a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1947 県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) 昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。  … 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 4月 1947 第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり 自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が… 続きを読む
l全県 7 4月 1947 初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報) 【歴史の1ページ】1947年4月7日:岩手初、伝説の「農民知事」国分謙吉誕生! 終戦からわずか2年。それまでの中央政府から派遣される「官選知事」ではなく、県民が自らの手でリーダーを選ぶ、初めての岩手県知事選挙が行われました。 Screenshot 手元にあるのは、1947年(昭和22年)4月7日付の… 続きを読む
l全県 24 7月 1946 県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報) 昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。 この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指… 続きを読む
l全県 2 7月 1945 県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 7月 1942 厳美村から銃後の便り(S17.7.5新岩手日報) 昭和17年7月5日の新岩手日報には、当時の西磐井郡厳美村(現在の一関市)の「銃後」の様子が記されている。記事の冒頭には「第一線に御奮戦の皇軍の皆様ご苦労様です」という文言が置かれ、戦地への敬意を示す決まり文句として当時の新聞にしばしば見られた表現である。 Screenshot 記事の中心は、6月21… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 7月 1942 気仙郡地方事務所はさかり町記念館(S17.7.3新岩手日報) 岩手県では「地方事務所」制度を設けることになったようだが、気仙地方の事務所は、盛町にある記念館に決まった。 国鉄時代の大船渡線では、盛岡との混同を避けるために、盛を「さかり」とひらがな表記していたが、この当時からその伝統はあったようだ。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 7月 1942 翼賛議員による初の花巻町議会(昭和17年7月2日) 昭和17年7月4日の新岩手日報より。 記事そのものの表現を借りると「花巻町翼賛選良の新町会」。 既に政党は「大政翼賛会」となっていた。 地方議会レベルでも翼賛会の動きが出ていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 11月 1941 岩手県産業奨励館が閉館(S16.11.25新岩手日報) 昭和16年11月25日の新岩手日報が伝える岩手県産業奨励館の閉館ニュースは、開戦直前の緊迫した時代背景を色濃く映し出しています。 Screenshot この記事は、明治から昭和にかけて岩手の近代化を牽引してきた象徴的な建物が、時局の波に押されて52年の歴史に幕を閉じる瞬間を記録したものです。 この施… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
l全県 14 9月 1941 石油が無いので漁業にもランク付け(S16.9.14新岩手日報) 【歴史秘話】昭和16年9月14日「新岩手日報」を読み解く:戦時下の三陸漁業と食糧統制 真珠湾攻撃のわずか3ヶ月前、昭和16年(1941年)9月14日の「新岩手日報」。そこには、戦時体制へと急速に傾斜していく岩手の緊迫した空気と、食卓を襲う厳しい現実が刻まれていました。 Screenshot 特に注目… 続きを読む
l全県 7 8月 1941 県は米・稗・昆布の「三穀飯」を推奨(S16.8.7新岩手日報) 昭和16年、戦時下の知恵?岩手県が推奨した「三穀飯」とは 〜新岩手日報のアーカイブを読み解く〜 こんにちは。本日は、古い新聞記事から、今から80年以上前の岩手県の暮らしを覗いてみたいと思います。 Screenshot 今回ご紹介するのは、昭和16年(1941年)8月7日付の『新岩手日報』(現在の岩手… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 2月 1941 県下3番目の宮古市発足(S16.2.11新岩手日報) 昭和16年2月11日の紀元節に発行された新岩手日報の紙面は、宮古市が産声を上げた瞬間の熱狂を詳細に伝えています。 Screenshot 明治22年の盛岡市、昭和12年の釜石市に続く岩手県内3番目の市として誕生した宮古市に対し、新聞は海陸無限の宝庫や世紀の発足、三陸沿岸の心臓といった力強い言葉を冠して… 続きを読む
l全県 24 12月 1940 大政翼賛会岩手県支部発足(S15.12.24新岩手日報夕刊) 皆さん、こんにちは。 今日は、歴史の1ページを紐解く貴重な資料をご紹介します。 Screenshot 今から84年前、昭和15年(1940年)12月24日付の『新岩手日報』夕刊(実際の発行は23日)です。 この日の紙面を埋め尽くしているのは、岩手県における戦時体制の大きな転換点、**「大政翼賛会 岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1940 米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 米内光政の勝利大臣就任を祝し、雪沢岩手県知事は銘酒「岩手川」の四斗樽1本を贈ることとした。 1月16日16:10の仙北町発列車で送られることとなった。 確かに「岩手川」の工場は仙北町である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1940 菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 記事の表現をそのまま借りると「盛岡市の中心に四百六十戸のインテリ家庭を扼する菜園親和町会」なのだそうで、令和4年現在、川徳デパートのあるあたりはインテリ家庭が住んでいたようである。 その菜園親和町会は1月14日午後4時から多賀会館で開かれ、町内の有力者60名が出… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1940 燃料代の高騰で盛岡市内の銭湯の休業が相次ぐ(昭和15年1月14日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 盛岡市内の銭湯は、燃料代の高騰で休業が相次いでいたのだという。 「自宅に風呂があるのが当たり前」という時代ではない。 風呂に入りたければ銭湯に行くというのが当たり前の時代だった。 盛岡市の中心部である菜園には460戸の家があったが、「南部浴場」が休業していたので… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1938 自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶 昭和13年4月18日の読売新聞より。 明治21年(1888年)に町村制が発布され、昭和13年で50周年を迎えることとなった。 そこで、内務大臣の招待を受けた69町村、個人352名の総代として、明治25年から46年の長きにわたって村長の座にあった、岩手県上閉伊郡金沢村の兼沢福次郎村長(77歳)が挨拶を… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 3月 1938 女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日) 昭和13年3月6日の岩手日報より。 江刺郡伊手村の35歳の書記は出稼ぎ指導員でもあったが、女工の募集に来た滋賀県の近江絹糸の募集員に、村内の2名の少女(17歳、16歳)と勝手に契約を結び、前渡金70円を自分が詐取したということで、執務中に岩谷堂警察署に連行されることとなった。 ところがこの書記、この… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 3月 1938 江刺郡稲瀬村に「精農塾」 昭和13年3月5n日の岩手日報より。 江刺郡稲瀬村に、この年度の経済厚生助成事業として、稲瀬小学校の隣に「精農塾」を設置することとした。 これは、青年修養施設として、青年団員や青年学校生徒を合宿させ、農民精神の高揚や村有地の開墾事業を行わせるというもの。 精農塾には、農具はもとより荷車、農薬といった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 3月 1935 釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) 昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 三陸大津波2周年で県庁で避難演習(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 昭和8年3月3日、三陸大津波は岩手県にも甚大な被害を及ぼした。 そこから2年が経過し、岩手県庁では避難演習をしたのである。 想定としては「上閉伊郡釜石港に津波の襲来があり、本県海岸一帯人畜家屋の被害甚大、盛岡市内赤十字病院裏手より発火し目下北風にあおられて延焼中」… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1935 上閉伊郡金沢村では「村民絶対禁酒」(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 上閉伊郡金沢村では、更生村民大会において、村民は絶対禁酒で、この決まりを破ったら冷害の義援金を交付しないと言う決議を行った。 これは、同様に例外に苦しんでいた県内でも珍しいことであった。 … 続きを読む