建設・建築

湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日) g北上・和賀郡

湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日)

昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市の火薬店では、和賀郡湯田村の国有林内に倉庫を持っていた。 そこに、11月15日の未明に賊が侵入してダイナマイトを盗んで行ったというのである。 物騒なものが盗まれたというので、所轄の北上署から水沢署に連絡があり、緊急体制を開始したという。  …
釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日)

昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分…
釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 明治6年に開校した釜石小学校は、この時点では明治37年、日露戦争が開戦した年に建築された築57年の校舎であった。 それを新しく鉄筋コンクリートに改築するというのである。 近く、PTAにより校舎とのお別れ会が開かれるのだという。    …
盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ…
興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン j東磐井郡

興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン

昭和34年9月17日の岩手日報より。 東磐井郡大東町の興産相互銀行の摺沢支店の新店舗がオープンした。 新店舗は木造モルタルで2階建て。   昭和26年に興産無尽会社が興産相互銀行として発足し、これが北日本相互銀行となるのは昭和41年のこととなる。  …
仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り…
「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日)

昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石市教育委員会では、釜石市立図書館で定例委員会を開催した。 マンモス化している釜石一中を二分して18学級程度の中学校にする。 尾崎中学校と平田中学校を合併して新設中学校を設立する。 これに関しては、文部省からも近日技官が来て調査するということであった。 &…
仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日)

昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 この時期の釜石は、花巻に通じる仙人道路の開通を待ち望んでいる時期であった。 その仙人道路の開通に合わせて、地元の岩手東海新聞も社屋を新しくし、版型もタブロイド判からブランケット判にする予定であった。 5月22日にはコンクリート注入工事に入っている。 完成の暁…
「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石高校の校舎は「県内一の老朽校舎」と言われていた。 そんな老朽校舎はどれだけ古いのか? 大正6年に建築され「白堊城」と呼ばれた盛岡一高の校舎より古い? 釜石高校の校舎は昭和18年の建築で築16年。 「老朽化」と言うほどではないが、昭和20年の艦砲射撃にも遭…
久慈・玉の脇川に砂防ダム(昭和33年1月11日) c久慈・九戸郡

久慈・玉の脇川に砂防ダム(昭和33年1月11日)

昭和33年1月11日のデーリー東北より。 この時期、玉の脇漁港はサバの漁場として注目を浴びていたようである。 しかし、玉の脇川の土砂が流出し、岸壁付近が年々浅くなって行っていることから、玉の脇川に砂防ダムを建設していた。 そして二年掛かりで建設し、第一砂防ダムが完成したというのである。  …
久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関…
江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日)

昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺町の人首小学校が江刺町では初のブロック建築で落成するという。 9月22日11時から同校で落成式が行われるという。 総工費1020万円で1019坪、普通教室が12で放送室、保健室、教材室、職員室、校長室となっていたという。    …
江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日)

昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。…
大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日)

昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 上閉伊郡大槌町の曹洞宗江岸寺では、昭和31年秋以降、鉄筋コンクリートで本堂を建築していたが、順調に工事が進み、ほぼ完成した。 江岸寺は、徳川時代と明治34年に火災に遭っており、その後50数年間仮本堂となっていたのである。 本堂は98坪で、工費に8,50万円…
宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日) d宮古・下閉伊郡

宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日)

昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 宮古市築地通りの閉伊川河口の漁船係留場は、閉伊川から流入する土砂のために、年々水深が浅くなり、干潮時になれば係留中の漁船が度々横倒しになると言う危険な状態となっていた。 この辺は、常に出漁前後の漁船数十隻が係留されている場所だった。 この付近は、昭和23年…
紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日)

昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。   この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌…