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スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで! a盛岡・岩手郡・紫波郡

スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで!

昭和39年11月30日の岩手日報の広告欄より。 当時、スズキの主力は「スズライト」だった。 そもそもは昭和30年に発売した軽自動車であり、後年「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」と評価され日本自動車殿堂歴史車に選ばれたというほどの名車でもある。 岩手県内の販社も「岩手スズライト販売」と…
岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日)

昭和39年11月1日の岩手日報の広告欄より。 岩手トヨタが自動車の運動会「ジムカーナ」の大会を、11月8日に盛岡八幡宮の境内で行うという。 ジムカーナとは、広告の表現をそのまま借りれば、「運転技術を存分に発揮でき、ウィットある機敏な行動が要求されしかも童心に帰って無邪気にふるまえる自動車の競技会」で…
釜石市内の舗装工事でバスの運行経路が変わります(昭和39年9月9日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の舗装工事でバスの運行経路が変わります(昭和39年9月9日)

  昭和39年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部である只越町では、舗装工事のために東部バスの運行経路が変わるという広告。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢に本社がある岩手県南バスと経営統合しており、車体の色も県南バスの色となっていたが、正式に県南バスとなるのは昭和41年のこと。…
釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞)

釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。  …
東和町〜大岳のバスが大岳温泉まで延長(昭和38年11月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

東和町〜大岳のバスが大岳温泉まで延長(昭和38年11月1日)

昭和38年11月5日の岩手民声新聞より。 東和町と江刺市梁川を結ぶバス路線は、江刺市梁川の大岳止まりであったが、11月1日から、これを延長して大岳温泉まで伸びるようになったのだと言う。 これを記念して、最初のバスが到着するタイミングで、市長や市教育長、市役所の課長レベル、県南バス社長、県南バス江差営…
江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日)

昭和38年10月25日の岩手民声新聞より。 江刺警察署と県交通安全協会江刺支部では、秋の交通安全旬間にあたって、10月25日に市内の県道の危険な箇所3箇所でカーブミラーを設置することにした。 この3箇所は、岩屋堂の餅山と、玉里の玉崎・大和田の3カ所。 このカーブミラーは、一気に23,500円であると…
江刺にも国鉄バスを通して下さい(昭和38年10月21日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺にも国鉄バスを通して下さい(昭和38年10月21日)

昭和38年10月26日の岩手民声新聞より。 鉄道のない江刺では、内陸の主要都市と沿岸を結ぶ国鉄バスの運行を陳情しようとしていた。 そして関係する市町村の首長や議会議長の署名を得たために、市議会以降は仙台陸運局が運輸省に陳情することとした。 陳情する路線は以下の通り。 釜石〜遠野〜米里〜岩谷堂〜水沢 …
県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日) h水沢・江刺・胆沢郡

県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日)

昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市米里と遠野市小友を結ぶ県道127号米里-小友線は、岩手県南と沿岸を結ぶ重要な道路であった。 そこで、水沢・江刺・遠野・釜石の4市長の署名を持って、江刺市役所の関係者が盛岡に出て県庁に改修のための陳情書を手渡したのである。 ただし、どのように改修の必要な…
岩手東部バス釜石営業所にライトバス導入(昭和38年9月5日) e釜石・遠野・上閉伊郡

岩手東部バス釜石営業所にライトバス導入(昭和38年9月5日)

昭和38年9月5日の岩手東海新聞より。 岩手東部バス釜石営業所では、7月から19人乗りのライトバスを3台入れて、小規模な貸切需要に応じている。 それまでは、60〜70人乗りの大型バスしかなく、20人程度の観光団体では手が出ないレベルの需要に応えるもの。 貸切料金は以下の通り。 根浜海岸 4400円(…
普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) d宮古・下閉伊郡

普代村にスクールバス(昭和38年4月6日)

昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという…
観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます l全県

観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます

昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1…
花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日) f花巻・稗貫郡

花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日)

昭和38年3月29日の岩手日報より。 花巻バスの労働争議は泥沼化し、29日以降「無期限スト」の様相を呈してきた。 なぜこういう事態になったかというと、1月22日に岩手中央バスのストがあった際、中央バスに委託していた紫波町の通学バスを、花巻バスの貸し切りバスで運行しようとした。 いわゆる「スト破り」で…
渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! a盛岡・岩手郡・紫波郡

渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します!

昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4…
東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) m県外・参考

東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日)

昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。  …