩峠 第二部」「月の輪族の逆襲」封切で東京同時大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 「大菩薩峠 第二部」は、昭和10年の日活(大河内伝次郎主演、稲垣浩監督)に始まり、昭和28年に東映(片岡千恵蔵主演、渡辺邦男監督)でも映画化されている。 今回は東映で片岡千恵蔵が主演で、監督は内田吐夢のバージョンとなる。 また、「変幻胡蝶の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1958 盛岡・国劇で「殿方ご免あそばせ」「船の女」公開!(昭和33年4月20日) 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民劇場では4月20~28日の間、「殿方ご免あそばせ」と「船の女」を公開する。 「殿方ご免あそばせ」(原題:Une Rarisienne)はフランス映画で日本での初公開は昭和32年12月21日。 主演は当時マリリン・モンローと並び立つセ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 20日 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 ラジオ岩手の番組表(昭和33年4月19日) 昭和33年4月19日のラジオ岩手の番組表は以下の通りであった。 ちなみに昭和47年に単位がKCからkHzになり、昭和53年に10kHz刻みから9kHz刻みに変わる前のことである。 JODF(盛岡)580KC JODL(前沢)、JODM(釜石)1060KC 7:20 希望のアルバム 7:30 朝の童謡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 岩手でも日食を観測できた 昭和33年4月19日の日食は、Wikipedia仁も独立して項目がある。 日本の南の報では、金環食を観測することができたようである。 これが岩手ではどうだったか・・・ 盛岡でも日食を観測できるとあり、盛岡一高の天文部も、盛岡地方気象台の屋上に陣取って午前中から大張り切りであった。 そして13時11分… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 19日 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」公開! 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 「明19日大公開!」として、松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」の公開の宣伝をしている。 「若い広場」は高千穂ひづるが主演で、この広告によれば「10代のみずみずしい肢体を未知の人生に激しく燃やす四人の高校三年生!」ということで、何というか「健康的なお色… 続きを読む
l全県 4月 18日 1958 中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日) 昭和33年4月19日の岩手日報と、昭和33年4月20日の読売新聞岩手版より。 岩手県教育委員会は4月18日、指導主事室・県教育研究所・現場教員の三者で、「道徳教育研究機関」を設けることにした。 このことにより、県の実態に即した道徳教育を目指すというもの。 文部省の通達では「毎週1時間道徳教育の時間を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日) 昭和33年4月18日に日が変わった丑三つ時。 盛岡市の寺町である新馬町の長屋から、住人の主婦の悲鳴が上がった。 「誰か来てーーーッ!」 何事かと思って眠りを破られた長屋の住人が集まってくる。 「どうしました?」 「何でもないんです」 ああ、そういえばここには19歳の養子がいたんだった。 喧嘩でもした… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む