a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 与の字橋・入道雲・女子高生(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 中の橋と上の橋の間にある与の字橋の向こうには入道雲が立っている。 そして遠足帰りの女子高生が渡る。 与の字橋の向こうにある女子校というと、盛岡二高(上の橋町)だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1950 暑波襲来(S25.7.2岩手新報) 盛岡に夏が訪れ、「オフィス・ガール」も日傘を差して歩いている。 おそらくは旧県立図書館のところから中の橋を望んだ写真。 向こうは現在の岩手銀行赤レンガ館。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 大雪が大雨になり県内で大混乱(昭和25年2月9日) 昭和25年2月11日の新岩手日報より。 8日の大雪は、暖気の流入で9日には大雨となったようで、県内では道路や電線に影響が出たようだ。 盛岡市内でも道路がぬかるみとなり、かなりひどい状況に。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 岩手公園で「雪の芸術祭」(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 岩手公園では「雪の芸術祭」が行われ、盛岡市内の子どもたちによる雪像が多く並べられたという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 2月 1950 県北で激甚な吹雪の被害(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 1月31日の猛吹雪により、県北では激甚な被害が発生した。 特に学校や開拓農家では、被害が大きかったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 山のボンペイ街のチャコ「吹雪」(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 連載されていた「山のボンペイ街のチャコ」では、冬の吹雪について扱っている。 この時期であれば、冬型の気圧配置によるものだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1950 県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 31 1月 1950 暴風雨で下閉伊郡北部に甚大な被害(昭和25年1月31日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 1月31日、暴風が吹き荒れて、岩泉町や田野畑村といった下閉伊郡北部で甚大な被害が報告された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1949 岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 3月 1949 盛岡測候所「寒の戻りはしばらく続きましょう」(昭和24年3月6日) 昭和24年3月6日の岩手新報より。 この時期、岩手県内では寒の戻りが続いていたようで、盛岡測候所でも「しばらく続くだろう」と言っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1949 冬将軍の窮余の反撃?(昭和24年3月1日) 昭和24年3月2日の岩手新報より。 3月1日は、3月としては珍しい大雪となった。 それで、県内各地は雪が積もることとなったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 1月 1949 暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 19 9月 1948 アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 昭和23年9月22日の岩手新報より。 アイオン台風の被害に遭った宮古に、宮城県渡波港から救援の米が届いた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 9月 1947 カスリーン台風 カスリーン台風(カザリン台風、キャサリン台風)が一関市を襲ったのは昭和22年9月15日。 https://youtu.be/KxYCM6ZhTes… 続きを読む
l全県 3 9月 1947 二百十日が無事過ぎる(S22.9.3新岩手日報) 台風の特異日である「二百十日」は、農家にとって収穫を根こそぎ奪われるリスクの高い日で恐れられていた。 この年は、無事平穏に済んだようである。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 1月 1940 省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(S7.1.6岩手日報) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、盛岡でスケートやアイスホッケーといえば、高松の池が中心的な舞台だった。しかし、この冬は異例の暖かさで氷が張らず、リンクは開設できない状態が続いていた。例年であれば正月を過ぎれば学生たちのインカレ(インターカレッジ)も行われ、氷上は賑わうはずだが、この年はそれも… 続きを読む
m県外・参考 1 9月 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(S6.9.1岩手日報) 二百十日といえば、稲作農家にとっては一年の節目とも言える重要な日である。立春から数えて210日目、例年9月1日がこれにあたる。 この日は古来より「台風が来る日」として恐れられてきた。せっかく育ててきた稲が、刈り入れ前に暴風雨でなぎ倒されるかもしれないという不安がつきまとうからだ。 昭和6年の「二百十… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 6月 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の『岩手日報』より。 8月31日に、一関にて自動車強盗未遂事件の公判が開かれた。被告は19歳の少年と21歳の男の2名である。事件は6月3日に発生したもので、自動車強盗を試みたが、未遂に終わっていた。 主犯とされたのは19歳の少年で、青森県下北半島の出身。製材工場でエンジン係として働い… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1929 二百十日は無事に過ぎる(S4.9.2岩手日報) 昭和4年9月2日の『岩手日報』によれば、農家にとって最も恐れられる「二百十日(にひゃくとおか)」——台風の来襲が多い厄日——が、今年は大きな被害もなく無事に過ぎたという。 掲載された写真は、盛岡市梨木町の田んぼの様子と思われる。黄金色にたわわに実った稲が、風にそよぎ、秋の穏やかな陽射しのもとに静かに… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 昭和4年9月1日付の岩手日報には、「けふは二百十日、そして震災記念日」と題された記事が掲載されている。 9月1日といえば、関東大震災の発生日として広く記憶されている。1923年(大正12年)のこの日、首都圏を中心に未曾有の大地震が襲い、多数の死傷者と甚大な被害をもたらした。この出来事を契機に、9月1… 続きを読む
l全県 9 1月 1927 警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月8日、岩手県内は冬型の気圧配置の影響で猛烈な暴風雪に見舞われた。各地で家屋の倒壊や倒木、電線の切断が相次ぎ、交通や通信に甚大な影響を及ぼした。 なかでも深刻だったのは、県内の警察電話が全面的に不通となってしまったことである。記事によれば、「復旧までには十日を要す」との見通しが出されており… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 1月 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(S2.1.9岩手日報) 昭和2年1月、岩手日報は「盛岡~宮古間の冬季郵便逓送を自動車で継続すべく、逓信局と交渉中である」と報じた。実はこの区間、すでに大正14年からは「盛宮自動車」による郵便輸送が始まっていたが、冬場は例年通り積雪のため運休し、郵便物は駄馬によって雪道を越えて運ばれていたという。 この「雪道」とは、すなわち… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1927 昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) 昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 … 続きを読む
0_主要ニュース 26 12月 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む