盛鉄公安室ではかつぎ屋を560件検挙

昭和29年3月14日の岩手日報より。

昭和28年は凶作の年であり、米どころの胆沢郡でも代用食という状況であった。

それで全国的にもコメ不足となり、担ぎ屋が至る所に横行した。

1月以降、国警県本部や盛鉄公安室ではその取り締まりを強化することとした。

盛鉄局管内では244件、2月は216件の検挙となり、前年度より50件程度増加したという。
それでも警戒網くぐって東京方面に流れ出るものは相当数に上るのではないかと見られていた。

しかし担ぎ屋もさるもので、警察の手の内を読んで米を車内に置いたまま逃走するケースも後を絶たないという。

3月10日夜~11日早朝にかけて花巻駅で8:20発の上野行きの上り210準急列車で一斉取り締まりを行うと、2番ホームから乗り込もうとしている30人ぐらいの担ぎ屋部隊がいたので取り囲んだが、20人ぐらいは線路上に逃走し、結局常習者の女を含む6名を検挙し、白米7俵を押収したという。

手口としては、1人だけが花巻~川崎間の切符を所持し、あとの6人は入場券や花巻電鉄の西公園~花巻だけの切符を持っていた。

そして米を風呂敷に包み、各人が網棚に分散し、東京の赤羽駅あたりまで見張りをしていたのだという。

そして東京で仲間に引き継ぎ、直ちに花巻に引き返すというものであった。

この当時、担ぎ屋を始める農村女性が目立っていたという。

 

 

 


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