i一関・西磐井郡 3月 18日 1954 ビキニの「原子マグロ」を積んだ貨車が一ノ関駅で発見(昭和29年3月18日) 昭和29年3月19日の岩手日日より。 この年の3月1日、ビキニ鑑賞で水爆実験が行われ、第5福竜丸が被爆した。 その際の放射能の被害を浴びたマグロは、すでに全国で貨車で積み出されいたのである。 3月14日に水揚げされたマグロを、焼津から東京に運んだ貨車(レテ10029)が一体どこへ行ったのか国鉄が総力… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 11日 1954 春の雪で盛岡市内は雪景色 昭和29年3月12日の岩手日報より。 3月11日の昼頃から岩手県内では一斉に雪が降りだしたようである。 それで盛岡市内も雪景色に戻ってしまったようである。 (写真は中の橋通り) 盛岡測候所も15時に気象注意報を発表し、 「12日の朝までは20センチぐらいには降りましょう。2~3日はぐずついた天候で、… 続きを読む
l全県 3月 4日 1954 時ならぬ大雪でダイヤ混乱(昭和29年3月4日) 昭和29年3月6日の岩手日報より。 東シナ海で発達して北上した低気圧の影響で4日以降の大雪で県内の鉄道はダイヤが混乱した。 宮古では20センチ、釜石では15センチ、一ノ関では10センチと沿岸~県南にかけてが多かった。 この影響で、下りの5:05到着の急行205列車、5:45到着の急行1201列車、1… 続きを読む
備考※1 3月 1日 1954 【参考】第五福龍丸がビキニ環礁で「死の灰」被爆 静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福龍丸」がビキニ環礁で被爆。 岩手とは直接関係のないニュースではあるが時代相を示す参考として。 https://youtu.be/UxKkhzZmw9g … 続きを読む
f科学技術・情報通信 1月 15日 1954 超長波磁力線の偉力!(昭和29年1月15日) 昭和29年1月15日の岩手日日より。 広告欄には「超長波磁力線の偉力」と謳った広告が。 切断された神経がつながったり、発育が2倍になるとか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 5日 1954 一関〜花泉の市外電話も「出んわ」解消へ(昭和29年1月5日) 昭和29年1月5日の岩手日日より。 一関周辺の市外電話は非常に回線不足に悩んでいたと言う。 一関から千厩の電話回線はこれまで3回線であったところ新たに3回線を増設しているところであると言う。 また、千厩から摺沢の電話回線も倍にする計画であると言う。 また、西磐井郡の北上川流域の地方の各村では、一関か… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 28日 1953 水沢の電話はあと100台加入できます!(昭和28年11月28日) 昭和28年11月28日の胆江日日新聞より。 この時点の胆沢郡水沢町の電話加入者は865台で、水沢電報電話局は宮古・釜石と並んで6級局に昇格していた。 ケーブルの張替えや交換台の増設であと200台は入れると呼びかけていたところ、95台が新規加入、あと100台の余裕があることになった。 ただ、水沢駅東・… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 16日 1953 水沢電報電話局管内の電話新設案内(昭和28年10月16日) 昭和28年10月16日の胆江日日新聞の広告欄より。 水沢電報電話局で新たに加入した電話について大々的に広告している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 15日 1953 胆江地方に早くも初霜(昭和28年10月15日) 昭和28年10月16日の胆江日日新聞より。 10月15日の朝は初霜があったという。 水沢緯度観測所によれば、朝の気温は2.2℃で、前年より11日早く、平年より3日早かったのだという。 水沢緯度観測所でも気象観測を行っていたようだ。 これを気象庁ホームページで確認してみると、盛岡ではこのシーズンで初め… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 7日 1953 水沢で加入電話70名の電話番号抽選会を行います!(昭和28年10月7日) 昭和28年10月7日の胆江日日新聞より。 水沢町や商工会議所の努力で、水沢町内にも電話回線が増設されることになった。 それで新加盟者70回線分も10月下旬までに工事が完成することとなった。 その70名の電話番号をどうするか。 この時点で水沢局内の電話番号は758番まで埋まっていたので、これに続く番号… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 7日 1953 一関市内各商店の電話架設情報(昭和28年9月7日) 昭和28年9月7日の岩手日日より。 「永らくご不自由をお掛けしました」というのは定型句だったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1953 一関市内商店の電話架設広告(昭和28年9月4日) 昭和28年9月4日の岩手日日より。 広告欄には電話架設に関する広告が掲載されている。 「永らくご不自由をおかけ致しました」というのが定型文だったのだろうか。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 29日 1953 水沢では10月になったらいつでも電話を増設できます!(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢町内でも電話加入の申し込みは増加しており、水沢町としても水沢電報電話局の協力を得て増設工事を決定した。 それもこれも、仙台からのケーブルの到着の状況次第なのだが、多少遅れるが9月中旬から工事を開始できるということだった。 この増設工事が完了すれば、この時… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 29日 1953 水沢緯度観測所では使い捨ての風船だけでなく紐で繋いだ風船で高層気象観測をします(昭和28年8月29日) 昭和28年8月29日の胆江日日新聞より。 水沢緯度観測所では、気象庁と同じように毎日風船をあげる高層気象観測を30年間継続していた。 そしてそれが緯度変化にもたらす影響に関する論文は、天文学界で大きく注目されたのだという。 そしてまた、北上川の谷となる水沢の気象特性を解くカギとしても注目されていた。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 28日 1953 農家の厄日・二百十日は安泰か(S28.8.28胆江日日新聞) 立春から数えて、210日目にあたる「二百十日」は、台風の特異日であり農家からは恐れられていた。 そんな二百十日は安泰ではないかとの仙台管区気象台の予報。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 26日 1953 電話交換嬢競技の水沢地区予選(昭和28年8月26日) 昭和28年9月1日の胆江日日新聞より。 全国電信電話協議会水沢地区予選は8月26日から3日間の日程で、水沢電報電話局で開催された。 以下のような競技種目があったという。 電話ブラッキング 交換用語 交換証作成 電信和文タイプライター通信 タイプライター二人組合せ 高速度タイプライター 和文タイプ二人… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 23日 1953 一関・笹谷小学校と狐禅寺小学校に電話架設(昭和28年8月23日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 一関市立笹谷小学校には8月21日、狐禅寺小学校には8月23日に電話が架設された。 電話番号は笹谷小学校は803番、狐禅寺小学校が804番。 これで、一関市内の小中学校で電話が無いのは中里小学校前堀分校だけとなった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 11日 1952 二百十日も無事平穏(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 立春から数えて210日目を「二百十日」と呼び、農家からは台風がよく来る日として恐れられていた。 それでも、この年は無事平穏に過ぎたようだった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1952 モダーンな遠野郵便局が落成 昭和27年9月4日の岩手日報より。 遠野郵便局庁舎は13日に落成式を上げ、15日から執務を開始する予定であるという。 記事原文ママで書くと「遠野町にはないきれいな建物」であり、ストーブなどの過熱により一定以上の温度に達すると電気仕掛けで自動的にベルが鳴る仕組みであるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1952 胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 盛岡でウインタースポーツ幕開き(昭和27年1月7日) 昭和27年1月8日の岩手新報より。 7日は、盛岡市内でウインタースポーツの幕が切って落とされたという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1952 寒の入りでスケート初滑り(昭和27年1月6日) 昭和27年1月6日の岩手新報より。 寒の入りとなり、盛岡では高松の池や上田田圃でスケートの初滑りが見られた。 まだまだ高松の池でスケートができる時代だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1951 盛岡の河南にも電報が打てる郵便局を(S26.8.3夕刊いわて) この当時、盛岡で電報が打てるのは中央通にある盛岡電報電話局の他、駅前・本町・上田・仙北町と、仙北町以外は河北で、肴町・八幡町といった河南は電報の打てる所が無い状態だった。 仙北町駅前にしたって、明治橋を渡っていかないといけないわけで、そういう意味では狭義の「河南」には皆無という状態だった。 それで新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 14日 1951 与の字橋・入道雲・女子高生(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 中の橋と上の橋の間にある与の字橋の向こうには入道雲が立っている。 そして遠足帰りの女子高生が渡る。 与の字橋の向こうにある女子校というと、盛岡二高(上の橋町)だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 27日 1951 公衆電話に紙幣以外を入れる不心得者 昭和26年3月27日の「夕刊いわて」より。 2月における盛岡市内の使用回数は2,703回で、個々のボックスだと以下のようになっていたという。 【多い順】 内丸 96回 駅前 90回 夕顔瀬 61回 【少ない順】 青山町 26回 これに対し、収入は1,881円77銭で、821円が不足しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 24日 1951 電気通信省岩手電気通信部「回線待ちの皆さん!共同電話はどうですか!」(昭和26年3月24日) 昭和26年3月24日の「夕刊いわて」より。 電話の架設待ちは、盛岡市内だけでも3300件に登る状況であった。 しかし電通省岩手電気通信部管内の割り当ては80回線のみ。 そこで「多数共同電話」の希望調査を行うことにした。 これは1つの電話番号を3~10人で使用するというもので、普通であれば架設に4万円… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 4日 1950 早くも年賀状や門松と正月ムード(昭和25年12月4日) 昭和25年12月4日の岩手新報より。 盛岡市内では早くも年賀状やら門松やらの正月ムードに入っていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 29日 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む