農業

ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) h水沢・江刺・胆沢郡

ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日)

昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は…
一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日) i一関・西磐井郡

一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日)

昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売…
冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日) i一関・西磐井郡

冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日)

昭和28年(1953年)の東北地方における米作は、記録的な冷害により深刻な被害を受けました。6月から7月にかけての低温、長雨、日照不足が稲の生育を大きく阻害し、特に出穂期から登熟期にかけての気温の低さが致命的でした。 この年の全国的な作況指数は83で不作とされましたが、東北地方ではさらに悪く、各県で…
羽田村の破蔵事件は一関で犯人逮捕(昭和28年9月3日) h水沢・江刺・胆沢郡

羽田村の破蔵事件は一関で犯人逮捕(昭和28年9月3日)

昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 8月28日に羽田村で倉庫が荒らされ北上川の船で盗み出された事件であるが… 9月3日、一関市内で犯人が逮捕された。 それは。前科5犯の34歳の男であった。 盗んだ小麦はどうしたのか。 一関市内で1万6千円で売り捌いたのだという。 姉体村でも小舟盗難の余罪があるの…
羽田村の破蔵事件は一関で小舟発見(昭和28年9月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

羽田村の破蔵事件は一関で小舟発見(昭和28年9月1日)

昭和28年9月1日の胆江日日新聞より。 先日、江刺郡羽田村で農協倉庫が荒らされ、小麦が8俵盗み出され小舟で運びだされた事件があった。 その小舟は、一関地区警察署により一関市真滝地内の北上川で船が2隻発見され、羽田村と姉体村の2件のものであると確認された。 盗まれた小麦8俵はもう持ち去られ、警察では捜…
倉庫破りは船で小麦を盗み出す(昭和28年8月31日) h水沢・江刺・胆沢郡

倉庫破りは船で小麦を盗み出す(昭和28年8月31日)

昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 江刺郡羽田村の北上川渡船場の、村所有の小舟が鉄線を切られて盗まれていることが分かった。 下流域を探していると、羽田農協の倉庫がバリで開けられ小麦8俵が盗まれていることが判明した。 事件は国警水沢地区警察署に通報された。 この日、平泉で俵を積んだ船が下っている…
荷馬車がパンクして車輪が飛びリンゴ売りの女性が死亡(昭和28年8月15日) i一関・西磐井郡

荷馬車がパンクして車輪が飛びリンゴ売りの女性が死亡(昭和28年8月15日)

昭和28年8月16日の岩手日日より。 一関市大町の石橋ホテル前で、鉄屑を満載した荷馬車が通行していた所突然パンクして車輪がもげてしまった。 そのもげた車輪は勢いよく飛び出し、路上でリンゴ売りをしていた44歳の女性の胸部に当たったからたまらない。 直ちに磐井病院に収容はされたものの、胸部打撲と肋骨骨折…
やきもちで風呂に漆を入れる復讐(昭和28年3月4日) j東磐井郡

やきもちで風呂に漆を入れる復讐(昭和28年3月4日)

昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 3月4日、千厩地区警察署では、薄衣村の農業の54歳の男を逮捕した。 これは、親しくしていた47歳の女性が、同じ村の64歳の農業のところで働いているのを見て、前月の26日に、やきもちからその64歳の男性の家の風呂に漆の皮を入れて、この家の家族5名に3週間のうる…
江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日)

昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 …
わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

わが町わが村「上閉伊郡金沢村」(昭和27年9月18日)

昭和27年9月18日の岩手日報より。 手前が役場、左側が中学校、向かい側が診療所に小学校 「わが町わが村 戦後版」というシリーズ物の記事は、今回は上閉伊郡金沢村。 現在の大槌町金沢地区となる。 昭和9年の大凶作では犬や猫まで食い、ネズミまでいなくなったと全国紙に報じられた「日本一の貧村」であったとい…
岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手の死因は都市は結核、米作値は脳溢血、若者は自殺が多いようだ(昭和27年9月18日)

岩手県民はどのような理由で死ぬのか。 岩手大学農学部小柳達男氏が県内の地域別に死因の調査を行った。 米作地(水沢):10万人 死亡者・・・10万人中213.3人 脳溢血・・・同 38.3人 結核 ・・・ 同 24.4人 乳児栄養不良 ・・・ 同 22.3人 畑作地(福岡(二戸)):7万人 死亡者・・…
GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日)

敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発…
馬力大会で「農村タクシー」続々 a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬力大会で「農村タクシー」続々

昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい…
我が町わが村「世田米町」 k大船渡・陸前高田・気仙郡

我が町わが村「世田米町」

昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、…
1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日) b二戸・二戸郡

1市5郡で供米完了(昭和27年1月5日)

昭和27年1月5日の岩手新報より。 この当時は、米は完全に国で管理していたので、米を生産したら必ず一旦国に収めるようになっていた。 これが米の供出である。 そしてそれは、自治体ごとに統計されていた。 この時点で、その供出が完了していたのは、釜石市・気仙郡・胆沢郡・稗貫郡・上閉伊郡・下閉伊郡・二戸郡の…
盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅で小荷物の中にヤミ米

昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。   終戦から6…