地方自治

岩手県教組が教育委員選挙に関するデマに対する反論声明(昭和23年9月28日) m県外・参考

岩手県教組が教育委員選挙に関するデマに対する反論声明(昭和23年9月28日)

昭和23年9月28日の岩手新報より。 この頃、教育委員は選挙で選んでいた。 教育委員の選出の対立軸はやはり保守対革新で、組合側も各自治体で教育委員候補を擁立していた。 そこへ「多数の候補を擁立して選挙事務の妨害を図っている」というデマが流されたようである。      …
あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) j東磐井郡

あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日)

昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ…
赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

赤川用水路通水式で関係各村はお祝い広告(昭和23年7月14日)

昭和23年7月14日の岩手新報の広告欄より。 赤川用水路の通水式が行われ、関係各村からもお祝い広告が出されている。 村役場が直接出してるだけでも岩手郡巻堀村、渋民村、大更村と、松尾鉱山のふもとの赤川を農業用水に使っている各村から出されていた。 ただし、この赤川用水路は松尾鉱山の垂れ流す酸性水で何年も…
政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日) l全県

政府機関の人員整理計画は岩手県庁は特に影響なし(昭和23年5月18日)

昭和23年5月18日の岩手新報より。 政府では「事務標準化」「生活安定」と目標として人員整理をすることとなった。 岩手県職員の定員は3,706名であったところ、このような定員整理を見越して、退職者を補充しない自然淘汰の形をとっており、この時点で3,065名になっており、特に人員整理を行わない方針であ…
県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日)

昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。      …
第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり c久慈・九戸郡

第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり

自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が…
県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) l全県

県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日)

昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に…
水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日)

昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計…
菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

菜園の町内会はインテリ家庭が多い(昭和15年1月14日)

昭和15年1月16日の岩手日報より。 記事の表現をそのまま借りると「盛岡市の中心に四百六十戸のインテリ家庭を扼する菜園親和町会」なのだそうで、令和4年現在、川徳デパートのあるあたりはインテリ家庭が住んでいたようである。 その菜園親和町会は1月14日午後4時から多賀会館で開かれ、町内の有力者60名が出…
燃料代の高騰で盛岡市内の銭湯の休業が相次ぐ(昭和15年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

燃料代の高騰で盛岡市内の銭湯の休業が相次ぐ(昭和15年1月14日)

昭和15年1月16日の岩手日報より。 盛岡市内の銭湯は、燃料代の高騰で休業が相次いでいたのだという。 「自宅に風呂があるのが当たり前」という時代ではない。 風呂に入りたければ銭湯に行くというのが当たり前の時代だった。 盛岡市の中心部である菜園には460戸の家があったが、「南部浴場」が休業していたので…
江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」

昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。  …
厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日)

昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交…
自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶 e釜石・遠野・上閉伊郡

自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶

昭和13年4月18日の読売新聞より。 明治21年(1888年)に町村制が発布され、昭和13年で50周年を迎えることとなった。 そこで、内務大臣の招待を受けた69町村、個人352名の総代として、明治25年から46年の長きにわたって村長の座にあった、岩手県上閉伊郡金沢村の兼沢福次郎村長(77歳)が挨拶を…
女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日) h水沢・江刺・胆沢郡

女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日)

昭和13年3月6日の岩手日報より。 江刺郡伊手村の35歳の書記は出稼ぎ指導員でもあったが、女工の募集に来た滋賀県の近江絹糸の募集員に、村内の2名の少女(17歳、16歳)と勝手に契約を結び、前渡金70円を自分が詐取したということで、執務中に岩谷堂警察署に連行されることとなった。 ところがこの書記、この…
江刺郡稲瀬村に「精農塾」 h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡稲瀬村に「精農塾」

昭和13年3月5n日の岩手日報より。 江刺郡稲瀬村に、この年度の経済厚生助成事業として、稲瀬小学校の隣に「精農塾」を設置することとした。 これは、青年修養施設として、青年団員や青年学校生徒を合宿させ、農民精神の高揚や村有地の開墾事業を行わせるというもの。 精農塾には、農具はもとより荷車、農薬といった…
北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 a盛岡・岩手郡・紫波郡

北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文

昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12…
釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日)

昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給…
三陸大津波2周年で県庁で避難演習(昭和10年3月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

三陸大津波2周年で県庁で避難演習(昭和10年3月3日)

昭和10年3月3日の岩手日報より。 昭和8年3月3日、三陸大津波は岩手県にも甚大な被害を及ぼした。 そこから2年が経過し、岩手県庁では避難演習をしたのである。 想定としては「上閉伊郡釜石港に津波の襲来があり、本県海岸一帯人畜家屋の被害甚大、盛岡市内赤十字病院裏手より発火し目下北風にあおられて延焼中」…
盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日)

昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため…
浄法寺村議会で放尿・乱闘さわぎ(昭和10年2月27日) b二戸・二戸郡

浄法寺村議会で放尿・乱闘さわぎ(昭和10年2月27日)

昭和10年3月1日の岩手日報より。 浄法寺村議会では、前の村長の功労金として、3500円を出すべく議案を提出した。 これに対して、傍聴者50名が議場に押し寄せて村長を罵倒するなどとなった。 15時ごろ、この件に不満を抱く村議会議員が、酒気を帯びて役場へ行き、「この功労金の議案を可決してみろ!ただでは…
稗貫郡湯口村で県内初の村立病院(昭和10年2月27日) f花巻・稗貫郡

稗貫郡湯口村で県内初の村立病院(昭和10年2月27日)

昭和10年3月1日の岩手日報より。 稗貫郡湯口村では、村立病院を計画しており、2月27日の村議会で満場一致で決定された。 予算総額は7300円で、300円は用地日、5000円を建設費、2000円は設備費で、専属医師1名を置き、他に花巻共立病院や組合病院と協定して、毎日1回か2回、専門医の出張を求める…