三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日)

昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。

昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。

津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。

その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われた。

田老町

田老町は、昭和8年の大津波で全町壊滅の被害を受けた。

そして、生存者のたゆみない努力で区画整理や水道も完成し、津波予防のための堤防も築いた。

そして、前年の9月には、工費60万円円を投じて、役場の裏手にマイクを設置し、津波のときにはサイレンを鳴らし、マイクで情報を、町民に知らせる設備を整えたのである。

令和の現在で言う「防災無線」がこの時点で整備されていたと言うことである。

3月3日当日は、960メートルが未完成のままになっている堤防の完成の署名運動や、午前3時にサイレンを鳴らし、その時間に起きて仏前に三陸津波犠牲者の霊に祈ると言うことにしたと言う。

そして、避難訓練とともに、町内の寺の境内の津波記念碑の前に全町民が集まって合同慰霊祭を行い、午後は公民館で座談会を開くのだと言う。

宮古市

宮古市では、県からの警報伝達によって、沿岸地区や閉伊川筋の各町内の学校の避難訓練を行うと言う。

また、3月4日の十勝沖津波1周年には、愛宕小学校で東大の教授を招き、津波に関する講演会を開くのだと言う。

津波の予報

津波の予報は、全国を15区に分けて中央気象台長が発令すると言う。

三陸沿岸は第4区となり、仙台管区気象台から有線または無線で直ちに管内の電報電話局と測候所に送達されるのだと言う。

これを受けた電報電話局と測候所は、それぞれが警察、放送局、駅に伝達し、二本立ての伝送経路としているのはと言う。

 

 

 


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