a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 30日 1964 スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで! 昭和39年11月30日の岩手日報の広告欄より。 当時、スズキの主力は「スズライト」だった。 そもそもは昭和30年に発売した軽自動車であり、後年「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」と評価され日本自動車殿堂歴史車に選ばれたというほどの名車でもある。 岩手県内の販社も「岩手スズライト販売」と… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 11月 2日 1964 花巻で踏切報知機にいたずらする列車妨害が相次ぐ(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 この時期、東北本線の花巻~村崎野間で列車妨害が相次いでいたという。 昭和38年10月25日以来、コンクリートトラフや鉄道標識が抜かれて線路にばらまかれるなどの悪質な列車妨害が13件続いていたという。 昭和39年11月1日には、下り197貨物列車が花巻市南城地内で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1964 岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日) 昭和39年11月1日の岩手日報の広告欄より。 岩手トヨタが自動車の運動会「ジムカーナ」の大会を、11月8日に盛岡八幡宮の境内で行うという。 ジムカーナとは、広告の表現をそのまま借りれば、「運転技術を存分に発揮でき、ウィットある機敏な行動が要求されしかも童心に帰って無邪気にふるまえる自動車の競技会」で… 続きを読む
備考※1 10月 1日 1964 【参考】東海道新幹線開業 昭和39年10月1日、「夢の超特急」東海道新幹線が開業。 https://www.youtube.com/watch?v=SKSLnIDHvBQ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 11日 1964 岩手トヨペット釜石営業所「新型コロナ発売!」(昭和39年9月11日) 昭和39年9月11日の岩手東海新聞より。 岩手トヨペット釜石営業所では、新型コロナの発表試乗会を釜石・遠野・宮古で行うと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1964 釜石市内の舗装工事でバスの運行経路が変わります(昭和39年9月9日) 昭和39年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部である只越町では、舗装工事のために東部バスの運行経路が変わるという広告。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢に本社がある岩手県南バスと経営統合しており、車体の色も県南バスの色となっていたが、正式に県南バスとなるのは昭和41年のこと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 20日 1964 岩手東部バス「釜石市内のバス時刻を改正します」(昭和39年6月20日) 昭和39年6月20日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスは釜石市内のバスの時刻表を改正するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 11日 1964 マツダファミリア43万8千円!B360は31万円!(昭和39年6月11日) 昭和39年6月11日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自動車販売店では、マツダの自動車を売っていた。 ファミリアが43万8千円、B360が31万円。 いずれも商用車前提の販売であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 9日 1964 昭和38年10月15日から全ての自動車に定期点検が義務付けられました!(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 釜石地区自動車整備協会では、自動車整備が義務付けられた旨の広告を出している。 今の言葉で言えば「車検」だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 9日 1964 夏休みは「はやちね」が盛岡〜宮古〜釜石〜盛岡の循環運転(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、夏休みに備えて7月中旬から臨時列車を運転する。 釜石に関わるものでは、釜石と鵜住居の間の「さざなみ」を2往復運転する。 また、循環急行「はやちね」を初めて運転するが、盛岡〜宮古〜釜石〜花巻〜盛岡の時計周りで、1周6時間半となり、期間は7月25… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 4日 1964 早く国道45号線古廟坂トンネルを開通させて大槌への架け橋を(昭和39年6月4日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 当時、国道45号線で釜石から大槌方面に行くには、室浜の山道を通っていかないといけなかった。 それで、古廟坂トンネルの開通が待ち望まれていた。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 1日 1964 花巻空港開港 IBC「いわてアーカイブの旅」より。 昭和39年4月1日、花巻空港が開業。 https://www.youtube.com/watch?v=tfReq0jOG1c… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 7日 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 13日 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 14日 1963 特急「つばさ」新設により「はつかり」は一関を通過します(昭和38年11月14日) 昭和38年11月14日の岩手報知より。 12月5日から、上野から盛岡に「つばさ」が運行される予定であった。 より正確に言うと、上野からの特急列車が半分は秋田へ行き、半分は盛岡へ来ると言うことであった。 ともあれ、このダイヤは上りが一ノ関発が10時22分、上野着が16時55分、下りが上野発12時30分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 12日 1963 鶴見事故の犠牲となった釜石出身の学生が悲しき帰郷(昭和38年11月12日) 昭和38年11月12日の岩手東海新聞より。 11月9日の夜に発生した、横須賀線の鶴見事故では161人の犠牲者が出た。 その中には、釜石市出身の学生もいた。 釜石市内のお寺の住職の息子で、横浜市内に下宿しながら立正大学の夜間部に通っていた大学生が事故に巻き込まれたのである。 その遺骨は、11月12日1… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1963 日通観光釜石支店の各種ツアー(S38.11.7岩手東海新聞) 日通観光釜石支店は、岩手東部バスと岩手東海新聞と共同でツアーを開催していた。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢を本社とする岩手県南バスの傘下に入り、車体色も県南バスと共通になっていたが、経営統合するのは昭和41年のこと。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 1日 1963 東和町〜大岳のバスが大岳温泉まで延長(昭和38年11月1日) 昭和38年11月5日の岩手民声新聞より。 東和町と江刺市梁川を結ぶバス路線は、江刺市梁川の大岳止まりであったが、11月1日から、これを延長して大岳温泉まで伸びるようになったのだと言う。 これを記念して、最初のバスが到着するタイミングで、市長や市教育長、市役所の課長レベル、県南バス社長、県南バス江差営… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 25日 1963 江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日) 昭和38年10月25日の岩手民声新聞より。 江刺警察署と県交通安全協会江刺支部では、秋の交通安全旬間にあたって、10月25日に市内の県道の危険な箇所3箇所でカーブミラーを設置することにした。 この3箇所は、岩屋堂の餅山と、玉里の玉崎・大和田の3カ所。 このカーブミラーは、一気に23,500円であると… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 21日 1963 江刺にも国鉄バスを通して下さい(昭和38年10月21日) 昭和38年10月26日の岩手民声新聞より。 鉄道のない江刺では、内陸の主要都市と沿岸を結ぶ国鉄バスの運行を陳情しようとしていた。 そして関係する市町村の首長や議会議長の署名を得たために、市議会以降は仙台陸運局が運輸省に陳情することとした。 陳情する路線は以下の通り。 釜石〜遠野〜米里〜岩谷堂〜水沢 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 18日 1963 一ノ関駅に雨量警報機を新設(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手報知より。 国鉄一ノ関管理所では、台風シーズンに備え一ノ関駅に自動雨量警報機を設置したと言う。 これは、ある一定の雨量に達すると警報が鳴り出して、付近を走る列車は時速25キロ以下で検索して危険を防止しようと言うものである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1963 釜石自動車教習所では自動車練習生募集中(昭和38年9月16日) 昭和38年9月16日の岩手東海新聞より。 釜石自動車教習所では、自動車練習生を募集している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1963 釜石〜東京15時間で直送の鮮魚トラック(S38.9.16岩手東海新聞) 当時、釜石港の鮮魚の輸送は国鉄に寄っていたが、東京まで運ぶには2〜3日かかっていた。 これを、トラックであれば15時間に短縮できると言うのだから、画期的なことだったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1963 釜石の恵まれない子供たちを仙人峠にドライブ(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 「釜石市子供の幸せを守る会」は、恵まれない子供たちを仙人峠にドライブに連れて行くと言うニュース。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 10日 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 10日 1963 県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市米里と遠野市小友を結ぶ県道127号米里-小友線は、岩手県南と沿岸を結ぶ重要な道路であった。 そこで、水沢・江刺・遠野・釜石の4市長の署名を持って、江刺市役所の関係者が盛岡に出て県庁に改修のための陳情書を手渡したのである。 ただし、どのように改修の必要な… 続きを読む