k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 9月 1954 岩手県で11番目の市名は「陸前高田」と決まる(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 昭和の大合併で、県内の各町村が市に昇格していたが、その11番目は気仙郡高田町が「陸前高田市」になるものであった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 16 9月 1954 東洋一の威容を誇る田瀬ダムが貯水開始(S29.9.16岩手日報) 県の総合開発の目玉となっていた田瀬ダムが谷内村(のちの東和町)に完成、貯水を開始した。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 15 9月 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1954 発足したばかりの玉山村で早くも分離運動 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 4月1日に玉山・渋民・薮川の3村が合併して発足した玉山村であるが、半年もしないうちに分村運動が起きていた。 旧玉山村は分村して盛岡市に編入したい。 旧渋民村松田地区・平田第1~8地割は巻堀村に編入したい。 いずれも、新しい玉山村の発足自体が反対を押し切って発… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1954 これが「盛岡市営バス」計画だ 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の人口増加や近隣町村との経済的な連携、観光事業の振興策として盛岡市議会で委員会を設けて推し進めているもので、すでに市営バスを運行している八戸、青森、秋田、浜松、岐阜、尼ヶ崎、姫路の7都市を視察するなどしていた。 また、一本木原に陸上自衛隊キャンプが着工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 8月 1954 志和村は紫波郡南部の合併に参加したくない(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 この時期「昭和の大合併」で各市町村は合併が進んでいた時期である。 4月には花巻市・北上市・水沢市が誕生している。 紫波郡の南側は、日詰町を中心に古舘・水分・志和・赤石・彦部・佐比内・赤沢・長岡の各村を合併させようと県では考えていた。 しかし人口7千で財政規模がそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 7月 1954 内陸部の市町村合併のゆくえ(S29.7.22岩手日報) この時「昭和の大合併」が進んでいたが、内陸部では、上閉伊郡達曽部村が周辺の大迫・宮守・土沢・遠野のどこと合併するかで揺れていた。 また、紫波郡では郡で1つの町になるという案もあったらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 7月 1954 小谷木橋落成・水沢市制祭り(昭和29年7月3日) 昭和29年7月3日の岩手日報より。 広告欄には水沢市〜羽田村(現在の水沢江刺駅付近)を結ぶ小谷木橋の落成と、水沢市の市制を祝う祭りの広告が。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1954 岩手県警察本部が発足(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 戦後、アメリカに占領されてからというもの、警察制度は内務省警保局の下の各都道府県警察部が解体され、アメリカばりに「自治体警察」「国家地方警察」に分かれることになった。 例えば盛岡でいえば、盛岡市は「盛岡市警察署」、その周辺の滝沢村や見前村や乙部村や大田村などは「国… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1954 時ならぬ突風で知事公邸の板塀も倒れる 昭和29年4月20日の岩手日報より。 19日は県内に突風が吹き荒れ、歩くのにも難儀した状態であったという。 知事公邸では板塀が倒れるほどの状態となった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 4月 1954 県庁に「メイル・ボーイ・システム」 昭和29年4月17日の読売新聞岩手版より。 県庁では「メイル・ボーイ・システム」を採用するのだという。 どういう制度かというと、1日4回、6人のメイル・ボーイを回らせて各課の文書を集配し、事務能率を向上させるのだという。 そのためのボックスが近く各課に配置されるのだという。 幅は2尺(60cm)、奥… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 14 4月 1954 水沢で選管事務局長が過労死(昭和29年4月14日) 昭和29年4月15日の岩手日報より。 水沢市長選挙と水沢市教育委員選挙の公示日である4月14日朝6時過ぎ、その水沢市の選挙管理委員会事務局長(51歳)が自転車で通勤途中に突然心臓麻痺で死亡したのだという。 事務局長は前夜11時まで作業を行い、その日も朝3時から各支所あての事務作業を行っていたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 3月 1954 「税金を納めましょう!」小学生の作品展 昭和29年3月11日の岩手日報より。 盛岡納税貯蓄連合会のポスター習字児童作品展示会が3月10日から2日間、盛岡商工会議所で開催された。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 3月 1954 清水原信号場を駅に昇格してほしい 昭和29年3月11日の岩手日報より。 この頃、東北本線は電化しておらず、単線区間もかなりあった。 そうしたところ、一関以南が複線化することになり、西磐井郡花泉村にある清水原信号場も不要になるということで、廃止の話が持ち上がった。 隣接する金沢村は「現在の信号場の300m南にある踏切付近に移転するので… 続きを読む
g北上・和賀郡 6 3月 1954 昭和の大合併:「北上市」も認可 昭和29年3月6日の岩手日報より。 町村合併促進法に基づくいわゆる「昭和の大合併」で全国では市町村の合併が進んでいた。 岩手県でも、この年の4月には稗貫郡花巻町を中心として「花巻市」が、胆沢郡水沢町を中心に「水沢市」が誕生する予定であった。 和賀郡黒沢尻町を中心として飯豊村・鬼柳村・更木村・二子村・… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1954 盛岡市に市営バス計画!? 昭和29年3月3日の岩手日報より。 盛岡市では市営バスの計画があったようで、すでに市営バスを運営していた青森市・八戸市・秋田市にも視察に行っていたようである。 市議会の市営バス協議会では、市営バスの実現は必要だということを確認はしたが、更なる視察調査が必要であることを確認し、次回の市政調査会に中間報… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 29 11月 1953 外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 外国航路の船員が、所得税を差し押さえられると言う珍事が発生した。 これは、日本郵船の船員で、胆沢郡佐倉河村出身の23歳の男性。 これは、本籍地の佐倉河村で、昭和26年度以降の所得税9000円余りが滞納になっていたと言うもので、オーストラリアのブリスベーンに… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 10月 1953 どうなる江刺郡の合併問題(昭和28年10月7日) 昭和28年10月7日の胆江日日新聞より。 江刺郡の合併問題について、10月3日江刺具町村合併促進協議会が行われた。 江刺郡の中心となる(後年、江刺市役所が置かれることにもなる)岩谷堂町の町長からは、富山県の石動・桜井近辺の総合開発で合併の基礎が作られていることにより、江刺郡も猿ヶ石川の総合開発と並行… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1953 胆沢郡内の町村の人口は?(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の胆江日日新聞より。 この時期、「町村合併促進法」により、市町村の合併が進められていた。 財政面からは人口8千人以上が望ましいとされていたが、この時期の胆沢郡の町村人口はどのくらいであったか? 人口 面積 水沢町 18,924 11.71 前沢町 9,332 26.99 金ヶ崎町… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 8月 1953 水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 胆沢郡水沢町とその周辺の村々の合併と市制問題につき、8月7日に各町村の代表者により第1回準備員会を開いた。 そして16日には合同会議を開いた。 水沢と合併するのは小山村を除く1町6村であるとみられていた。 該当する町村の人口は以下の通り。 水沢市 18,92… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 3月 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 3月 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。 しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 9月 1952 我が町わが村「世田米町」 昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、… 続きを読む
g北上・和賀郡 11 9月 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1952 大船渡市の立根支所・立根中学校が新築落成 昭和27年9月3日の岩手日報より。 4月に市制したばかりの大船渡市で、立根支所(旧立根村役場)と立根中学校の校舎が完成し、完成記念式典が挙行された。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1952 市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。 &nbs… 続きを読む