c交通

さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日) i一関・西磐井郡

さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日)

IBC「いわてアーカイブの旅」より。 「日本最大の機関車」として戦時中に活躍したD52型蒸気機関車は、あまりに重量が重いことで入れる路線が限られており、戦後になると持て余されるようになった。 そもそもD52が必要になるような輸送量の大きい路線は、とっくに電化が進んでいたからだ。 それで、昭和25年に…
釜石自動車学校の同窓会(昭和41年7月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石自動車学校の同窓会(昭和41年7月2日)

昭和41年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石自動車学校では、7月4日に同窓会を開催すると言う。 これは、7月4日の正午からやるのだそうで、特別に案内状は出さないがここの教習所を卒業した人は参加できるようになっていたと言う。 同窓会に集まったとして、一体どんな話をしたのだろうか。   &nb…
大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日)

昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗…
日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

日通観光釜石支店「花巻空港から東京・伊豆・箱根旅行団!」(昭和41年3月2日)

  昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 日通観光釜石支店と岩手東海新聞は合同で、東京・伊豆・箱根への旅行団を募集していた。 花巻空港はこの広告記事の2年前の昭和39年に開港している。 費用は総額で19,600円であった。 現在であれば、10万円以上の額になるだろうか。 岩手〜東京の移動…
横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日) g北上・和賀郡

横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日)

昭和41年2月2~3日の岩手日報より。 県内有数の積雪地帯を走る横黒線では、この冬は記録的な豪雪に悩まされていた。 昭和40年12月~41年1月の間で、102本の列車が運休。 応援として盛鉄局管内の青森機関区や、秋鉄局に属する横手機関区からラッセル車を応援させていたほか、雪崩危険個所のヘリコプターに…
羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日) f花巻・稗貫郡

羽田~花巻にYS11が就航し、八戸便と分離します!(昭和41年2月1日)

昭和41年1月14日の岩手日報より。 羽田~花巻は、これまで八戸便の途中寄港という形を取っていたが、利用客が増えたことにより2月1日から羽田~花巻と羽田~八戸を分離することに。 そして、花巻便の機材をコンベア240からYS11に変更し、八戸便の機材はコンベア240にするという。 ダイヤは以下の通り。…
県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日) d宮古・下閉伊郡

県内の水産高校が共同利用する実習船「宮古丸」が宮古港に到着(昭和41年2月1日)

昭和41年2月2日の岩手日報より。 県内の水産高校が共同で利用する実習船「宮古丸」が室蘭港を出航し、宮古港に到着した。 宮古港では宮古水産高校のブラスバンド部など全校生徒や漁業関係者が盛大に出迎えた。 宮古丸は室蘭の楢崎造船で建造され、総トン数190トン、全長31m、幅6.6m、エンジン620馬力、…
年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞) e釜石・遠野・上閉伊郡

年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞)

年末年始の規制シーズン、釜石駅では盛岡鉄道管理局に、上野から直通の臨時列車を運行するようお願いしていた。 それが「第2陸中」で、1等車1両、2等車4両の5両編成であったという。 また、釜石線・山田線は自動閉塞化が進んでいたという。    …
葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日)

昭和40年10月18日の岩手日報より。 「峠の秋」と言うシリーズ物記事の5回目。 岩手郡葛巻町と下閉伊郡岩泉町の境界にあるこの峠は、「国境峠」と呼ばれている。 読みは「くにさかい」で、盛岡市と下閉伊郡川井村の境界にある区界峠と全く同じ発音になってしまうと言う。 カーブの多い峠道で「破折注意」「標高六…
早坂峠の秋(昭和40年10月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

早坂峠の秋(昭和40年10月15日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 この地域の農家の主食は100%ヒエだったそ…
馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日)

昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。    …
運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日)

昭和40年10月13日の岩手日報より。 釜石鉱山から釜石製鉄所まで、鉄鉱石を運んできたいわゆる「社線」は、今年の3月28日に運行を終了した。 これまで熱心に撤去運動を進めてきたとは言え、釜石の発展に尽くしてきた事は確かで、機関車を保存することになった。 製鉄所側もこれを了承し、1台の機関車を、釜石市…
厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日)

昭和40年10月13日の岩手日報より。 盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。 この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。 その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時…
新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) l全県

新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日)

昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異…