l全県 28 10月 1988 稲の作況指数は85で著しい凶作(S63.10.28) 昭和63年、本県は6年ぶりの水稲不作となり、作況指数は85の「著しい不良」となった。7月中旬以降の異常低温と日照不足が影響し、稲の生育が大きく阻害された。特に、7月下旬の低温が稲の花の形成期を直撃し、受粉不能による不稔が多発。さらに、8月中旬以降の気温上昇と降雨により、病害も発生した。結果として、県… 続きを読む
l全県 30 11月 1987 4年連続の豊作も一等米比率は低下(S62.11.30) 昭和62年(1987年)の岩手県における稲作は、作況指数107、10アール当たり542キログラムの収量を記録し、4年連続の豊作となった。特に初期の気候条件が良好で健苗が育成され、多数の有効茎を確保したことが主因である。一方、品質面では地域差があり、一等米比率は前年を下回る75%にとどまった。 この豊… 続きを読む
l全県 28 10月 1986 東北農政局岩手統計情報事務所が米の作況指数を107と発表(S61.10.28) 本県の6年産稲作は、3年連続の豊作となりました。残暑が好影響し、水稲の収穫量は約43万8千6百石に達しましたが、減反策が戻ったため、前年より収穫量はやや減少しました。7月までの冷害型の天候や8月初めの大雨による冠水被害がありましたが、その後は好天に恵まれ、沿岸部や北部を除く地域では生育が回復しました… 続きを読む
l全県 20 12月 1985 史上最大の史上最大の豊作(S60.12.20) 昭和60年の岩手県における稲作は、前年に続く豊作となり、収量は過去最高の十アールあたり545キログラムを記録しました。育苗期の健苗育成や梅雨明け後の好天が生育を促し、収穫量は44万9,610トンに達しました。昭和60年12月20日には、東北農政局岩手統計情報事務所がこの収量を「史上最大の豊作」と発表… 続きを読む
l全県 23 12月 1983 昭和58年度の稲作は4年ぶりに「平年並」(S58.12.23) 昭和58年12月23日、農水省岩手統計事務所が発表した水稲作況は、県内農家にとってひとまず胸をなで下ろす内容だった。昭和55年以来、三年続いた「著しい不良」から脱し、作況指数99の平年作を確保。四年連続の冷災害は、かろうじて回避された。 とはいえ、その内実は決して一様ではない。6月から7月にかけての… 続きを読む
l全県 24 12月 1982 本県の水稲の作況指数は89で「著しい不良」(S57.12.24) 昭和57年、岩手県の水稲作況指数は89で「著しい不良」となり、55年から続く三年連続の不作は明治以来初めての深刻な事態となった。原因は7月下旬の異常低温による広範囲の障害不稔、8月の高夜温と日照不足、9月の高温と無降水の連続など複合的気象不順で、特に北上川下流の穀倉地帯が大きな打撃を受けた。収量・品… 続きを読む
l全県 16 10月 1981 連続する冷害に激甚災害認定(S56.10.16) 昭和56年(1981年)は岩手県にとって、前年の昭和55年に続く戦後最悪級の冷害と、8月22日から23日にかけて縦断した台風15号の直撃により、深刻な農業被害を被った年である。県内の稲作は冷害と台風の双方により「著しい不良」とされ、作況指数は76と全国2位の不作、総収穫量は29万6,600トンにとど… 続きを読む
l全県 20 11月 1980 史上最悪の冷害を激甚災害に指定(S55.11.20) 1980年(昭和55年)の岩手県は、7月以降の異常低温・長雨・日照不足という「気象三悪」に見舞われ、戦後最悪の冷害となった。盛岡では8月の平均気温が平年より4.2度も低く、真夏日はゼロ。宮古では観測史上最低の18.0度を記録した。 県内の農作物被害総額は約682億円に達し、1955年(昭和30年)の… 続きを読む
備考※3a-2 3 2月 1978 【参考】岐阜の農村への出稼ぎ(S53.2.3中日ニュース) 寒天で知られる岐阜県山岡町に新潟から大挙して出稼ぎ。 https://youtu.be/paUvZX5UaUM… 続きを読む
l全県 1 9月 1975 消費者米価が平均19%アップ(S50.9.1) 昭和50年度の岩手県を振り返ると、「狂乱物価」の余韻が色濃く生活にのしかかっていたことが、当時の記事からよくわかる。石油危機後の全国的な物価高騰はようやく沈静化しつつあったとはいえ、県民にとっては依然として厳しい時代。米価、乳製品、酒類、燃料など、日々の暮らしに直結するものが次々と値上げされ、家計を… 続きを読む
l全県 31 3月 1974 旱魃や豪雪で農作物に被害(S49.3.31) 昭和48年6月下旬から始まった干ばつは、岩手県に大きな被害をもたらした。農作物の被害面積は約4万9800ヘクタール、被害額は約69億6000万円と見積もられ、水稲、牧草、野菜などが特に影響を受けた。被害率はホップが55.3%、牧草47.6%、野菜43.1%と高く、水稲の被害額は約29億7200万円に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1971 岩手県経済連の女子事務員31歳定年制は不当と勝訴(S46.3.16) 昭和46年3月16日、盛岡地方裁判所は、岩手県経済連の女子職員に対する「31歳定年制」が不当な差別であり、憲法14条や労働基準法に違反するとして、盛岡市城西町在住の女子事務員(31)の仮処分申請を全面的に認める判決を言い渡した。 この女性は昭和36年に臨時職員として入職し、昭和40年に「準職員制度」… 続きを読む
l全県 3 2月 1971 2年連続の米の生産調整(S46.2.3) 昭和46年度は、政府が余剰米対策として生産調整と予約限度数量を実施しました。本割り当ての生産調整量は前年の2倍以上に達し、農民に大きな影響を与えました。一方で、基本米価が3年ぶりに引き上げられたものの、予約限度数量の設定が農民を動揺させました。 天候不順が稲作に深刻な影響を及ぼしました。冷害や霜害、… 続きを読む
l全県 11 5月 1970 県内の農協で相次ぐ不正事件(S45.5.11) 昭和45年、岩手県内の複数の農協で役員による不正が相次いで発覚した。特に西山農協では、参事が役員会の承認を得ずに土建業者へ総額1億900万円を不正融資し、逮捕された。和賀中央農協では、支所長が他人名義で借用書を偽造し、不正に資金を貸し付けていた。久慈市農協では、参事が架空の定期預金や貸付金を横領し、… 続きを読む
l全県 31 10月 1968 豊作で235万トンの米余り(S43.10.31) 昭和43年度は、戦時中から続く食糧管理制度(米の政府買い上げ制度)に大きな見直しが加えられた歴史的な年であった。連続豊作と米消費の減少によって、政府の抱える余剰米は急増し、食管会計の赤字が拡大。これにより政府・自民党・財政当局から制度改正論が急速に高まった。 大蔵省は、米価が「生産者価格>消費者価格… 続きを読む
備考※1 27 9月 1968 【参考】いまどき「米穀通帳」「配給」の食管制度でもないでしょう(昭和43年9月27日) 昭和17年に制定された「米穀通帳」「配給」「外食券」の食糧管理制度は昭和43年にもまだ残っていた。 この時代「外食券」で外食する人などいないのに。 そして米は農業技術の向上で毎年の豊作で倉庫に余りまくって古米であふれているのに。 しかし食管法改正は国会で見送り。 https://you… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 12月 1967 福岡町(二戸)から北海道の虻田に出稼ぎに行っていた女性が帰郷(S42.12.2デーリー東北) 昭和42年12月2日の『デーリー東北』より、印象的な出稼ぎ女性たちの帰郷を報じた記事をご紹介します。 かつての出稼ぎというと、首都圏の建設現場や工場へ向かう男性労働者の姿がまず思い浮かびます。しかし昭和40年代の東北では、それだけにとどまらない、もう一つの出稼ぎのかたちがありました。 それが、東北の… 続きを読む
l全県 1 12月 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
l全県 8 5月 1967 農繁期になると子供の線路遊びが増える 昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 11月 1966 釜石・甲子柿の収穫(S41.11.3岩手東海新聞) 釜石の甲子柿は有名だったようで、その収穫のシーズンであったという。 そして干し柿として出荷されるとのことであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1966 釜石でも土佐もののスイカ出並ぶ(S41.7.4岩手東海新聞) 夏の到来とともに、釜石市内の青果店にもスイカが出並ぶようになった。 この時期はまだ早いので、土佐物のスイカであったが、そのうちに茨城などのスイカが並ぶだろうということだった。… 続きを読む
l全県 1 1月 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 12月 1965 農家の母ちゃんママさんバレー(TBSスパークル) 盛岡市本宮の農家の主婦でママさんバレーボールチームを結成。 https://www.youtube.com/watch?v=0dHiwTThThM… 続きを読む
l全県 22 10月 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
g北上・和賀郡 16 10月 1965 江釣子村にモミ処理センター(昭和40年10月16日) 昭和40年10月16日の岩手日報より。 江釣子村にモミ処理センターが完成し、早場米をどんどん処理しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1964 日本一の消防村・矢巾村では女子消防団員もハシゴ乗りをこなす(昭和39年11月30日) 昭和30年11月30日の岩手日報より。 「岩手の消防を点検する」というシリーズ物の記事では、岩手県の消防力の後進性を嘆いている。 矢巾村では、この記事の書きぶりをそのまま借りると「農村古来の道徳観にマッチして若い団員たちにも全体主義的な考え方が強い。当世ふうのあまりにも開放的な若者たちにけんおを感ず… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 2月 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 11月 1963 岩谷堂農協の新施設「ライス・センター」(昭和38年11月7日) 昭和38年11月26日の岩手民声新聞より。 江刺の岩谷堂農協では、画期的な施設として「ライス・センター」を開設した。 これは、ボタン1つで乾燥から籾摺り、俵詰などを一気に済ませると言う施設である。 この施設での1日の最大加工能力は350俵であり、その機械操作は全てオートメーションで1人で間に合う仕組… 続きを読む