b経済・産業

教育会館の隣に5階建ての文化ビルを建てます!(昭和30年11月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

教育会館の隣に5階建ての文化ビルを建てます!(昭和30年11月7日)

昭和30年11月7日の岩手日報より。 盛岡市では、国鉄盛岡工場二枚橋分工場の払い下げ鉄骨で、上田に東北一の体育館を建築しようと計画していた。(→昭和32年完成の盛岡体育館) このほか、盛岡市内の一等地である教育会館の隣の大通に文化センターを建設しようと計画していた。 構想によれば、四囲を緑地帯に囲ま…
「岩手初の女性代議士」は今・・・ j東磐井郡

「岩手初の女性代議士」は今・・・

昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師…
盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日)

昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。   へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く…
岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日)

昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、…
大船渡港近くの飲み屋が「カンバンだよ」と断ったらカツオ漁師に袋だたき(昭和30年8月27日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡港近くの飲み屋が「カンバンだよ」と断ったらカツオ漁師に袋だたき(昭和30年8月27日)

昭和30年8月28日の河北新報岩手版より。 8月26日から27日に日付の変わった頃のこと。 三重県三木浦港からはるばる大船渡港まで入ってきたカツオ漁船の漁師が、港に近い飲み屋に入ろうとした。 店の親父は「悪いね。もうカンバンなんだよ」 「何だと!?」「何だとでねえこのー?」 口論になってしまい、しま…
盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日)

昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人…
マグロやメカで埋まる豊漁の釜石港(昭和30年8月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

マグロやメカで埋まる豊漁の釜石港(昭和30年8月25日)

昭和30年8月25日の河北新報岩手版より。 釜石港の沖合のスルメ、鯖、マグロ、メカ漁は最盛期に入っており、水揚げ高は700~800万円にも達していたという。 8月22日は回来船や地元船のスルメやサバ船で43400貫あまり、金額にして900万円であったという。   ところで、ここで言う「メカ…
二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) b二戸・二戸郡

二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日)

昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、…
紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

紫波町・紫南中学校の本校舎が完成(昭和30年8月12日)

昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 紫波町の紫南中学校(生徒数522名)の新校舎が完成した。 総工費1055万円で、昭和29年度からの2ヶ年継続工事であり、床板にはフローリングを使用したという。   この紫南中学校、この昭和30年に日詰中学校と赤石中学校を合併して開校したもので、翌…
仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) m県外・参考

仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日)

昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・   いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &…
リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) f花巻・稗貫郡

リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日)

昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。      …
県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日) g北上・和賀郡

県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日)

昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。 そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。 このことに対し、北上市内の…
山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日) d宮古・下閉伊郡

山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日)

昭和30年8月1日の河北新報より。 広告欄には「岩手のヒバ」として、山田線平津戸駅前の製材所の広告がだされている。 平津戸駅といえば、令和4年(2022年)3月に全列車通過となる「事実上の駅廃止」となっていたてしまったが、往年は木材の積出駅として賑わったのだ。   事実上の廃止に際し、実際…
ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) c久慈・九戸郡

ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日)

昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を…
シケが幸いしワカメで賑わう九戸沿岸(昭和30年6月4日) c久慈・九戸郡

シケが幸いしワカメで賑わう九戸沿岸(昭和30年6月4日)

昭和30年6月4日のデーリー東北より。 岩手県九戸郡沿岸では、ワカメ採取の最盛期を迎えていたと言う。 5月28日が続いたシケの影響で、ワカメが岸に打ち上げられているため種市の小子内浜ではナギを持って部落民が早出で3500貫ほどを拾いあげたと言う。 55〜6歳の老漁夫は、水から上がって焚き火に当たりな…
大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) c久慈・九戸郡

大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日)

昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化…
「修学旅行怖い」と中止する学校続出 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「修学旅行怖い」と中止する学校続出

紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校…