h水沢・江刺・胆沢郡 8月 7日 1957 江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。… 続きを読む
m県外・参考 4月 20日 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 2日 1957 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 4月2日は旧暦3月3日で桃の節句。 三陸沿岸は好天に恵まれ潮干狩り日和となり、盛鉄局は山田線や八戸線に臨時列車を出して潮干狩り客をさばいたという。 写真は大槌町の洲崎海岸で、5,000人の人出でにぎわったという。 釜石市の鵜住居海岸でも3,000にんの人出でにぎわ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2月 15日 1957 エンコして乗客に押される伊保内行きのの県北バス(昭和32年2月15日) 昭和32年2月15日の河北新報岩手版より。 県北地方は連日の吹雪で、山間部は積雪3尺余りとなり、幹線筋以外のバスが運休が相次ぐこととなった。 福岡〜伊保内のバスはかろうじて運行していたが、一旦バスがエンコしようものなら、後から来るトラックなどが次々と通行止めになるわけで、車掌や乗客がバスの後ろを押し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 28日 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
l全県 1月 3日 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 11日 1956 海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1956 交通安全足もと見れば(昭和31年4月22日) 昭和31年4月22日の岩手日報より。 交通安全に関する写真記事ではあるが、当時の盛岡の道路の様子がわかってもらえるだろう。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 2月 10日 1956 軽米町で国鉄バスをいたずらで運転したら農家に突っ込む(昭和31年2月10日) 昭和31年2月11日の河北新報岩手版より。 2月10日の午前8時40分ごろ、軽米町晴山の県道で、北福岡への折り返し待ちの国鉄バスを、福岡町内の靴屋の28歳の男がいたずらで運転したら、誤って農家に突っ込みバスの前面と農家の縁側を壊した。 被害額は24,000円と言うことであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1956 カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。 ちなみに、どちらも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1956 紺屋町でDQNがバスに空気銃を撃ち込む(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 1月5日18時20分頃、盛岡市紺屋町の田山家具店の前で、馬町車庫発青山町行きの中央バスに何者かが空気銃を撃ち込んだ。 元旦の頃にも同じようなことがあったようで警察は犯人を捜査することにした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1955 釜石自動車教習所では夜間部を開設!(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石自動車教習所では、夜間部を開設するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 13日 1955 盛岡~陸前高田の直通バスは翌月実現か(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 この時点で、岩手中央バスが盛岡~遠野間に、国鉄バスが遠野~陸前高田に路線があった。 この2路線を統合して、中央バスと国鉄バスが盛岡から陸前高田までを通しで運行できるように陸運局に陳情をしていたのである。 これを受け、運輸省から担当者が来県し、実現近しとの見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 「修学旅行怖い」と中止する学校続出 紫雲丸の沈没事故、北上の飯豊橋のバス事故と全国的に修学旅行生が死ぬ事故が続発し、「怖いので修学旅行を中止する」という学校が続出する。 盛鉄局では年間70万人の修学旅行生を輸送していたのだという。 盛鉄局管内で修学旅行を中止したのは以下の通り。 青森市立長島小各校(5年生290名) 青森市立橋本小学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 岩手中央バスの本社が日影門から駅前に移転 昭和30年5月17日の岩手日報より。 岩手中央バスの本社車庫が、5月16日に日影門から駅前に移転し、盛岡市長や陸運局長まで招いて落成式典が行われた。 そして18日から、バスは本社前から駅前の発車に変わり、日影門の本社前は観光バス専用になるという。 これで、内丸の本社前道路も混雑が緩和されるのではない… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) 稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 北上バス転落事故(昭和30年5月14日) 瀬戸内海で宇高連絡船紫雲丸が沈没し多くの修学旅行生が犠牲になって3日後の昭和30年5月14日のこと。 稗貫郡石鳥谷町の八日市小学校の修学旅行帰りの小学生を乗せ松島から来たた花巻電鉄の貸切バスは、夜の国道4号線を北に上り学校に戻ろうとしていた。 飯豊橋のあたりで向こうから藁を満載したお百姓さんの自転車… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 6日 1954 一関で自動車運転者受験講習会(昭和29年9月14日) 昭和29年9月6日の岩手の1日より。 一関商工会議所の主催、一関市公安委員会の共催で、9月14日から28日までにかけて、自動車運転者受験講習会が開かれることとなった。 運転免許の受験自体が一関でできるかどうかはここでは読み取れないが、このような講習会は需要があったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1954 これが「盛岡市営バス」計画だ 昭和29年9月2日の読売新聞岩手版より。 盛岡市の人口増加や近隣町村との経済的な連携、観光事業の振興策として盛岡市議会で委員会を設けて推し進めているもので、すでに市営バスを運行している八戸、青森、秋田、浜松、岐阜、尼ヶ崎、姫路の7都市を視察するなどしていた。 また、一本木原に陸上自衛隊キャンプが着工… 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 1日 1954 岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 29日 1954 盛岡でバス運転競技会(昭和29年8月29日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 8月29日、盛岡市馬検場で第3回県下バス運転競技会が開催され、7社の代表選手10名が参加して行われた。 種目は以下のようなものであったという。 白線を引いた狭い道路を赤旗を倒さぬよう規定の速度で運転する 運転態度 ガソリン消費量 車体整備 学科試験 入賞者… 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 1日 1954 北福岡駅〜斗米村〜田子町に国鉄バス開業(S29.8.1岩手日報) 8月1日から、国鉄バスの北福岡駅から斗米村と青森県境を越えて田子まで国鉄バスが開業したようだ。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 13日 1954 一関発県南バス時刻表(S29.4.13岩手日日) この年の4月16日に、県南バスがダイヤ改正をするという。 その一関管内の時刻表。 若柳や気仙沼といった県境を越える路線もある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 13日 1954 東北民生ディゼル(原文ママ)では盛岡にもサービスステーションを設けます!(昭和29年4月13日) 昭和29年4月13日の岩手日報の広告欄より。 バスやトラックのメーカーである民生は仙台に「東北民生ディーゼル」として営業拠点を設けていたが、岩手県内にも盛岡にサービスステーションを設けることになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 15日 1954 岩手中央バスのバス本数と岩手県北バスの営業所一覧 昭和29年3月15日の岩手日報の一面広告では、県内の自動車貨物に関する解説を行っている。 この時期は、トラックが増えていたようだ。 そんな中でも岩手中央バスと岩手県北バスが広告を出している。 さすがにこの当時、滝沢営業所や矢巾営業所は無かったようだ。 滝沢営業所の前身になるのは青山営業所で、のちのダ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1954 みずしまのオート三輪を御購入の方を東京歌舞伎座ご招待! 昭和29年3月14日の岩手日報の広告欄より。 みずしまのオート三輪を購入すると東京は歌舞伎座に御招待、というサービスを繰り広げていたようである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 11日 1954 無試験で誰でも乗れるホンダ「ベンリイ号」 昭和29年3月11日の岩手日報の広告欄より。 水沢の後藤商会によるホンダのオートバイ「ベンリイ号」の広告であるが、「無試験で誰でも乗れる」ってほんまかいな? Wikipediaの「日本の運転免許」という項目を読む限りでは、昭和20年代の時点で既に「自動二輪免許」「小型二輪免許」というのはあったようで… 続きを読む