備考※1 1月 1日 1983 【参考】INSの発達(S58.1.1中日ニュース) 電話やFAXを同時に送れる「INS」という技術であるという。 なんか聞いたことあるようなないような・・・ https://youtu.be/vhj96KtjNeA?si=4EyCU02uCb3S_KFu … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 13日 1978 本州で最後の手動交換局・山根局が自動通話化(昭和53年12月13日) その昔、電話は「電話番号を押せばすぐに通話できる」というものではなかった。 まずハンドルを回して電話局の交換手につなぎ、相手先の電話局と番号を言って交換手につなぐ作業をしてもらう。 その間、いったん電話を切る。 そして向こうがつなぐ作業が完了したら、交換手から電話がかかってきて「お話しください」とな… 続きを読む
l全県 3月 25日 1970 電話料金が3分10円に(昭和45年3月25日) 昭和45年1月30日から公衆電話は3分10円に。 しかし、下のIBC「いわてアーカイブの旅」では「3月25日から~」と書いてある。 電話局によって違いがあったのか、はたまた市内と市外の違いとか? https://www.youtube.com/watch?v=IeyGvY0_Vfg … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 31日 1969 昭和44年から昭和45年へ 貴重な盛岡民衆駅や自動化前の盛岡電話局の映像(昭和44年12月31日) 「いわてアーカイブの旅」はさすが岩手国体の昭和45年の映像が多い。 中でも、盛岡駅(民衆駅)や自動化前の盛岡電話局の映像はかなり貴重である。 https://youtu.be/KMl9AKHeVVM … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2月 9日 1969 一関の市外局番は「01912」となります。市内局番の「3」を忘れずに!(昭和44年2月9日) 昭和44年2月9日の岩手報知より。 一関電報電話局管内の加入電話は3,839台となっており、これ以上の増設はこの時点の設備では無理であった。 これを解決すべく。2月9日から一関局の市外局番は「01912」となり、市街地では市内局番「3」が付くことになった。 これからは「3」を頭にダイヤルしなければな… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 12日 1968 釜石もそのうち自動電話になります!(昭和43年3月12日) 昭和43年3月12日の岩手東海新聞より。 釜石市上中島の、釜石南高校跡地に新たに電話局が建設中で、クロースバー400型交換機が整備中なのであるという。 これが運用開始すれば、釜石市内も自動通話化するのだという。 これが完成すれば、東日本の2050局とはダイヤル市外通話が、西日本1400局とは交換手の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 27日 1967 釜石電報電話局の自動化工事は順調(昭和42年11月27日) 昭和42年11月27日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局では自動化工事が進んでいた。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 28日 1966 宮古電報電話局は4階建ての高層ビルになる予定(昭和41年10月28日) 昭和41年11月1日の岩手東海新聞より。 昭和44年度に完成を目指す宮古電報電話局の自動改式局増設工事の地鎮祭と起工式は、10月28日11時から宮古市築地通りの建設現場で行われた。 起工式には、東北電気通信局長や宮古電報電話局長や、関係者来賓80名が出席して行われた。 宮古管内でも、電話架設の要望は… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1966 釜石電報電話局管内が自動電話化します!(昭和41年3月7日) 昭和41年3月7日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局管内が3月27日から自動化する運びとなった。 これで、盛岡や仙台や東京とも自動通話できるようになるのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 21日 1965 盛岡電話局の交換嬢が不当処分反対のゼッケンで勤務(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 盛岡電話局では、4月の春闘半日デモで1569人もの組合員が処分されたのに抗議して、交換嬢たちがゼッケンをつけて勤務することとなった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 15日 1964 釜石電報電話局「電話のない部落を解消するぞ!」(昭和39年6月15日) 昭和39年6月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局で予定していた、昭和39年度の電話架設計画は、農村公衆電話の7台の架設工事が全て完了した。 この年に架設された農村公衆電話は以下の通り。 大槌町和野 〃 種戸 〃 金沢安瀬沢 〃 大ヶ口 〃 臼沢 釜石市栗橋町大口 〃 〃 能舟木 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 釜石で電話を付けるためには7倍の競争率(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局管内の加入電話の希望者は7倍の倍率となっていたと言う。 まだ自動化する前の話。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 14日 1964 釜石電報電話局は昭和40年度内の自動化を目指す(昭和39年1月14日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、この時点ではまだ自動電話ではなく、交換手が交換する方式であったが、昭和40年度までに自動化する計画であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 30日 1962 釜石電報電話局「市外電話料金が変わります!」(昭和37年9月30日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、市外電話の料金が変わる旨の広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 10日 1962 釜石でも電話を自動化したいが・・・(S37.7.10岩手東海新聞) 全国的に、電話は交換手がつなぐ方式から自動電話に切り替わろうとしていた。 釜石も例外ではなかったが、用地がなかなか確保できないというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1962 沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話が即時化(S37.1.7岩手日報) 電電公社岩手電気通信部では、沼宮内〜川口、葛巻〜江刈の市外通話を即時化するという。 つまりダイヤル化されるということ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 25日 1961 全逓労組釜石支部「別に電話の自動即時通話化に反対してる訳じゃありません」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局では大槌などの近郷の各局とのダイヤル自動通話化が計画されていたようである。 そうなれば利用客は便利になるかも知れないが、電話交換嬢は要らなくなるということになる。 その「電話交換嬢が失業する」という観点から、全逓釜石支部が反対している・・・とい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1960 盛岡~釜石間の即時通話がスタート(昭和35年9月1日) 昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 盛岡~釜石間の即時通話が9月1日からスタートするのに先立ち、8月31日には接続試験が行われた。 釜石電報電話局では、釜石市長代理、釜石漁連会長などが出席した。 そして盛岡市長から釜石市長へのメッセージ交換などが行われた。 また、それまで混信がちだった通話も非常… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 19日 1959 釜石市内電話増設ご案内(昭和34年5月19日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石市内の店舗で電話が開通したところが広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1957 使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報の広告欄より。 電話台「アカザワ号」の広告が出ているが、注目すべきは黒電話がダイヤル式であること。 当時、盛岡の電話はダイヤル式ではなく「共電式」という、受話器を上げれば電話局の交換手につながるという方式であった。 この年の8月からダイヤル式自動電話が導入されるのだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 13日 1957 盛岡電話局は8月には自動化へ(S32.2.13河北新報) 当時の盛岡の電話は共電式であったが、自動電話化の工事が進んでいた。 盛岡電話局の局舎も新しくなり、8月にはそれが完成する見込みであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1954 盛岡には電話も電報も少なくて困ってます(昭和29年4月16日) 昭和29年4月16日の岩手日報より。 「主婦の苦情袋」というシリーズものの記事より。 この回は社会福祉事務局長の奥さん。 公衆電話と電報の取扱所を増やしてもらえないか。電報は郵便局で取り扱わなくなったので不便で困っている。 この間電話を使おうと思って近所の家に行ったが留守、川徳の簡易電話所は夜6時過… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 5日 1954 一関〜花泉の市外電話も「出んわ」解消へ(昭和29年1月5日) 昭和29年1月5日の岩手日日より。 一関周辺の市外電話は非常に回線不足に悩んでいたと言う。 一関から千厩の電話回線はこれまで3回線であったところ新たに3回線を増設しているところであると言う。 また、千厩から摺沢の電話回線も倍にする計画であると言う。 また、西磐井郡の北上川流域の地方の各村では、一関か… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 28日 1953 水沢の電話はあと100台加入できます!(昭和28年11月28日) 昭和28年11月28日の胆江日日新聞より。 この時点の胆沢郡水沢町の電話加入者は865台で、水沢電報電話局は宮古・釜石と並んで6級局に昇格していた。 ケーブルの張替えや交換台の増設であと200台は入れると呼びかけていたところ、95台が新規加入、あと100台の余裕があることになった。 ただ、水沢駅東・… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 16日 1953 水沢電報電話局管内の電話新設案内(昭和28年10月16日) 昭和28年10月16日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢電報電話局で新たに加入した電話について大々的に広告している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 7日 1953 水沢で加入電話70名の電話番号抽選会を行います!(昭和28年10月7日) 昭和28年10月7日の胆江日日新聞より。 水沢町や商工会議所の努力で、水沢町内にも電話回線が増設されることになった。 それで新加盟者70回線分も10月下旬までに工事が完成することとなった。 その70名の電話番号をどうするか。 この時点で水沢局内の電話番号は758番まで埋まっていたので、これに続く番号… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 7日 1953 一関市内各商店の電話架設情報(昭和28年9月7日) 昭和28年9月7日の岩手日日より。 「永らくご不自由をお掛けしました」というのは定型句だったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 一関市内商店の電話架設広告(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 広告欄には電話架設に関する広告が掲載されている。 「永らくご不自由をおかけ致しました」というのが定型文だったのだろうか。… 続きを読む