h水沢・江刺・胆沢郡 28 7月 1962 岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。 そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。 釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1962 盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1962 ハリキリさん「電車で隣に座った美人」(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 この当時東海新聞に連載されていた4コマ漫画は「ハリキリさん」。 今回は電車の中。 主人公の隣に美人が座ってきて、もたれかかってくる。 なかなかラッキーな瞬間であるように思えるが、帰宅すると財布がない。 つまりあの美人は女スリだったのだ! ところで… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 7月 1962 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 盛岡の藤健自動車が、大船渡・宮古・釜石でスズライトの巡回健康診断をするという。 スズライトはスズキ自動車の軽自動車。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 6月 1962 釜石ロータリークラブが釜石駅に電気時計を寄贈(昭和37年6月30日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 6月30日、釜石ロータリークラブでは、釜石駅に直径1メートルの大型電気時計を送り、釜石駅の正面玄関の上に取り付けたと言う。 釜石では、それまで「釜石時間」と言って時間にルーズだったようであるが、その追放を願って時計を送ったのだと言う。  … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 6月 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
事故 3 5月 1962 【参考】三河島事故 中日ニュースより。 常磐線で国電と貨物列車が衝突する三河島事故。 https://www.youtube.com/watch?v=syM9dAdNNfo… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 2月 1962 県南バス江刺営業所の移転や道路事情などについて投書(昭和37年2月12日) 昭和37年2月12日の岩手民声新聞より。 投書欄には、県南バス江刺営業所の移転に始まって、江刺市内の道路事情について書かれている。 投稿者は70歳越えだというので、1962年から見ると明らかに19世紀生まれ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1962 プリンス・グロリア117万円!スカイライン105万円(昭和37年1月16日) 昭和37年1月16日の岩手日報より。 岩手プリンスでは、プリンス自動車の大売り出しをしている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 13 1月 1962 見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。 現在でこそこ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1962 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 盛岡鉄道管理局は、八幡平から東京に直通する列車や、陸中海岸国立公園と十和田湖を結ぶ観光列車を計画しているという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 1月 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1962 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 12月 1961 江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日) 昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 12月19日に行われた江刺市議会では、市営バス計画に関して質問が出たようである。 市長はこれに対し「江刺市にとってバスは唯一の交通機関。そのバスが争議行為などで運行が中止されることの無いよう、全国の市営バスについて調査したい」と回答した。 &… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 県内バス5社労組が一斉にストで戦後最悪の交通マヒ(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 県内5社(岩手中央バス・花巻バス・花巻電鉄バス・岩手県南バス・岩手東部バス)のバス労組は、この日の朝5時から全面ストに入ることになった。 5社の経営側も対応を協議したが、5社で要求が統一されているわけではなく、特に県南バスが異なっているので協議も難航した。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 スト乱発の岩手県南バス・岩手東部バスが弁明広告(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢に本社がある岩手県南バスと、その経営参加にある釜石市の岩手東部バスは、ワンマン化―闘争、書記長の除名問題など給与以外の所で争議が勃発しており、ストの連発となっていた。 そこで、会社側が弁明広告を出したのである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 24 11月 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 11月 1961 水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 7月 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1961 スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡小学校の鈴子地区(釜石駅周辺)で。釜石で初めてとなる「集団登校」を始めることにしたという。 問題となっていたのは鈴子地区から釜石駅に行くのに必ず大渡橋を通らないといけないということであるが、これが釜石で一番交通量の多い場所であるということであった… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 7月 1961 宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。 22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。 釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。 釜… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 7月 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む