a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 盛岡魚市場に鮪ドッサリ入荷(S17.7.2新岩手日報) 盛岡魚市場に、釜石や八戸方面からマグロがドッサリ入荷したという。 当時であればすでに山田線が開通しており、輸送も容易であっただろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 岩手牛乳のあのロゴ(昭和17年7月2日) 昭和17年7月2日の新岩手日報より。 岩手牛乳の企業広告が出ているが、お馴染みのあのロゴは既にできている。 … 続きを読む
l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 16 1月 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 1月 1942 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭の名産地・津軽石川の川開きは全国的に有名となっており、東京方面からも見物客が来ていたという。 昭和17年の川開きは1月8日。 魚の魚体は小さいが2万~2万5千本ぐらいは漁獲できるのではないかと予想していた。 また、魚自体が品不足で見物方々食糧獲得で颯… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1941 前線に送る「スンベ」「ツマゴ」出荷最盛期(S16.11.7新岩手日報) 「スンベ」「ツマゴ」とはどちらも藁で作った雪上の履き物。 農閑期の貴重な財源だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 松屋デパートで冬物や毛糸の特配(S16.11.2新岩手日報) 広告欄より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物や毛糸の特配があったという。 衣料品まで配給の時代。 … 続きを読む
j東磐井郡 1 11月 1941 千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日) 昭和16年11月1日の岩手日報より。 葉タバコの産地として名高い東磐井地方では、紀元2600年を記念して「たばこ神社」を設立した。 そして水沢の駒形神社の宮司により、鎮座祭がおこなわれた。 現在でもなお、東磐井郡の観光スポットとして名前が上がっている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1941 国民学校の女教師も稲刈りに援軍(S16.11.1新岩手日報) まだ対米交渉に苦労していた時期。 資源も無くなっていき、国民生活も逼迫し始めていた時のこと。 国民学校の女教師は、加賀野の女子師範の農場で稲刈りに駆り出されることとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1941 盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1940 紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報) 昭和十五年八月四日の『新岩手日報』には、紀元二千六百年を祝う「聖戦博覧会」の地鎮祭の様子が報じられている。 会場となったのは、盛岡市内丸の商品陳列所前の広場。桜山神社の宮司を招き、盛大に執り行われたという。 Screenshot 記事の見出しには「豪華殿堂輝やく礎」「聖戦博の地鎮祭」とあり、戦時色が… 続きを読む
l全県 3 8月 1940 興亜奉公日で観光地の客足は?(S15.8.3新岩手日報) S15(1940)年8月3日付『新岩手日報』より。 紙面には「遠出組も遠慮して温泉地も期待外れ」と題された記事が掲載されている。見出しには「改札口で湯に誘う興亜奉公日」とあるが、その内容を読むと妙な違和感を覚える。 Screenshot 当時はすでに戦時体制が急速に整えられつつあり、「興亜奉公日」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1940 ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) 昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 19 1月 1940 釜石港ではイワシが豊漁(昭和15年1月19日) 昭和15年1月19日の岩手日報より。 釜石港では近年にないイワシの豊漁であり、須賀埋立地派イワシの山でトラックが轢きつぶすような状況であったという。 ちなみに記事中では一貫してイワシは「鰮」と表記している。 魚油は35,000缶と前年の9,500缶に比べて4倍近くなり、肥料に使う〆粕も前年の5割増し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 8月 1939 盛岡・城南小学校で日独伊親善図書展覧会(昭和14年8月11日) 昭和14年8月11日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市立城南小学校で「日独伊親善図書展覧会」を行うという。 公演しているのは外務省・文部省・陸軍省・海軍省・ドイツ大使館・イタリア大使館。 完全に国策行事であった。 時代相としては、ベルリンで日独伊三国同盟が調印される前年となる。 しかし昭和12年の時点… 続きを読む
m県外・参考 9 8月 1939 鉄道省「不要不急の旅行は止めましょう!…でも健康の為に徒歩旅行はしましょう」(昭和14年8月9日) 昭和14年8月11日の岩手日報より。 かねて、鉄道省では「不要不急の旅行は止めましょう!」と呼び掛けてきた。 それは、軍需輸送の為に貨物を優先するためである。 ・・・が、運動をしないことで青年たちの健康に差し障っている事も問題とされていたようである。 それで、「青年徒歩旅行コース」として全国に30か… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 7月18日の午前中、盛岡少年刑務所の官舎で、ヘルメットに法衣姿の自称坊主が、「生きる力」という自費出版を押し売りして歩き、官舎の主婦たちはそれぞれの旦那である所の刑務所看守に連絡してすぐに御用になったという。 この自称坊主は高知県幡多郡出身の男で、盛岡少年刑務所… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 7月 1939 北福岡~荒屋新町、沼宮内~葛巻の省営バス設備工事を仙鉄局長が視察(昭和14年7月18日) 昭和14年7月19日の岩手日報より。 仙台鉄道局長と自動車課長は、7月18日午後に盛岡駅に到着し、建設中の省営バス(国鉄バス)の設備を視察する。 予定としては19日に沼宮内~葛巻間、21日に北福岡~荒屋新町間。 道路工事は県が行っており、自動車駅や車庫の工事は盛岡保線区で行っており、11月4日の竣工… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 7月 1939 松屋デパートで日本人形講習会(S14.7.1岩手日報) 盛岡・松屋デパートで7月5〜7日に、日本人形講習会を行うという。 愛国婦人会も後援として参加していた。 … 続きを読む
l全県 1 7月 1939 警察「ガソリンの統制破りしやがって!配給は無しだ!」→製糸会社「春繭の集荷シーズンに御無体な…」 昭和14年7月1日の岩手日報より。 岩手県内の県是製糸などがガソリン統制を破って16,000ガロンのガソリン密売事件をやらかした。 県是製糸側は「規制前に契約したものが規制後に到着しただけ。別に密売のつもりはなかった」と言うが、警察経済保安課は「同情する余地はない」と、ガソリン5,000ガロンの特配… 続きを読む
j東磐井郡 1 7月 1939 千厩や気仙沼で跋扈していた山林詐欺を東京で逮捕(S14.7.1新岩手日報) この当時、千厩や気仙沼の方では、山林詐欺が横行していたようだ。 それは、青森出身の男で、「資金不足が生じたから一時貸してくれ」などとうまいことを言って、金を巻き上げていたようであるが、東京で逮捕されたのだという。 … 続きを読む