a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡鉄道公安室が急行「おいらせ」車内の無法者を下車させる(昭和38年4月5日) 昭和38年4月7日の岩手日報より。 この時期、列車内での暴力が問題に乗っていた。 4月5日の7時過ぎ、上野行きの急行「おいらせ」の車内で、車内が満員であるにもかかわらず座席を広く占有して、他の曲に注意されても聞き入れないで眠ったふりをしていた酔っ払いの東京都内の工員を、盛岡駅到着と同時に、盛岡鉄道公… 続きを読む
g北上・和賀郡 5 4月 1963 北上機関支区の職員が廃物で防煙マスクを考案(昭和38年4月5日) 昭和38年4月5日の岩手日報より。 この前の年の12月、横黒線は和賀仙人から陸中川尻の間の14.5キロが、ダム建設で水没するため、線路が山手に切り替えられた。このことで勾配が急になりトンネルも6つが新設されることになったのである。 これまで、この区間を走る機関車の機関士は、旧軍隊が作った防毒マスクを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 29 3月 1963 花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日) 昭和38年3月29日の岩手日報より。 花巻バスの労働争議は泥沼化し、29日以降「無期限スト」の様相を呈してきた。 なぜこういう事態になったかというと、1月22日に岩手中央バスのストがあった際、中央バスに委託していた紫波町の通学バスを、花巻バスの貸し切りバスで運行しようとした。 いわゆる「スト破り」で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 3月 1963 渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! 昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4… 続きを読む
m県外・参考 7 11月 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1962 松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1962 貸切バスは4割の増収(S37.11.2河北新報岩手版) 貸切バスは前年比4割の増収でホクホク顔と。 写真は盛岡城跡の駐車場だそうで、バスはおそらく県南バス。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 7月 1962 岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。 そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。 釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1962 盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1962 ハリキリさん「電車で隣に座った美人」(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 この当時東海新聞に連載されていた4コマ漫画は「ハリキリさん」。 今回は電車の中。 主人公の隣に美人が座ってきて、もたれかかってくる。 なかなかラッキーな瞬間であるように思えるが、帰宅すると財布がない。 つまりあの美人は女スリだったのだ! ところで… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3 7月 1962 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 盛岡の藤健自動車が、大船渡・宮古・釜石でスズライトの巡回健康診断をするという。 スズライトはスズキ自動車の軽自動車。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 6月 1962 釜石ロータリークラブが釜石駅に電気時計を寄贈(昭和37年6月30日) 昭和37年7月2日の岩手東海新聞より。 6月30日、釜石ロータリークラブでは、釜石駅に直径1メートルの大型電気時計を送り、釜石駅の正面玄関の上に取り付けたと言う。 釜石では、それまで「釜石時間」と言って時間にルーズだったようであるが、その追放を願って時計を送ったのだと言う。  … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 6月 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
事故 3 5月 1962 【参考】三河島事故 中日ニュースより。 常磐線で国電と貨物列車が衝突する三河島事故。 https://www.youtube.com/watch?v=syM9dAdNNfo… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 2月 1962 県南バス江刺営業所の移転や道路事情などについて投書(昭和37年2月12日) 昭和37年2月12日の岩手民声新聞より。 投書欄には、県南バス江刺営業所の移転に始まって、江刺市内の道路事情について書かれている。 投稿者は70歳越えだというので、1962年から見ると明らかに19世紀生まれ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 1月 1962 プリンス・グロリア117万円!スカイライン105万円(昭和37年1月16日) 昭和37年1月16日の岩手日報より。 岩手プリンスでは、プリンス自動車の大売り出しをしている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 13 1月 1962 見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。 現在でこそこ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 1月 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1962 盛鉄局が東京〜八幡平の直通列車を計画(S37.1.5岩手日報) 盛岡鉄道管理局は、八幡平から東京に直通する列車や、陸中海岸国立公園と十和田湖を結ぶ観光列車を計画しているという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 1月 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1962 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 12月 1961 江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日) 昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 12月19日に行われた江刺市議会では、市営バス計画に関して質問が出たようである。 市長はこれに対し「江刺市にとってバスは唯一の交通機関。そのバスが争議行為などで運行が中止されることの無いよう、全国の市営バスについて調査したい」と回答した。 &… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 県内バス5社労組が一斉にストで戦後最悪の交通マヒ(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 県内5社(岩手中央バス・花巻バス・花巻電鉄バス・岩手県南バス・岩手東部バス)のバス労組は、この日の朝5時から全面ストに入ることになった。 5社の経営側も対応を協議したが、5社で要求が統一されているわけではなく、特に県南バスが異なっているので協議も難航した。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 スト乱発の岩手県南バス・岩手東部バスが弁明広告(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢に本社がある岩手県南バスと、その経営参加にある釜石市の岩手東部バスは、ワンマン化―闘争、書記長の除名問題など給与以外の所で争議が勃発しており、ストの連発となっていた。 そこで、会社側が弁明広告を出したのである。 … 続きを読む