i一関・西磐井郡 22 9月 1953 「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日) 昭和28年9月22日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、「アナタハン島の真相はこれだ」を上映するという。 「アナタハン島の真相はこれだ」は昭和28年4月10日公開の新大都映画。 新大都映画とはあまり聞かない名前だが、zames_makiさんという方のブログによれば、「1953年頃に際物作品をわずか… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 9月 1953 市制を目指す水沢町が先行して市制した気仙沼市に学ぶ(S28.9.18胆江日日新聞) この時点で水沢市は発足しておらず胆沢郡水沢町だったが、先行して市制した気仙沼市に色々学ぼうと懇談会を開いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 9月 1953 油島信号場を駅に昇格してほしいと陳情運動(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 東北本線の油島信号場は、周辺町村により駅昇格運動が展開されており、地元負担額についても調整が付くことになった。 地元の油島村と、隣村の永井村・涌津村の各村長が9月7日に盛鉄局を訪れ陳情するという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 9月 1953 中山マサ厚生政務次官が水沢で講演し座談会(昭和28年9月3日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 水沢公民館主催の夏季大学では、厚生政務次官の中山マサを招聘して講演会を行ったという。 その後の座談会では、以下のようなことが話し合われたという。 未亡人にはタバコ販売店が優先的に許可されるので更生の一端にしてほしい。 妊娠調節の不徹底で不幸が起きている。その器… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 8月 1953 中共からの帰国者のその後(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 興安丸に乗って中国から帰国してきた人々はその後どうなっただろうか。 日本社会に順応しているだろうか。 一関市や西磐井郡では12世帯、27名いたのだという。 その数例を追う記事である。 一関市 42歳男性 昭和19年に三井鉱山本社から満州三井に転任。 引揚後、三井… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 18 8月 1953 水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 胆沢郡水沢町とその周辺の村々の合併と市制問題につき、8月7日に各町村の代表者により第1回準備員会を開いた。 そして16日には合同会議を開いた。 水沢と合併するのは小山村を除く1町6村であるとみられていた。 該当する町村の人口は以下の通り。 水沢市 18,92… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 8月 1953 癩病患者が東北新生園を脱走して一関の夏祭り見物(昭和28年8月15日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 8月15日の朝4時頃、一ノ関駅前をうろついていた挙動不審の男がいた。 警察官が職務質問したら、宮城県瀬峰の癩療養所「東北新生園」から脱走してきた50歳の男であるという。 脱走して東磐井郡大原町の子供に会いに行く途中であったという。 この男を一応保護して保健所を通… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 5月 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 3月 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 3月 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 10月 1952 盛岡市青山は「引揚者の町」だった 昭和27年10月7日の岩手日報より。 盛岡市青山町は、住民の実に7割までが引揚者であり、「岩鷲寮」には樺太からの無縁故引揚者が657世帯2785名、「青山寮」には朝鮮・台湾・南方からの引揚者が503世帯2322名入っていたという。 かつては「観武(みたけ)ヶ原」と呼ばれていた帝国陸軍の師団があった場… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員選挙:最後のお願い(S27.10.4岩手日報) 昭和27年の秋、岩手の町や村では教育委員の選挙が行われていた。 今では考えにくいが、当時は教育委員も公選制で、「先生を選ぶ人を選ぶ」時代である。翌日に投票を控え、候補者たちは「最後のお願い」に駆け回っていた。 Screenshot だがその光景は、いささかカオスだった。 ある村では、「誰が出るのか」… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員選挙はカオス(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 激戦地・一関市の最後のお願い。 戦後の民主化により、教育委員も公選制の時期があったのだが、なかなかのカオスな状況だったようである。 それで「最後のお願い」とばかりに、自転車だ、トヨペットだ、自動車だと演説に忙しい状況であった。 ちなみに「トヨペット」が自家用車の… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員を選挙で選んでいた時期があった(昭和27年10月4日) 昭和27年10月4日の岩手日報より。 「町も村も教育の総選挙」という見出しで写真記事が掲載されている。 何の選挙かというと市町村の教育委員の選挙である。 戦後の民主化で、教育委員も選挙で選ぶことになった。 しかしこの制度には弊害もあったようで、教育の現場に政治が持ち込まれるということで… 続きを読む
l全県 27 9月 1952 自由党「先ず政局の安定!」(S27.9.27岩手日報) 自由党が広告を出している。「先ず政局の安定!」 自由党は昭和31年に民主党と合併して「自由民主党」となる。… 続きを読む
l全県 19 9月 1952 衆議院選挙・マイクは街から村へ(S27.9.19岩手日報) 昭和27年に行われた第25回衆議院選挙は9月5日公示、10月1日投票。 選挙戦が各地で繰り広げられていた。 結果は以下の通り。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 9月 1952 我が町わが村「世田米町」 昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、… 続きを読む
g北上・和賀郡 11 9月 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1952 聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。 それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。 しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにする… 続きを読む
l全県 5 9月 1952 衆議院選挙始まる(昭和27年9月5日) 昭和27年9月6日の岩手日報より。 8月28日に、第三次吉田内閣は抜き打ち解散をして、9月5日に衆議院選挙が始まった。 この選挙は、昭和25年に公職選挙法が制定されて、はじめての選挙となる。 この当時の選挙カーはトラックを流用していたようである。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1952 盛岡市警察署員が岩手公園で訓練 昭和27年9月4日の岩手日報より。 秋晴れの空の下、岩手公園で盛岡市警察署員が点呼を行う。 記事には「十三万市民をまもる・・・」と書いている。 当時、盛岡の人口は13万人であったようだ。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1952 大船渡市の立根支所・立根中学校が新築落成 昭和27年9月3日の岩手日報より。 4月に市制したばかりの大船渡市で、立根支所(旧立根村役場)と立根中学校の校舎が完成し、完成記念式典が挙行された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1952 仙人峠トンネル着工(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 遠野と釜石を結ぶ仙人峠トンネルが着工下という。 これは釜石鉱山の探鉱を兼ねるもので、アメリカから最新機器を導入して開始したのだという。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1952 市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。 &nbs… 続きを読む