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昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) l全県

昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日)

昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい…
1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! a盛岡・岩手郡・紫波郡

1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで!

昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で…
県内バス5社労組が一斉にストで戦後最悪の交通マヒ(昭和36年11月27日) h水沢・江刺・胆沢郡

県内バス5社労組が一斉にストで戦後最悪の交通マヒ(昭和36年11月27日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 県内5社(岩手中央バス・花巻バス・花巻電鉄バス・岩手県南バス・岩手東部バス)のバス労組は、この日の朝5時から全面ストに入ることになった。 5社の経営側も対応を協議したが、5社で要求が統一されているわけではなく、特に県南バスが異なっているので協議も難航した。…
スト乱発の岩手県南バス・岩手東部バスが弁明広告(昭和36年11月27日) h水沢・江刺・胆沢郡

スト乱発の岩手県南バス・岩手東部バスが弁明広告(昭和36年11月27日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢に本社がある岩手県南バスと、その経営参加にある釜石市の岩手東部バスは、ワンマン化―闘争、書記長の除名問題など給与以外の所で争議が勃発しており、ストの連発となっていた。 そこで、会社側が弁明広告を出したのである。  …
水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日)

昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方…
釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日)

昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分…
釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日)

昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5…
釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日)

昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製…
釜石でバスが半日スト(昭和36年4月28日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石でバスが半日スト(昭和36年4月28日)

昭和36年4月28日の岩手東海新聞より。 春闘では県南・東部バス労組は3000円のべアを要求していたが、会社側の回答は1500円。 これに対し組合は釜石営業所でストを行うことにした。 これに呼応し、釜石製鉄所・釜石市役所・全逓の組合員も応援に駆け付け一緒に座り込みをした。 今でこそ岩手県交通の釜石営…
釜石タクシーの電話番号は「一番早い」(昭和36年4月25日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石タクシーの電話番号は「一番早い」(昭和36年4月25日)

昭和36年4月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石タクシーの広告が出ており、電話番号は「一番早い」で1881番。 電話がまだ自動通話ではなかったこの頃、電話番号が4桁だったのは盛岡と釜石ぐらいのものだったようである。 当時の釜石は人口が9万人ぐらいいた。   この釜石タクシーは現在でも…
釜石のタクシーの不審な女客(昭和36年3月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石のタクシーの不審な女客(昭和36年3月1日)

昭和36年3月2日の岩手東海新聞より。 3月1日の夜、釜石市大町のバー「白樺」から女給を乗せた西円タクシーは、指示されるままに大平の出光興産油送桟橋のところまで車を走らせた。 天神町に住んでいる24歳のその女給は降りる際、「さようなら」「同僚に私の写真を実家に送ってくれるように頼んでください」などと…
釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石でも初荷を出荷(昭和36年1月2日)

昭和36年1月4日の岩手東海新聞より。 昭和36年の正月は、岩手県沿岸部では穏やかな天候だったようである。 1月2日には、初売り・初荷で車は市内の大通りを走りにぎわった。 釜石化成産業では、雪国の人たちが冬を越す練炭を積んだトラックが釜石ビル前を出発し、仙人道路を通ってないでくれ向かった。 &nbs…
釜石の鳥ヶ沢トンネル付近でトラックが転落(昭和35年9月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の鳥ヶ沢トンネル付近でトラックが転落(昭和35年9月2日)

昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石から国道45号線で宮古方面に行く際は、釜石市役所の脇の方から鳥谷坂トンネルを通るのが一般的だ。 しかし鳥谷坂トンネルの開通前は、大渡小学校の脇の坂道からグネグネと山道を通り、鳥ヶ沢トンネルを通って女遊戸(おなつぺ)に出るルートだった。   9月2…
弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日) i一関・西磐井郡

弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日)

昭和35年7月17日の岩手報知より。 この当時、高速道路は「弾丸道路」と言われていたようで、インターチェンジも「停車場」と呼ばれていた。 その「停車場」の候補に、一関市厳美地区が候補に上がり、建設省の課長が視察に来たのだという。 ちなみに、東北自動車道の盛岡〜一関で部分開業するのは昭和52年のこと。…
くろがねノーバ(昭和35年4月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

くろがねノーバ(昭和35年4月20日)

盛岡バスセンターが開業したその昭和35年4月20日の岩手日報の広告欄より。 今はなき東急くろがね工業のトラック「ノーバ」の広告が出ている。 販売店は岩手県域で独立していたわけではなく、「宮城くろがね販売岩手支店」として、盛岡の大沢川原(下ノ橋の盛岡駅よりで現在の岩手女子高校の近辺)にあったようである…
週刊テレビ時代 a盛岡・岩手郡・紫波郡

週刊テレビ時代

2015年の正月、盛岡に帰省した時のこと。 盛岡バスセンターは閉鎖が決まっており、中に入っていたフジワラショップもすでに撤退していた。 そのフジワラショップがあった所の上の方を見てみると・・・ 「週刊テレビ時代」・・・? そんな雑誌は聞いたことがない。 また例によってWikipediaで調べてみると…
岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日)

昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を…
日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日) l全県

日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日)

昭和35年1月11日の岩手日報より。 日本海に低気圧が発生し、東北地方に前線が横切り、その前線の北側では雪、南側では雨となった。 盛鉄局施設部保線課によれば、各駅の降雪量は以下の通り。(カッコ内は積雪量) 東北本線 一戸 10(10) 奥中山 10(55) 盛岡 15(20) 北上 5(5) 水沢 …
松尾鉱山にデラックス・バス(昭和35年1月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

松尾鉱山にデラックス・バス(昭和35年1月8日)

昭和35年1月8日の岩手日報より。 松尾鉱業所には前年末に2台のデラックス・バスが到着したのだという。 それは1960年型の定員65人乗りで、130馬力のトヨタ車であるという。 車体は「明るいグレーに青色の帯を巻い」ているという。 この時点では、元山~屋敷台(松尾鉱山鉄道の駅)を往復しているだけであ…
盛岡バスセンターの向かいに昭和石油ガソリンスタンド完成(昭和35年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡バスセンターの向かいに昭和石油ガソリンスタンド完成(昭和35年1月1日)

昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 盛岡バスセンターの前に昭和石油盛岡モデルステーションが完成するという。 ・・・というか、この時点では盛岡バスセンターの開業はこの年の4月20日であり、まだバスセンターとしてはオープンしていなかったはず。 それでもバスセンターに対する期待は大きかったのだろうか。…
盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日)

昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ…
日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日)

昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故…
カミナリ親父とカミナリ族 l全県

カミナリ親父とカミナリ族

昭和34年9月29日の岩手日報に掲載された漫画より。 カミナリ親父も寄る年波で引退だという。 しかし今度は息子の方がカミナリ族になっているというオチ。 当時、オートバイでスピードを出しまくる「カミナリ族」が各地で問題になっていた。…
日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で! a盛岡・岩手郡・紫波郡

日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で!

昭和34年9月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車が日産ディーゼルトラックと民生ディーゼルトラックの広告を打っている。 この時期、トヨタにしろいすゞにしろくろがねにしろ、菜園とか大沢川原といった、下ノ橋の北側の中津川沿いに自動車販売会社が集中していたようである。    …
岩手日産「車は生きている・・・」 l全県

岩手日産「車は生きている・・・」

昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。    …
統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」 k大船渡・陸前高田・気仙郡

統計図表コンクールの知事賞は気仙小学校の「姉歯橋の交通調査」

昭和34年9月17日岩手日報より。 県統計協会により小・中学生の統計図表コンクールが開かれ、応募75点のうち、小学生の部の知事賞は陸前高田・気仙小3年1組の「姉歯橋の交通調査」であったという。 姉歯橋は当時は国道45号線で陸前高田から気仙沼方面に出る時は必ず通る橋であったようである。 自家用車を「ト…