l全県 10月 28日 1986 東北農政局岩手統計情報事務所が米の作況指数を107と発表(S61.10.28) 本県の6年産稲作は、3年連続の豊作となりました。残暑が好影響し、水稲の収穫量は約43万8千6百石に達しましたが、減反策が戻ったため、前年より収穫量はやや減少しました。7月までの冷害型の天候や8月初めの大雨による冠水被害がありましたが、その後は好天に恵まれ、沿岸部や北部を除く地域では生育が回復しました… 続きを読む
備考※3a-2 2月 3日 1978 【参考】岐阜の農村への出稼ぎ(S53.2.3中日ニュース) 寒天で知られる岐阜県山岡町に新潟から大挙して出稼ぎ。 https://youtu.be/paUvZX5UaUM… 続きを読む
備考※1 9月 27日 1968 【参考】いまどき「米穀通帳」「配給」の食管制度でもないでしょう(昭和43年9月27日) 昭和17年に制定された「米穀通帳」「配給」「外食券」の食糧管理制度は昭和43年にもまだ残っていた。 この時代「外食券」で外食する人などいないのに。 そして米は農業技術の向上で毎年の豊作で倉庫に余りまくって古米であふれているのに。 しかし食管法改正は国会で見送り。 https://you… 続きを読む
l全県 12月 1日 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 11月 30日 1967 福岡町(二戸)から北海道の虻田に出稼ぎに行っていた女性が帰郷(昭和42年11月30日) 昭和42年12月2日のデーリー東北より。 かつて、東北の農村から多数の労働力が出稼ぎに行っていたが、それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 それは男性が首都圏に出稼ぎに行っていたとは限らない。 女性が北海道や静岡などの農村に出稼ぎに行くと言う例もあったのである。 今回はそのような例で、… 続きを読む
l全県 5月 8日 1967 農繁期になると子供の線路遊びが増える 昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 3日 1966 釜石・甲子柿の収穫(S41.11.3岩手東海新聞) 釜石の甲子柿は有名だったようで、その収穫のシーズンであったという。 そして干し柿として出荷されるとのことであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1966 釜石でも土佐もののスイカ出並ぶ(S41.7.4岩手東海新聞) 夏の到来とともに、釜石市内の青果店にもスイカが出並ぶようになった。 この時期はまだ早いので、土佐物のスイカであったが、そのうちに茨城などのスイカが並ぶだろうということだった。… 続きを読む
l全県 1月 1日 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 25日 1965 農家の母ちゃんママさんバレー(TBSスパークル) 盛岡市本宮の農家の主婦でママさんバレーボールチームを結成。 https://www.youtube.com/watch?v=0dHiwTThThM… 続きを読む
l全県 10月 22日 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
g北上・和賀郡 10月 16日 1965 江釣子村にモミ処理センター(昭和40年10月16日) 昭和40年10月16日の岩手日報より。 江釣子村にモミ処理センターが完成し、早場米をどんどん処理しているという。 … 続きを読む
l全県 4月 1日 1965 今年は天明以来の飢饉?(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年は、天候が異常で「天明以来の飢饉になるのではないか」と恐れられていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 30日 1964 日本一の消防村・矢巾村では女子消防団員もハシゴ乗りをこなす(昭和39年11月30日) 昭和30年11月30日の岩手日報より。 「岩手の消防を点検する」というシリーズ物の記事では、岩手県の消防力の後進性を嘆いている。 矢巾村では、この記事の書きぶりをそのまま借りると「農村古来の道徳観にマッチして若い団員たちにも全体主義的な考え方が強い。当世ふうのあまりにも開放的な若者たちにけんおを感ず… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 7日 1963 岩谷堂農協の新施設「ライス・センター」(昭和38年11月7日) 昭和38年11月26日の岩手民声新聞より。 江刺の岩谷堂農協では、画期的な施設として「ライス・センター」を開設した。 これは、ボタン1つで乾燥から籾摺り、俵詰などを一気に済ませると言う施設である。 この施設での1日の最大加工能力は350俵であり、その機械操作は全てオートメーションで1人で間に合う仕組… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 18日 1963 大槌青果市場に釜石分場がオープンします(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手東海新聞より。 大槌青果市場では、釜石分場をオープンするという。 青果取引の中心は、釜石ではなく大槌だったようである。 また、現在世界遺産となっている橋野高炉のあるあたりでは、集配もしてくれるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 16日 1963 江刺市役所で胆江地区保健婦研究発表大会(昭和38年9月16日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 9月16日、江刺市役所ホールで第3回胆江地区保健婦研究発表大会が行われる。 そして代表者が県大会に出場するのだという。 発表は以下の4名。 農家と非農家の乳児発育と環境衛生 部落組織と環境衛生 未熟児訪問をかえりみて 保健婦業務とその限界 いず… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 12日 1963 県立六原農場で果樹園に豚を放牧する試み(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 金ケ崎町の県立六原農場では、新しい試みとして肉用豚を果樹園に放牧するという。 果樹園に放牧することで、豚は雑草や落ちたリンゴを食べてくれる。そして広々とした運動場にもなる。 出したウンコはそのまま下肥になる。 雨が降れば自分で物陰に隠れる。 このような試みを… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 12日 1963 二百十日も二百二十日も無事に過ぎ、まずは豊作か(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 農家の厄日といえば何といっても「二百十日」。 立春から約210目の9月初頭は、せっかく黄金色に実った稲を台風が根こそぎ持っていくという、農民が最も恐れる期間であった。 しかし胆江地方では二百十日を無事に過ぎ、二百二十日も何事もなく、豊作が予想された。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 12日 1963 江刺・愛宕農協では豊作貧乏を防ぐために玉ねぎ7000箱を出荷せず倉庫に貯蔵(昭和38年9月12日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市の愛宕農協では、豊作貧乏を防ぐために価格調整をして敢えて出荷せず、玉ねぎ7000箱を倉庫に貯蔵することとした。 9月4日現在で3000箱を出荷したが、価格は1箱1000~1300円で高値で取引されていた。 得にこの年は主産地が不作で驚異的高値が予想され… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 5日 1963 江刺ではホップ収穫の最盛期(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 江刺ではビールの苦味の原料となるホップの収穫が最盛期を迎えている。 江刺でホップ栽培が始まったのは昭和31年であるという。 昭和38年現在で、栽培農家は346戸、40㌶にもなっていた。 前年は日照り続きで作柄が悪く15㌧前後であったが、この年は天候に恵まれ代豊… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1963 平泉町長島のリンゴは東京でも好評(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 平泉町長島のリンゴ生産は、ここ数年で急激に成果をあげたのだと言う。 高級品種の「スターキング」「デリシャス」などは東京の中央市場でも好評を博しているのだと言う。 また、薬剤散布機の共同購入や、自動選果機による大量生産も功を奏しているのだと言う。 &n… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 26日 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市で社会党の北山愛郎議員、千田正議員を読んで講演会をしたという。 ただ「農家は共同化が必要」「資本主義から社会主義へ」と、令和の現代では考えられないような発言。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 8日 1962 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工(S37.1.8岩手日報) 釜石の缶詰工場が休閑期に遠野のとうもろこしを加工するという、「水産釜石」と「農業遠野」を結ぶ試みが行われた。 … 続きを読む
l全県 1月 4日 1962 農村を明るくしたテレビ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報より。 昭和33年に岩手県内でもテレビは本放送を開始して、農村にもテレビが普及するようになっていた。 その結果、生活が明るくなり、陰口なども減ったのだと言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む