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盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ…
山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 それまで、盛岡~宮古を結ぶ山田線といえば急勾配やトンネルをC58や8620といった蒸気機関車が喘ぎながら、機関士も客も煙で真っ黒になりながら移動するのが当たり前の「カラス列車」だった。 このような中、12月1日、山田線の盛岡~釜石にディーゼルカーは導入されること…
日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日)

昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故…
カミナリ親父とカミナリ族 l全県

カミナリ親父とカミナリ族

昭和34年9月29日の岩手日報に掲載された漫画より。 カミナリ親父も寄る年波で引退だという。 しかし今度は息子の方がカミナリ族になっているというオチ。 当時、オートバイでスピードを出しまくる「カミナリ族」が各地で問題になっていた。…
日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で! a盛岡・岩手郡・紫波郡

日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で!

昭和34年9月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車が日産ディーゼルトラックと民生ディーゼルトラックの広告を打っている。 この時期、トヨタにしろいすゞにしろくろがねにしろ、菜園とか大沢川原といった、下ノ橋の北側の中津川沿いに自動車販売会社が集中していたようである。    …
伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 l全県

伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響

昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水…
岩手日産「車は生きている・・・」 l全県

岩手日産「車は生きている・・・」

昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。    …
統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」 k大船渡・陸前高田・気仙郡

統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」

昭和34年9月17日岩手日報より。 県統計協会により小・中学生の統計図表コンクールが開かれ、応募75点のうち、小学生の部の知事賞は陸前高田・気仙小3年1組の「姉歯橋の交通調査」であったという。 姉歯橋は当時は国道45号線で陸前高田から気仙沼方面に出る時は必ず通る橋であったようである。 自家用車を「ト…
岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日)

昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが…
昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日)

昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田…
岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手東部バスが釜石周辺で5路線を運行開始(昭和34年9月13日)

昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスが、5つの路線を申請していたところ、正式認可となり9月13日から運行開始することとなった。 その5つの路線とは以下の通り。 釜石〜遠野(7往復) 盛岡〜釜石(5往復)岩手中央バスとの共同運行 大槌〜遠野(2往復)笛吹峠経由 釜石〜平田(4往復) …
仙人トンネル開通(昭和34年9月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人トンネル開通(昭和34年9月12日)

IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和34年9月12日、仙人峠にトンネルが開通。 この当時はまだ有料道路であり、なおかつ「国道283号線」ではなく「県道盛岡釜石線」の時代。 バスは県南バスカラーのようであるが「IKB」ではなく「TBK」とある。 岩手東部バスは昭和32年に岩手県南バスの傘下に入っ…
仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り…
釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 この数日、釜石港ではにわかにスルメが大量に水揚げされ、8月22日の朝などはイカ釣り船110隻がスルメ180トンを大量に水揚げしてきた。 スルメが水揚げされたら貨車で運ばないといけない。 この日は釜石駅に31両の配車があったが、前日の滞貨が30車分あったので、…
山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日)

昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。    …
岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日)

昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。 明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。 そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。 しかし、仙人峠がそれを遮っていた。 戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた…
「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日)

昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が…
江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日)

昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう…
釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この日の夜3時ごろ、釜石市内のバーで飲んでいた外人客が、バーテンから時計を強奪した。 通報で駆け付けた釜石署員に逮捕されたが、それは釜石港に出入りしていたリベリア船籍の貨物船の40歳の船員であった。 Betanko Policarpoという名前だということで…
「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。   ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。   …
釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。   この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? …
釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) d宮古・下閉伊郡

釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石選挙区から選出の石川県議(自民党)は、盛岡鉄道管理局を訪れ「ディーゼルカーを早期運行してほしい。遅くとも5月末から」と要請した。 盛鉄局によれば、「宮古市の利用債引き受けが可能であれば、釜石始発は花巻経由で盛岡へ、盛岡始発は山田線経由で釜石泊まりになるよ…
釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日)

昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石駅を出て右手の中妻方面に行く際、最初にわたる橋は「五ノ橋」であるが、この五ノ橋でバスが危うく転落しそうになった。 5月18日の昼下がり、東前発小川社宅行きの岩手東部バスは、釜石市の中心部から住宅地の小川に向け、買い物帰りの親子連れ等30名を乗せて走ってい…