a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1952 あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市内の洋品店の広告のようだが、余りに地図が雑すぎて最初どこだか分からなかった。 特に盛岡駅との位置関係。 盛岡郵便局(現在のブラザおでっての位置)がなければ分からなかったのではないだろうか。 盛岡駅前の、開運橋の通りをまっすぐ行けば... まず七十七銀… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1952 夏枯れに備え百円セール(昭和27年7月1日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 盛岡市内の商店街は「夏枯れ」の時期が近づいていたが、あの手のこの手で誘客を図っていたようである。 盛岡市大通では「百円セール」を開催していた。 … 続きを読む
l全県 8 5月 1952 砂糖は自由販売になって居ります!(昭和27年5月8日) 昭和27年5月8日の岩手新聞より。 広告欄には、岩手県内の砂糖卸商により、「砂糖は自由販売になりました」と言う広告が出されている。 このように、わざわざ「自由販売」であることを主張すると言うことが、戦中戦後の統制の多い時代を物語っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 8月 1951 「盛岡銀座」肴町納涼祭の広告(昭和26年8月8日) 昭和26年8月8日の「夕刊いわて」より。 広告欄には肴町の納涼祭の広告が。 肴町は「盛岡銀座」をもって自認していたようである。 現在でもあるのは東山堂書店、繁田園、岩舘電気などであろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 7月 1951 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール(昭和26年7月29日) 昭和26年7月29日の「夕刊いわて」より。 盛岡市内の服地店では夏物一掃セール。 7月末の時点なので、この時点から8月に服を作ったとしても着るのは秋頃になるわけで、もう「一掃」ムードだったのだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 7月 1951 八日町・四ツ家町連合中元大売出し(昭和26年7月26日) 昭和26年7月26日の「夕刊いわて」より。 盛岡の八日町・四ツ家町では連合して中元の大売り出しをするという。 いずれも現在の本町通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 7月 1951 海の記念日は盛岡市内の魚屋で「魚まつり」!(昭和26年7月20日) 昭和26年7月20日の「夕刊いわて」より。 7月20日は昔から「海の記念日」だったようで、盛岡市内の魚屋ではキャンペーン。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 7月 1951 盛岡の呉服店で夏物処分セール(昭和26年7月14日) 昭和26年7月14日の「夕刊いわて」より。 盛岡の呉服店では夏物の投げ売りセールをやっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 7月 1951 盛岡・穀町の織物問屋では大特売会(昭和26年7月5日) 昭和26年7月5日の「夕刊いわて」より。 盛岡市穀町の織物問屋では大特売会を行うという。 穀町なので現在の南大通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1951 お中元にふさわしい夏の品々(昭和26年7月2日) 昭和26年7月2日の「夕刊いわて」より。 お中元商戦に向け、盛岡市内の各店舗が広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 6月 1951 女子プロ野球団「マルキンシスターズ」が市内で行列(昭和26年6月17日) 昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。 盛岡に来た女子野球野球団「マルキン・シスターズ」は、薄いグレーのジャンパーと白いユニホームで盛岡市内を行進した。 その後、盛鉄球場で地元名士軍などと試合したが、その試合結果は書いていない。 夕刊誌だったので、入稿時間に間に合わなかったのだろうか。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 マルキン女子野球団来たる!(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」の広告欄より。 岩手新報社の後援で行われるという女子プロ野球の盛岡での試合は、夕刊いわてでも盛んに広告されていた。 また、チームのスポンサーであったマルキン醤油は小豆島の醤油メーカーで、現在でも盛業中である。 「マルキン醤油記念館」というのもあるようだが、女子プロ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 6月 1951 大手先の一戸肉店にコツを聞く 昭和26年6月11日の「夕刊いわて」より。 盛岡市大手先(現在の本町通。県民会館と岩手医大の間ぐらい)で20年来肉店を開いている一戸肉店に、商売のコツを聞いてみた。 狭い町では販路も決まっているのでサービスがすぐ利く。 穀物地帯の豚は脂肪が多い。 長く置くとガサガサになるので在庫量は一定量にしておく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
m県外・参考 14 4月 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1951 盛岡・本町通「川清」の広告に見る衣料品の物価(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」の広告欄より。 盛岡市本町通の衣料品デパート「川清」の広告欄から、当時の衣料品の物価を見ることができるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 刑務所製品の靴や家具は安価でお勧め(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 刑務所内の作業場の労働力は安価であることから、家具や靴は盛岡市内で一番安く安サラリーマンにはお勧めだという記事。 ただし、革の割り当てが少なく「お客さん歓迎」とはいかないようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 大通は「新興繁華街」だった(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事の23回目は大通。 当時は、大通は「新興の繁華街」であり、老舗は何といっても川徳や松屋の二大デパートのある肴町であった。 大通の看板は、中劇・東宝第一劇場・中央ホールの映画館が集まっていることであり、この大通と中の橋通り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 3月 1951 盛岡繁盛記:肴町 昭和26年3月17日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事で、10回目は肴町。 今でこそアーケード街になっているが、当時はもちろん無い。 この記事の時点では、肴町は1丁目と2丁目に分かれていたのだという。 この後の記事の書きぶりでは、中の橋通りに面した方が1丁目で、奥の方が2丁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡の本町に老舗は一つもなかった(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 盛岡の各商店街を取材する囲み記事で、まず出たのは本町。 この当時、老舗と呼べる店は1つもなかったのだと言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1951 盛岡・花巻米穀登録店当選御礼広告(昭和26年2月1日) 昭和26年2月1日の岩手新報より。 盛岡と花巻の、米穀登録店当選御礼広告が掲載されている。 当時は、当選しないと米屋になれなかったらしい。 … 続きを読む