h水沢・江刺・胆沢郡 10 9月 1963 県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市米里と遠野市小友を結ぶ県道127号米里-小友線は、岩手県南と沿岸を結ぶ重要な道路であった。 そこで、水沢・江刺・遠野・釜石の4市長の署名を持って、江刺市役所の関係者が盛岡に出て県庁に改修のための陳情書を手渡したのである。 ただし、どのように改修の必要な… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 9月 1963 釜石市内の道路舗装工事のため岩手東部バスが迂回します(昭和38年9月9日) 昭和38年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部・只越町の道路舗装工事のため、市内の道路は通行制限を敷くことになった。 それで、岩手東武バスも一部ルート変更することになった。 これは10月10日までと予定されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1963 岩手東部バス釜石営業所にライトバス導入(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手東海新聞より。 岩手東部バス釜石営業所では、7月から19人乗りのライトバスを3台入れて、小規模な貸切需要に応じている。 それまでは、60〜70人乗りの大型バスしかなく、20人程度の観光団体では手が出ないレベルの需要に応えるもの。 貸切料金は以下の通り。 根浜海岸 4400円(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 6月 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 29 3月 1963 花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日) 昭和38年3月29日の岩手日報より。 花巻バスの労働争議は泥沼化し、29日以降「無期限スト」の様相を呈してきた。 なぜこういう事態になったかというと、1月22日に岩手中央バスのストがあった際、中央バスに委託していた紫波町の通学バスを、花巻バスの貸し切りバスで運行しようとした。 いわゆる「スト破り」で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! 昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4… 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1962 貸切バスは4割の増収(S37.11.2河北新報岩手版) 貸切バスは前年比4割の増収でホクホク顔と。 写真は盛岡城跡の駐車場だそうで、バスはおそらく県南バス。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 7月 1962 岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 7月 1962 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 盛岡の藤健自動車が、大船渡・宮古・釜石でスズライトの巡回健康診断をするという。 スズライトはスズキ自動車の軽自動車。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 6月 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 2月 1962 県南バス江刺営業所の移転や道路事情などについて投書(昭和37年2月12日) 昭和37年2月12日の岩手民声新聞より。 投書欄には、県南バス江刺営業所の移転に始まって、江刺市内の道路事情について書かれている。 投稿者は70歳越えだというので、1962年から見ると明らかに19世紀生まれ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1962 プリンス・グロリア117万円!スカイライン105万円(昭和37年1月16日) 昭和37年1月16日の岩手日報より。 岩手プリンスでは、プリンス自動車の大売り出しをしている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 13 1月 1962 見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。 現在でこそこ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 1月 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1962 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 県内バス5社労組が一斉にストで戦後最悪の交通マヒ(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 県内5社(岩手中央バス・花巻バス・花巻電鉄バス・岩手県南バス・岩手東部バス)のバス労組は、この日の朝5時から全面ストに入ることになった。 5社の経営側も対応を協議したが、5社で要求が統一されているわけではなく、特に県南バスが異なっているので協議も難航した。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 スト乱発の岩手県南バス・岩手東部バスが弁明広告(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢に本社がある岩手県南バスと、その経営参加にある釜石市の岩手東部バスは、ワンマン化―闘争、書記長の除名問題など給与以外の所で争議が勃発しており、ストの連発となっていた。 そこで、会社側が弁明広告を出したのである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 11月 1961 水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 7月 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 4月 1961 釜石でバスが半日スト(昭和36年4月28日) 昭和36年4月28日の岩手東海新聞より。 春闘では県南・東部バス労組は3000円のべアを要求していたが、会社側の回答は1500円。 これに対し組合は釜石営業所でストを行うことにした。 これに呼応し、釜石製鉄所・釜石市役所・全逓の組合員も応援に駆け付け一緒に座り込みをした。 今でこそ岩手県交通の釜石営… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 4月 1961 釜石タクシーの電話番号は「一番早い」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石タクシーの広告が出ており、電話番号は「一番早い」で1881番。 電話がまだ自動通話ではなかったこの頃、電話番号が4桁だったのは盛岡と釜石ぐらいのものだったようである。 当時の釜石は人口が9万人ぐらいいた。 この釜石タクシーは現在でも… 続きを読む