a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1943 ⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1943 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) 昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1943 悪質なデマで米の供出を阻んだ村長を逮捕(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 岩手県警察部特高課では、悪質なデマで米の供出を阻んだとして、4月7日に以下の3名を逮捕したという。 以下の表現は記事中の表現ママ。 岩手郡某村長 東磐井郡某村長 和賀郡谷内村某 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 6日 1943 木材業者がデマを放って立木を買占め逮捕(昭和18年4月6日) 昭和18年4月3日の岩手日報より。 水沢警察署は、デマを放って立木約1000本(3000円相当)を買い占めた西磐井郡山目村と胆沢郡衣川村の2名の男を、言論臨時取締法によって逮捕した。 どのようなデマかはこの記事では明らかにされていない。 … 続きを読む
l全県 4月 4日 1943 電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 2日 1943 大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 稗貫郡大迫町では、北方前線で敵である米国の撃滅に戦闘をしている皇軍に指人形を送って慰問しようとしていた。 国民学校では指人形を作り、婦人会では衣装を作ったと言う。 そして4月2日に600個が出来上がり、町役場に持ち込まれたので、街では近日中に荷造りをして盛岡連隊… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 1日 1943 萩荘村の凍み豆腐が前線へ(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 西磐井郡萩荘村の凍豆腐は、県内で唯一の軍需凍豆腐として前線に送られることになった。 3月29日には、製品検査が行われたが、その成績も極めて良好で近いうちに発送することになったのだと言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 3日 1942 西磐井郡真滝村の狐禅寺で落下傘を供え蚕霊供養(S17.7.3新岩手日報) 西磐井郡真滝村(現:一関市)の狐禅寺で、蚕業婦人会が絹糸で生産された落下傘を供えて、蚕の霊を供養していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 岩手県公会堂で前線を偲ぶ演芸会(S17.7.2新岩手日報) 岩手県公会堂で、白衣の勇士を招き「前線を偲ぶ演芸会」が開催された。 白衣の勇士とは傷痍軍人のこと。 このような福祉事業は、皇后陛下の御心のもとに行われるということになっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1942 盛岡市で隣組配給制を再検討する懇談会(S17.7.2新岩手日報) この時期、盛岡市では配給制に不満のある市民もいたようで、近く懇談会が開かれると言うことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 24日 1942 ノモンハン事件で戦死した釜石市出身勇士の遺族に皇后陛下が御下賜品(昭和17年1月24日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 満蒙国境で展開されたノモンハン事件で戦死した日本兵は7000人とも9000人ともいわれている。 この戦死者に対し、釜石市出身者遺族に1月24日、盛岡の県庁本庁舎で御菓子と御歌複本の伝達式が行われるという。 対象者は14名であった。 &… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 1月 16日 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
j東磐井郡 1月 11日 1942 東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1942 岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を… 続きを読む
備考※1 12月 8日 1941 【参考】対米英宣戦布告 1941昭和16年12月8日、真珠湾攻撃に成功し対米英に宣戦布告。 https://www.youtube.com/watch?v=CLiLkoHhgC8… 続きを読む
m県外・参考 11月 22日 1941 第77回臨時帝国議会(決戦議会)を終わって県選出議員の所感 この時期、日中戦争のさなかであったが、アメリカが日本から満州や中国戦線から手を引かせようとしていた。 これを日本は「アジアのやっていることに欧米列強が首を突っ込んできた。どうせアメリカだって同じことをしようとしているくせに」と国民全体に不満が鬱屈していた。 第77回臨時帝国議会は「決戦議会」と呼ばれ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 6日 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 3日 1941 一関町の巴軽楽団は鳴子温泉の陸軍療養所に傷痍軍人を慰問(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 一関町の巴軽楽団は11月3日の明治節の良き日に宮城県の鳴子温泉の陸軍病院療養所で傷痍軍人の慰問を行うことになったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 3日 1941 胆沢郡南都田村から東京陸軍病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問団(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 胆沢郡南都田村の有志は11月3~4日に東京陸軍第一・第二病院に鬼剣舞で傷痍軍人の慰問を行うという。 そして靖国神社と明治神宮で奉納園芸を行う予定であるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1941 毎月1日は興亜奉公日(S16.11.2新岩手日報) 昭和十四年以降、毎月1日は「興亜奉公日」として、弁当は日の丸弁当にすることなどが定められていた。 盛岡市内でも、興亜奉公日の遥拝などが展開されていた。 … 続きを読む
l全県 11月 2日 1941 逓信省「12月1日~3月31日は電力の消費規制を行います!」(昭和16年11月2日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 この時期は日中戦争のさなかでもあり、また冬の渇水期間でもあり、逓信省は電力の消費規制を行うことにした。 期間は昭和16年12月1日~昭和17年3月31日。 これまでもこの種の規制は行っていたが、これを強化するものとなり、取付灯数20灯以上から、取付灯数10灯以上… 続きを読む
m県外・参考 11月 1日 1941 電撃宰相東條さん「国を強くする為に皆んな働かう!」(S16.11.1新岩手日報) 時の宰相東條英機が大政翼賛会の会合で演説をする。 「国を強くするために皆んなで働こう!」 戦争とは例外なく職場をブラックにするものだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1940 盛岡でも米の切符制を(S15.8.1新岩手日報) 全国市長会議が札幌市で開催され、それに盛岡市長も出席したようであるが、この時点で札幌市では米の切符制を開始していたようだ。 盛岡市でもこれを導入すべきという市長の見解であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1940 9月に盛岡で紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会を開催!(S15.8.1新岩手日報) 9月には盛岡の岩手公園や桜山神社境内などで「紀元二千六百年奉祝聖戦銃後博覧会」を盛大に開催するのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 31日 1940 新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ… 続きを読む