a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1936 ヂャイアント号自動三輪車は盛岡・テルイモータースで!(昭和11年5月6日) 昭和11年5月6日の岩手日報より。 今なおWikipediaに単独項目が立っているオート3輪「ヂャイアント」の広告。 盛岡では四ツ家にあるテルイモータースという販売店が総代理店になっていた模様。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1936 盛岡・松屋デパートでは花見を当て込んで大売り出し(昭和11年5月3日) 昭和11年5月3日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは花見を見込んで弁当や衣料品の大売り出し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 2日 1936 盛岡・川徳「土日は大売り出し!」(昭和11年5月2日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 川徳デパートでは土日に大売り出しをするという。 ちなみにこの当時、5月3日は憲法記念日という訳ではなかった。 また、5月5日の「こどもの日」もまた昭和23年に制定されているので、ゴールデンウィークというのは戦前にはない。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 1日 1936 田山セツルメント生活日誌(S11.5.1岩手日報) 盛岡友の会による田山セツルメントの生活日誌であるという。 「盛岡友の会」は確か現在の盛岡スコーレ高校を経営している向中野学園と何か関係があったような・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 盛岡観光祭1日目の様子(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 当時は、桜の季節に「 盛岡観光祭」が行われていたようで、その時の様子が写真記事となっている。 ちなみに、気象庁のホームページ気象庁のホームページによれば、桜の開花の観測は昭和28年から開始されているようであるが、昭和20年代だと開花は4月の下旬ごろだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 12日 1936 津軽石川の川開きでサケ大漁(昭和11年1月12日) 昭和11年1月12日の読売新聞夕刊より。 南部鼻曲がり鮭の名所である津軽石川で川開きが行われ、サケが大漁であったことが一面写真で報じられている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 14日 1935 盛岡の銀座・肴町一丁目商店街(S10.4.14岩手日報) 広告弾には大々的に肴町1丁目商店街の宣伝をしている。 令和6年現在でもあるのは川徳・村源・平金・東山堂ぐらい?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 13日 1935 凶作に恵まれて?女の失対事業花盛り(S10.4.13岩手日報) 昭和9年は史上稀見る凶作の年だった。 そのせいでか、県内に84ヶ所の農村主婦向けの授産場ができたという。 盛岡市内の浄土宗の寺に設けられた軍服の修繕工場もその1つ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 3日 1935 盛岡・松屋デパートが少年店員募集(S10.3.3岩手日報) 盛岡の松屋デパートでは少年店員を募集していた。 15歳以上ということであったが、松屋デパートが閉店した昭和40年代には40代。 その閉店を見届けたこの時の少年店員もいたのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1935 上閉伊郡金沢村では「村民絶対禁酒」(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 上閉伊郡金沢村では、更生村民大会において、村民は絶対禁酒で、この決まりを破ったら冷害の義援金を交付しないと言う決議を行った。 これは、同様に例外に苦しんでいた県内でも珍しいことであった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 2日 1935 釜石〜宮古の定期自動車(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 ここからには、釜石と宮古の間の定期自動車の広告が出ている。 釜石・大槌・山田・宮古の止まる場所の電話番号は書いているが、具体的な時刻は書いていない。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1935 樹齢550年の杉の大木が斬られて材木商で売られる(昭和10年3月2日) 昭和10年3月2日の岩手日報より。 内丸通りであるとのこと。 紫波の水分神社から、盛岡市本町の木材商で買った杉の大木は、数間ずつに切られて荷馬車で運ばれていったと言う。 この次の大木、根元は6尺5寸であり、高さは120尺位であり、値段は1200円だったと言う。 記事では、「550年前にこの件雨を出し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1935 川徳も負けずに呉服・洋品春の売り出し(昭和10年3月1日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 肴町の川徳でも、松屋に負けずに春の大売り出しを開催する。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1935 盛岡・松屋デパートで春の新柄大売出し(昭和10年3月1日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 盛岡・松屋デパートでは、春の呉服や雑貨の新柄を離脱すると言う広告を出している。 もちろんこの時代なので、既製服ではなく布地を尺単位で売っている。 … 続きを読む
l全県 2月 8日 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
l全県 9月 10日 1934 東北・北海道の米咲は全く絶望で昭和6年以上の凶作予想(昭和9年9月10日) 昭和9年9月10日の岩手日報より。 昭和9年は、東北や北陸の水害、九州の干ばつ、それに関東・北陸・東北一帯の長雨という常軌を逸した天候で、全国的に水稲も作柄は悪いことがほぼ決定してしまった。 8月になって天候は回復したが、これも焼け石に水であり、場所によっては害虫や稲熱病等が発生し、農林省の調査によ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1934 祝・岩手日報社釜石支局新築(S9.9.5岩手日報) 岩手日報社の釜石支局が新築したという記事。 かつての岩手日報の社章も出ているが、これは旧岩手日報社で、現在の岩手日報の系統とは少し違う。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 5日 1934 岩谷堂で江刺農村婦人大会(昭和9年9月5日) 昭和9年9月11日の岩手日報より。 「青年のページ」として青年学校など青年に関するニュースが掲載されている。 その中で、写真1枚だけの記事として「江刺農村婦人大会」と掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1934 雫石川改修は進み沢田橋も着工(S9.9.2岩手日報) この時期、「暴れ川」である雫石川の改修工事で大田村や本宮村は水害を免れることができた。 そして、東北一のコンクリート橋である沢田橋も着工し建設途上だった。 沢田橋とは現在の太田橋のこと。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 2日 1934 和賀川下流で流木を拾った住民が次々検挙(S9.9.2岩手日報) 和賀川に洪水があって木が流れ出し、その流木を沿岸の藤根・江釣子などの住民が拾って黒沢尻警察署に次々と検挙というニュース。 … 続きを読む
m県外・参考 9月 1日 1934 東北高等予備校は二高や仙台高工に多数の合格者輩出!(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 岩手日報にも仙台の東北高等予備校の広告が出されている。 二高や仙台高工に265名の合格者を出したという。 これは後年の河合塾文理のこと? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 盛岡・川徳呉服店でも秋の品出し大売出し!(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 松屋と同様、川徳でも秋の品出し大売出しを行う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 1934年式ハーレー・ダビットソン750CC自動三輪車発売中(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 盛岡の藤健自転車店ではハーレー・ダビットソンの750CC自動三輪車を発売するという。 価格までは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 松屋デパートで第1回秋の品出し大売出し!(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 松屋デパートでは秋の品出し大売出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) この当時、米を東京方面に運び出すとすれば、ほぼ100%は鉄道による輸送だったので、その土地貯蔵のための倉庫は各駅前に置かれた。 矢幅駅前に、県内一の大きな倉庫が建てられたのだと言う。 … 続きを読む